ASPホームページ向け「つれづれ日記」(80)原稿
かなり前の話になるが、知人が定年を迎えて会社の招待旅行に出かけた。「妻と二人きりの旅行は久しぶりですよ」という声に、日ごろは照れ屋なのに特有の照れはなかった。「会社の招待旅行で、海外に行けるようになったのはいつ頃からだったでしょうかネ」などと冗談を交わしたことを思い出す。1ドル360円の時代から最近の円高で、海外旅行もずいぶんと安くなったようだが、国内旅行でも、旅行会社のツアー料金は、正規の飛行機運賃よりも安いケースが多く、「何でこんなに安いのか」分からない。ときおり、テレビで旅行会社の企画の様子が放映されるが、価格を下げてでも集客を優先させたい旅館と、一円でも安い料金を求める旅行会社との駆け引きは熾烈だ。私自身も現役を退いてからは、そのような安いツアーに参加することもあるが、どうしても気になるのが、安さの秘密だ。需要と供給や為替レートの変化による価格決定には異論はないのだが、一方で、高い運賃がかかる飛行機や列車の料金との差額に合点がいかないのだ。何かを犠牲にしているはずと、いろいろ考えてみると、ツアーに関係するすべての人々、旅行会社の社員であったり、旅館で働く従業員であったり、集客力のある旅行会社に屈して安い料金を設定する鉄道会社、航空会社の従業員であったり、労働条件の犠牲や安全対策の怠慢のうえに成り立ってはいる気がしてならない。とくに、2011年JR北海道による「トンネル内火災」における安全対策のお粗末さをみると、コスト削減がすべてに優先する社会になってしまったのか恐ろしい気がする。
せっかく旅行の話をしながらそぐわない内容になってしまったが、言いたいことは円高で海外旅行が盛んになっているように、旅行もある程度世相を反映しているということである。話しを元に戻して、世相を反映するといえば、旅行と並んで歌もあげられる。旅行といえば、昔のソ連や中国のように共産主義国は国内の旅行を制限していた。今は北朝鮮が代表例だが、日本はといえば、江戸時代の通行手形に代表される旅行制限が頭に浮かぶ。この通行手形は、一般市民の場合お伊勢参りにだけはほとんど条件がつかずに給付されたらしい。当時の記録によれば、江戸から伊勢までは十二泊を要した。「宿泊料は一泊四百八十文、昼食代を二〇〇文として、それを十二倍する。それに草鞋(わらじ)代や渡しの支払などの必要経費を加えると、片道二両ほどかかる」(「日本人の歴史」樋口清之著)。二両は現在の八万円くらいだから、往復で十六万円ということになる。
同書によれば、当時の足軽の手当が、食料別で年間二両から四両というから、待遇のよい人で、年間の手当は、お伊勢参りの旅費分というところだ。
今の新入社員(初任給)の年間の給料で、どのくらいの旅行ができるかは言うまでもないが、いずれにしても旅行がより身近なものになってきているのは間違いないことである。
旅行をしていると、その地方独特の民謡に出会うのも楽しみの一つだが、日本の民謡は、そのほとんどが日本海側のもので、太平洋岸に古くから伝わる民謡は数少ない。それに民謡は西から東へ伝播したもので、東から西へ伝わったものは一つもないという。日本海沿岸では、農耕の休閑期に、人々が出稼ぎなどで各地に広げたことと、北九州の民謡が日本海沿いに広がって、北海道の江差あたりまで伝わったからで、ほとんどが労働歌である。
音楽が、最初は神仏への祈りから始まり、つづいて労働の中から生まれ、やがて人間の心のあり様を表現するものへと幅を広げていくのだが、いずれも人間の心の奥深くに訴えるものをもっていなければならない。ジャズが人々の心に訴え流行したのも、アメリカの黒人の労働歌であったことを考えればうなずけることである。
歌が心に訴えるものであれば、世代による価値観が変わってきた中では、思わず口ずさみたくなる歌が、年代によって違うのも無理からぬことである。三十代の人々が、十代の口ずさむ歌を良い歌と思う必要もないし、年甲斐もなく汗水流して覚えることもあるまい。歌はあくまで、その人の、そのときの心に訴えるものだから、本来は、メロディと同じ雰囲気で、奏でる人も聞く人も同じ気持ちになることが求められる。
12月の忘年会、1月の新年会、4月になれば新入社員の歓迎会などで見られるように、世はまさにカラオケ全盛時代だが、杯を片手に、他人の演歌に耳をかたむけているほうが、自分で歌うよりもはるかに楽しいと思うのは、音痴な者のひがみかもしれない。
(本稿は2012年1月にj.union社の社員向け「温故知新」で執筆した原稿を加筆・修正したものである)



