我が家の長女が三歳のとき、彼女は喘息を患った。
それまではたいした病にもならず、比較的元気でいたのだが、ある日突然に襲ってきた発作で、喘息であることが分かった。
喘息は発作の苦しみを味わう本人も辛いが、見ている側も苦しくなるくらい辛いものである。
ましてやそれがいたいけな幼児になると、胸がつまる思いで見ていなければならない。
当時はこうしたアレルギーの病気は流行りだした頃で、専門医も少なく、月に一度の診察も、二時間以上を
かけて病院に通わざるを得ず、丸一日をかける大仕事であった。
朝早く家を出て、受付開始と同時に診察カードを出すのが午前九時頃なのに、診察を受けるのは大抵の場合
正午頃という混みようだった。しかも、診察は平均してわずか五分程度だっただろうか。
そして薬を貰って病院を出るのが午後三時過ぎと決まっていた。
この病院通いと発作の連続が長女の人生観に何らかの影響を与えたはずであったが、
それがどんなものであるか、親の私には分からぬとしても、病院の待ち時間と、激しい運動ができないために、
読書の量が人並み以上であったことは間違いなかった。当時はそれが彼女の人生にどう生かされるのか
興味を持ったものだが、どうやら結婚もせず人生を謳歌しているようで、それもまた人生かなと安心している。
この長女の喘息を皮切りに、わが家は次に妻も喘息にかかり、次女も同じ病気になった。
比較的丈夫な私と喘息もちの妻と娘たちの、いささか平均像以下の家庭生活が始まったのである。
何しろ会社から帰ると、誰か一人は必ず寝込むか、苦しんでいるのが日常のわが家であった。
発作で苦しむ娘を背負い、夜中の十二時過ぎに医院の扉をたたくこともしばしばであった。
それでも不思議なことに、そうした自分の環境を恨む気持ちも、呪う気持ちもなかった。
もうそれが当たり前のこととして、私の生活の一部として存在していた。
そしてある日、私は異変に遭遇したのである。その日、いつものようにまったくいつもと変わらずに玄関を入ると、
驚くことに、そこに妻と娘の三人の元気な姿を見たのだ。
その日は寝込む者もなく、発作に苦しむ者もいない、わが家にとって最良の日であったのはいうまでもない。
家族みんなが元気な、いわば一般的な家庭では当たり前のことが、わが家にとっては幸福感を味わえるのである。
他人には当たり前のことが、自分では幸福感に浸れる。これを神の恵みと思わずして、なんと思えるか。
病弱者を抱える不幸は、こうして幸福の価値を考えさせてくれる恩典を与えてくれたのである。
幸い転地したせいか、全員が元気になった現在だが、この出来事が私の人生観を大きく変えたのは確かである。
それは「気持ちは持ちよう一つ」とか、「事実は事実として受け入れる」とか、
「自分よりもっと大変な思いをしている人はたくさんいる」などという単純なものではなかったような気がする。
普通の家庭では当たり前のことが、わが家庭ではこの上ない幸せを感じられることから何を学ぶのかを問われたのだ。
「私は、勿論不幸は好きではない。しかし正確に言うと、自分は不幸だと思うことのほうが、もっと好きではない。
私が一番嫌いなのは、そう大して不幸でもないのに、自分をよっぽど不幸だと思わないと安心できない人である」
(宇野千代「幸福を知る才能」)。
(本稿は2011年7月にj.union社の社員向け「温故知新」で執筆した原稿を加筆・修正したものである)



