鈴木勝利の「つれづれ日記」

コラム

vol.91 死刑囚の生き様 ~悔いのない一瞬、一瞬を~
2015/09/15
 父親が脳溢血で世を去ったのはもう三十年以上も前になる。職人気質の強い頑固な父であったが、その死は、家族の誰からも看取られない、一人で仕事をしている最中の大往生であった。何かが倒れる大きな物音に、弟がかけつけた時には、すでにこと切れたあとだった。ちょっとの買い物で留守をしていた母親の無念さは、今でも私の頭の中に鮮明に刻まれている。

 人間というのは不思議なもので、歳を重ねて順番に世を去るのは道理とわかっていても、家族の死を冷静に見ることはなかなか出来ないが、他人の死は、その年齢や環境をもとに、わりに冷静に考えて、その死を常識的に受け入れることができる。しかし、自分の死については、たとえ肉体的に限界にきている歳であっても、やはり死にたくない、生きたいと、自分にとっては常識外、予想外のこととして捉えるものである。

 人生を通して起こりうる災難や不幸は、死なない限り何らかの手段を講じて切り抜けることは出来るのだが、死だけは絶対に避けられない。確実に起こり、避けることができない唯一ものであるにもかかわらず、それを一番恐れなければならないのは、命ある者の運命であるが、それだけに死に様はさまざまである。

 今は亡き作家の今日出海さんは、亡くなる直前、奥さんに通夜や葬儀の指示をした後、「オレのいない通夜は寂しいだろうね」と微笑んだそうであるが、死を達観したというのは、こういう様をいうのかもしれない。

 確実に約束された死を前にして、人間の心はどのようにもなるらしい。刑務所では、死刑囚は非常に濃密な時間を過ごすという。この場合はまさしく残されているのは人生という期間ではなく時間という表現がふさわしい。そのわずかな時間を、思索や行動において濃密におくるのに対し、終身刑の人は何もしないでだらだらしているそうだ。この事実は、ふと有限である自分の人生においても、ただ漫然と過ごしている自分とダブらせて考えなければならないように思える。

 これもかなり前になるが、若手歌手の岡田有希子さんが自殺した際に、若い女の子の後追い自殺が続いたが、その子どもの一人が綴った自殺前日の日記には、「あヽ彼女が死んだ。私も」と書いてあったという。悩むことの多い多感な年頃ではあったのだが、死を簡単に考えることは、同時に生きるべき人生も簡単に考えていることの裏返しでもある。

 1985年(昭和60年)8月12日、日航ジャンボ機123便は群馬県御巣鷹山に墜落、この事故で亡くなった当時五十二歳の河口博さんは、墜落していく飛行機の中でつぎのような走り書きを残している。「もう飛行機には乗りたくない。どうか神様、助けてください。きのう、みんなと食事をしたのが最後とは、何か機内で爆発したような形で煙が出て降下しだした。どこへどうなるのか。津慶しっかり頼んだぞ。ママ、こんなことになるとは残念だ。さようなら、子どもたちのことをよろしく頼む。今、六時半だ。飛行機はまわりながら急速に降下中だ」。

 そしてメモの最後にはこう書いてあった。
「本当に今までは幸せな人生だったと感謝している」

 今、この文章を読んで何かを考えているこの瞬間が、あなたにとって悔いのない人生のひとコマになるのだろう。

(本稿は2012年12月にj.union社の社員向け「温故知新」で執筆した原稿を加筆・修正したものである)