広島の大規模土砂災害のニュースに心を痛め、世界各地に起きている異常気象による災害に不安を感じる国民も多いに違いない。
しかし「災害は忘れた頃にやってくる」の諺どおり、その心の痛みも、被災者以外の人は喉もと過ぎれば記憶の隅に追いやってしまう。
自然災害による経済損失額の大きさでは、東日本大震災、阪神大震災、ハリケーン・カトリーナに次ぐ世界史上4位を記録した2011年のタイの洪水のニュースも、
記憶から忘れ去られようとしている。メディアがニュースの価値を認めなくなったからとは分かっているが、改めてメディアの移り気にあきれたりもする。
タイ・バンコクの洪水騒動は確か20年以上前にも話題になった。当時も、氾濫した水が街中を混乱に陥し入れ、車に代わって小船が重要な交通手段になっていた。
そして、動けなくなった自動車を後ろから押して小遣いを稼ぐ珍商売が登場した画面が映され、NHKのアナウンサーがタイ国民のしたたかさを報じていたのを思い出す。
その二週間後、所要でバンコクを訪れた際には、テレビで見たバンコクは姿を消し、繁華街の喧騒と裸足の子どもたちが迎えてくれた。
都会の中心で裸足で遊ぶ子どもの姿に、物が豊かになって弱々しくなった日本の子どもにないたくましさを感じたのが印象的であった。
アジアでも有数の穀倉地帯をつくるチャオ・プラヤ川(メナム川)は、母なる川と呼ばれるのにふさわしい豊かな実りと交通路を提供するかわりに、雨季における氾濫という自然の猛威を繰り返してきた。
タイ文化の発展は、この自然の脅威とのたたかいの歴史ともいえるのだろう。メナム川の岸辺に立つと異臭が鼻をつき、思わず顔をしかめる。
この異臭と赤茶色の水面に不潔感を抱かぬとしたら、いささか神経を疑うくらいだが、この川を本流として、網の目のようにはりめぐらせた運河が重要な交通路であり、
同時に岸辺に建てられた家々にとって、歯を磨き、顔を洗い、水を浴び、食器を洗い、洗濯もする生活の根城となっている。
水中から立つ何本もの柱は、川の波にあらわれ、ところどころは細く辛うじて床を支えているように見える。どの家にも高さ1メートルくらいの甕(カメ)がおかれ、飲み水用に雨水をためている。
川に面した扉は開け放たれ、雑然とした室内にカラーテレビと扇風機を見たのが妙に印象的だった。床から水中に階段が設けられ、その一番下で17、8歳の女性が髪を漱いでいる。
その前を、何隻もの観光ランチが波をけたてて行く。それを無視して、黙々と生活を続ける人々の、その逞しさこそ、母なる川とのたたかいで培われたものように思える。
街中(まちなか)に住むバンコク市民でさえ、この川の水を飲めば変調をきたすというのに、ここに住む人々は動じない。
人間が病魔に侵される際、本人の抵抗力によって症状は違ってくる。最近話題になる食中毒も、菌が体内に入っても抵抗力のある人には症状は出ない。
だから抵抗力のない子どもや高齢者に注意が呼びかけられるのだ。健康な日本人であってもメナム川で生活することはできないだろうし、インドのガンジス川での沐浴も到底無理に思える。
生活水準の向上とか、文明の進歩とか、私たちが先進国の象徴として当たり前に思っている生活が、実は、豊かさの代償として自分自身の肉体を衰えさせているのかもしれない。
戦後一貫して追い求めてきた「物を持つ」ことを豊かさの象徴とする価値観は、東日本大震災でもろくも崩れ去った。
世界でもっとも幸せを実感しているブータン国民の生活は、日本人の価値観でいえば、物のない「貧しさ」以外のなにものでもない。
社会経済学者で京都大学教授の佐伯啓思氏はいう。【震災では多くの人が偶発的に命を奪われた。被災地で家族関係は一瞬にして絶たれ、地域社会も崩壊した。
理不尽な自然の猛威は、日本人の精神に深い傷を刻んだと思う。死生観や自然観を変えた人も多いだろう。
「生産を増大させ、富を得て自由になる」という戦後日本の価値観、幸福感も根底から崩れ去った。】(2011年12月17日・読売新聞夕刊)。
でも一方ではこうも思う。「生産を増大させられるからこそ働く場所が生まれる」現実を否定することはできない。
国民生活の根幹は、働く場所が確保され、働くことで得られる収入によって生計が営まれるからである。「心豊かに」という個人としての価値観・人生観と、生活しなければならない経済社会の現実との葛藤は今日も続く。
タイの首都バンコクのメナム川流域に住む人々、それを貧困の象徴としてみるのか、飽食の時代に生きる私たちに与える警鐘としてみるかは人によってさまざまである。
「物を得ることを貪って、飽くことを知らぬ者は、金を分けて貰えばさらに金よりも貴い玉(ぎょく)を得られなかったことを恨みに思うし、公爵の栄位に封ぜられれば、さらに領地を有する諸侯に封ぜられなかったことを怨む。
(略)しかるに足るを知って、それぞれの境遇に満足している者は、粗食でも上米の如き美食よりも旨く味わい、綿布のどてらでも、皮衣よりも暖かい思いで着ているように、その心の豊かなることは、王侯貴人にも劣らない」(「菜根譚」)。
(本稿は2012年2月にj.union社の社員向け「温故知新」で執筆した原稿を加筆・修正したものである)



