鈴木勝利の「つれづれ日記」

コラム

vol.11 夜の鶴
鈴木勝利 顧問
2008/11/20

 新人作家の登竜門として名高い芥川賞の第一回受賞者は石川達三である。同氏は1905年(明治38年)に秋田市で生まれ、1985年(昭和60年)に生涯を閉じた。この時代の作家は結構波乱含みの一生を送る人が多いような気がするが、本稿で氏を紹介するのは時の社会問題を扱う社会派作家といわれる中で、異色の作品が印象に残るからである。社会派作家の面目が躍如するのは、芥川賞受賞作品の「蒼氓(そうぼう)」(「氓」は民の意味で、「蒼氓」は「人民の意」の漢語的表現))は自ら体験したブラジル移民を描いたし、小河内ダム(奥多摩湖)建設で水没する村を取り上げた「日陰の村」、戦後は中年男のあせりの心理をとらえ流行語となった「四十八歳の抵抗」、日教組の勤務評定反対闘争を題材とした「人間の壁」、今なお現実にある与党総裁と政治献金を扱った「金環蝕(きんかんしょく)」、身勝手な若者の悲劇を描いた「青春の蹉跌(さてつ)」、これも流行語となった「望みなきに非(アラ)ず」、「風にそよぐ葦」などなど、社会批判をテーマにした作品が多いからである。終戦時の1945年(昭和20年)には「生きてゐる兵隊」で新聞紙法による発禁処分、禁固4ヵ月(執行猶予3年)を受けている。そうかと思えば、女性の参政権が認められた戦後初の衆議院議員選挙(第22回・昭和21年4月10日)に立候補して落選するなど、波乱に富む人生を送っている。長々と紹介したのは、社会派作家の氏が一方で、社会問題とは似てもつかない「夜の鶴」を書いているので、人の生き方としてこの作品にふれてみたかったからである。

 ご存知のように母親の鶴は子どもを翼で覆って寒い夜を過ごす。「夜の鶴」のタイトルは、子どもを慈しむ親の心情を表す代名詞としてつけられた。この小説は、嫁いでいく娘の結婚相手の男性宛の手紙を、そのまま小説にしている珍しいスタイルをとっている。少し長くなるがその一部を引用するので我慢して読んでいただきたい。


 嫁いでいく娘の名前は滋子、母親は幹子という。引用する一節は、幼い頃の娘と両親の出来事を綴っている中のひとコマである。離乳の時期を迎えた滋子が、夜眠りにつく時にどうしても母親の乳房をしゃぶってからでないと眠らないために、それをやめさせるために両親は苦労する。手紙の主である私(父親)は昔から離乳のときに母親たちが用いた手段を思いつく。漢方薬でとても苦い「せんぶり」という草を煎じて乳首につけて舐めさせる。口にした赤ちゃんはその苦さに泣き、やがて母親の乳に別れを告げて独立していくからである。私は「せんぶり」を煎じて母親に渡す。

 「幹子は躊躇して、なかなか付けようとしない。私がまた促してやると、そのとき彼女は頭を振って、(いや、わたし付けたくないわ)と言うのでした。(……子どもに嘘をつきたくないの。わたし、話をして見ますわ)

 話をして見る? ……相手はやっと誕生日を迎えようという子どもではないか。大人の話が解るわけはない。うまうまとか、あんよとかいう言葉を十か二十しか知ってはいない。その子にむかって幹子は話をしてみようと言うのです。言ってみても解るはずはないと思う。しかし母親はそれをやって見なくては気が済まなかった。今まで子供が何よりも好きだった乳房に、苦い薬を塗って、子どもに絶望を与えるということに、彼女は母として偲び難いものがあったに違いない。こんな小さな子供は、親が策略を用いればどうにでもなるだろう。けれども、だからと言って、策略を用いて宜いということにはならない。如何なることがあろうとも、子供に嘘をつきたくない、ごま化したくない。それが幹子の願いだった。その一筋の願いによって、何と彼女は、滋子を膝に抱いて、自分の乳房を見せながら、まるで言葉のわかる人にむかって話をするように、くり返しくり返し、三十分も四十分も話して聞かせたものだった。(お前がお乳をのむと、お母さんは歯が痛くなるの。お乳をあげたいけれど、歯が痛んで眠れないのよ。解る? ……だからなるべく、お乳を飲まないでちょうだいな。お願いよ)ずいぶん理詰めな話だった。それを、どういう訳か、滋子は黙って聞いていたのです。静かな表情をして、母の顔を見ながら、黙って聞いていたのです。

 けれども幹子は、子供に理解されたとは思って居なかった。言わば母親自身のための気休めに過ぎなかったかも知れない。明日でもまた繰り返して話をしてみようと思っていたのです。ところがその晩、滋子は母に添い寝をしてもらって眠るときになると、小さな手のひらをそっと乳房に当てただけで、飲もうとしない。幹子がいぶかって、(どうしたの?……飲まないの?……)滋子はそっと顔をむけて、乳房から視線を反らして、そのまま眼をつむってしまうのだった。母親がどんなに泣いたか、想像してくれ給え。(あなた、あなた……)と彼女は私を呼んで、(この子はちゃんと解っているのよ。どうして私の話がわかったんでしょう。まるでお乳を飲もうとしないの。子供って解るのねえ。親が本気になって言って聞かせれば、ちゃんと解るんですよ。可哀相に……)
親が本気になって話して聞かせれば、言葉を知らない嬰児にも親の心は理解される。親が真実な愛情をもって語る言葉は、かならず子供の心に通ずる。……幹子はこの小さな事件からのち、一つの信念を得たのでした。」


 この手紙を受け取った相手の男性の感動はいかばかりであったろうか。作者の実生活なのか、あくまで創作なのか知るよしもないが、私たちは日常生活の忙しさにかまけて何事にもいい加減に過ごす傾向が多いので、それに対する痛烈な批判に聞こえて仕方がない。同時に、近頃の子供に対する親の犯罪や育児の問題に心を傷める多くの人々にも、子供を一人の人間として認めて誠実に対応する親のあり方を示しているに違いない。親からみれば子供は自分たちの意思でつくるのだが、子供にとっては自分の意思で生まれてくるわけではない。好むと好まざるとにかかわらずその親から生まれてくるしかない。選択はできないのだ。その子供に対して誠実に対応できずに、ましてや慈愛さえ注げないとなったら、親は二重、三重の罪を犯しているともいえるのだ。