鈴木勝利の「つれづれ日記」

コラム

vol.84 父さん、あると思ってはダメ~感動は生きる力を与える~
2014/12/15
 精緻な電子顕微鏡が開発されて、人々が科学の進歩に酔いしれているとき、この素晴らしい発明が、皮肉にも人間の未知さ加減をさらに証明する役割を負う。
今まで確認できなかった微小なものを見るために、顕微鏡の照度を上げたことによって、その明るさのために見えなくなるものが生ずるためである。
科学は進歩すればするほど、科学では解明し得ないもの存在を証明するという自己矛盾を持つ。
そこに人間が、物質的なものだけに依存しきれないで、心のよりどころを何かに求めようとする原因がある。

 もっとも、科学に限らず、十年後の自分とか、他人の心の中がわかったらどんなに楽なことかと思うものの、もしそれがわかってしまったら、努力も苦労もいらず、
結局は何のために生きているのかも考えずに、無味乾燥の人生を送ることになるに違いない。
他人の心も、自分の人生も、それがわからないからこそ、悩みや苦しみ、失望や嫉妬をくり返し、人間の成長を促しているのだともいえる。
そして複雑な心の襞(ひだ)が、時に感動を呼び、その感動が新たなエネルギーを生む。

 人の一生を通して「よし、がんばろう」という意欲を一番抱かせるのは恋である。
好きな人に好かれたい、この人のためにという気持ちが、信じられない無限とも思えるエネルギーをわきたたせる。
それは、それによって導かれる結果に感動、心の満足感があるからではないだろうか。

 ひとつの仕事を成し遂げた充足感も、広い意味では感動といえる。
人間が生きようとすること、何かをしようとすること、それは感動があって初めて可能となる。

 あまり表ざたになっていないが、世の中エイズが蔓延しているが、性病のひとつである梅毒の特効薬に六百六号があるのは有名だが、
この薬はドイツの医者が、六百六回目の実験でやっと見つけたことから命名された。もし六百五回の実験であきらめていたら、
日の目を見ることはできなかったわけであるが、この医者を支えたのが、医者としての使命感であったとしても、使命感を支えたのは、
やはり人のために尽くす、尽くしたという感動であったように思える。

 だからそれがどんなに科学的といわれることであっても、人間が行う以上は、人間に感動する気持ちがあるからこそ成功への道が開けたものといえる。

 この感動がこみ上げてきたとき、人は涙を流す。感動し涙を流せる人はそれだけでも幸せである。
なぜならば、感動はどんな試練でも克服できる力を与えてくれるからだ。

 メキシコオリンピックで銅メダルを取ったサッカーの日本代表選手の一人であった松本育夫氏は、昭和五十八年の「つま恋ガス爆発事故」で、
九死に一生を得たが、片手の指は一本しか残っていなかった。彼が病院で、「なんで俺が」と悶々としているとき、小学五年生の娘が見舞いに来て手紙を置いていった。
その手紙には、「お父さん、あると思ってはいけない」と書いてあった。

(本稿は2012年3月にj.union社の社員向け「温故知新」で執筆した原稿を加筆・修正したものである)