鈴木勝利の「つれづれ日記」

コラム

【最終回】vol.92 生きて愛し合う今日があるばかり~理性と感情の絶妙なバランス~
2015/10/15
 あの「人間は考える葦である」の名句を残したパスカルは、数学者らしく、また同時に哲学者らしく、そのほかにも含蓄のある言葉を残している。そのひとつに、「二つのゆき過ぎ。理性を排除すること、理性だけを容認すること」というのがある。

 人にとって心がいつも冷静で、理性的であることは望ましいように思えるが、そればかりで人間の心のひだの複雑さまでは律しきれるものではないと言う意味であろうし、また反対に、移ろいやすい心のおもむくままに、理性のかけらも持てないようではこれも困る。常に理性と感情が豊かに、そして微妙に調和されていることが好ましいと指摘しているのだが、思い当たることは多い。

 現代医学では、治療にあたって科学的な根拠を持って手術を施すから、常に理論的裏づけが必要とされ、素人の私たちはそれを信用して受け入れ従うことが理性的とされる。がしかし、一方では心の中では「病は気から」という、非科学的な思いを抱いていたりする。人間の精神、つまり心の持ち方が、肉体に影響を与えるというのは、ストレスが胃潰瘍の主因であったりすることを見ても理論的にも立証されていることであり、一概に非科学的と断定できないが、例えば痛みという感覚になると、科学や理論で律しきれなくなる。

 日本赤十字社に勤め、昭和54年(1979年)にナイチンゲール記章を授章した小林清子さんが、こんな話をしている。

 彼女が看護学校の教務部長をしていた頃の話。退院する患者が彼女を訪ねてきて、「先生は、いい学生さんをもって幸せですね」と言うので、尋ねてみると、「その方が手術を受けた後、激しい痛みに襲われたそうです。それで看護婦さんが注射の用意をするために部屋を飛び出していったのですが、そこへ若いおかっぱ頭の看護婦さんが来て、床にひざまずき、『痛いのね』と言って、しっかり手を握ってくれたというんです。その瞬間、患者さんは痛みがスーッと遠ざかっていた、というんですね」。

 そして小林さんは言う。「このことは患者さんの気持ちを思う心がどれほど患者さんたちの苦悩を軽減できるかということを教えてくれました。」

 科学や理論は、人の心の中にまでは立ち入れない。だからいつも人の気持ちというのは他人には解りにくく、したがって誤解やスレ違いを招くのである。それをお互いに容認しあうから、自分の気持ちが理解してもらえた時や、自分にない美しい行為に感動が生まれるのである。

 感動は、人間に本能と感情があるから生まれるものであり、理性だけの人生からは感動も生まれない。しかし、同時に、理性のない人生は、本能と感情に支配され、人間の尊厳さえも見失うに違いない。

 こんな人生はどうだろうか。
 「昨日は過ぎ去りました 明日はまだ来ません。ただ確かなのは 互いに生きて愛し合う、今日があるばかり」(マザー・テレサ)

(本稿は2012年12月にj.union社の社員向け「温故知新」で執筆した原稿を加筆・修正したものである)