年末年始休日をお決まりの「ごろ寝テレビ」で過ごしながら、評論家よろしくテレビ番組をあヽでもないこうでもないと独り言を繰り返しているうちに一週間余の連休も終わってしまった。お笑いタレントの騒々しさと民放女子アナのタレント化に少しばかり辟易しながらも、結局は何もせずに無駄な時を過ごしてしまったようだ。
古来日本人は、あるけじめに古いものを捨てて新しい生命を生むことで魂は永遠になると信じていたという。その再生産する時期が正月であり、神から新しい魂をもらう信仰が「若水汲み」の行事を生んだ。東大寺二月堂の「お水取り」が代表的なものだが、日本人の人生観からいえば新年は新たな人生の出発点といえるのである。しかし現代では誰もがこのような信仰に従って新年を迎えているわけではないのだろうが、一方では、多くの人が「今年こそは」と、思いを新たにしていることを見ても多少は影響を受けているのかもしれない。
だらだらと寝正月を過ごしながらも、ある時期から毎年心に言い聞かせてきたことを思い出す。
鎌倉に和賀江という堤防がある。鎌倉時代にできたというから長い年月を重ねてきたのだが、この間、一度も補修してない上に今でも使えるという。一方、神戸港には近代建築によるコンクリートでは最古の堤防があるが、すでに何回か補修をしている。鎌倉の堤防は石を積み重ねただけで造られているが、先人の知恵か、石垣が波を上手く吸収して自然と共存しているために壊れないのだそうだ。波を撥ね返す目的で造られたコンクリート製は強いようで意外に脆いということか。人間の存在を第一義に考えて自然は克服するものだという西欧的発想と、自然と調和しながら生きていこうとする日本的発想の違いが際立っている話だ。
奈良東大寺の大仏殿の屋根瓦にも似たような話がある。地震によって屋根が一方に傾くと、釘を使っていない屋根瓦は崩れる前に瓦だけ落ちるようになっている。反動で反対側に傾けば今度はその片方の瓦が落ち、ちょうど時計の振り子のように復元する。こうして地震大国日本の自然現象に対応できる建築方法が取り入れているのだ。
有名な三十三間堂は、砂と土を何層にも積み重ねた地層の上に建築されている。地震の揺れを地層が吸収する仕組みだ。おかげで何体もある仏像は倒れずにすむ。
自然との調和、共存を図ろうとする日本的発想は、20世紀の工業化時代から21世紀の地球環境重視の時代にふさわしいもので、過去の蓄積に感謝せざるを得ない。
全く同じではないが人間の心理も同様で、異論を一斉認めようとしない心の在り様であれば、張り詰めた糸が切れやすいように脆いものだ。先輩からも同じような話をよく聞いたものだ。今はあまりないが労使の主張が対立して組合がやむを得ずストライキをする場合に、いちばん強硬な意見を吐く人は、ストが長引くと、長引いたストを指導した執行部の責任を逸早く主張する傾向があるという。だからといって一概に非難できるものではない。人間の心や思いは微妙で複雑なのだから。ただ気をつけなければならないことは、人の発言の真意をどのように推し量るかということである。大衆運動のリーダーが最も気をつけなければならない点である。
振り込め詐欺が、警察からここまで警告されながら減るどころか増加の一途をたどっているのは、人を騙そうとする詐欺師が相手の心理を読むのに長けているからである。人は他人の心までは分からない。せいぜい推し量るしかない。だから誤解が生まれたり推し量れないで悩んだりするのだ。その人間の集団が家庭であり、職場であり、社会なのだから、人間関係を抜きにした人生は考えられない。人間関係の根幹は自分の思いや考えを相手に伝えることであり、それは言葉によって行われる。自分の思いを上手く言葉に表せなかったり、相手の言葉から思いを推し量れないと人間関係につぶされてしまう。かつて家庭に引きこもってニートと呼ばれた人々の大半は、学生時代から人間関係が苦手だったために就職をあきらめる人が多かったのに、最近は一度就職してみたものの、会社の人間関係が上手くいかないで引きこもるようになった人が多くなったそうだ。これも教育の問題なのか、家庭の問題なのか、果てまたメール依存社会の副産物なのか、私ごときでは分からないが、生活様式や意識の変化に根ざしていることは間違いないだろう。
でもそんなことで悩む必要はない気もする。他人の気持ちが間違いなくすべて分かってしまったら、世の中は全くつまらないものになってしまうに違いない。「あの人が自分に対してこう思っている」と分かってしまう社会だとしたら、それこそ自分はどうすればいいのか、いたたまれない新たな悩みに苛まれることになる。
今年も去年と同様に新年を迎えて自分に言い聞かせる。
他人の真意を推し量る、そのためにも他人の話に耳を傾け、自分への批判も甘んじて受ければいい。聞き流すのでもなく、せせら笑うのでもなく、「しなやか」に受け答えしよう。
倒されし 竹はいつしか立ち直り 倒せし雪は 消えてなくなる
古来日本人は、あるけじめに古いものを捨てて新しい生命を生むことで魂は永遠になると信じていたという。その再生産する時期が正月であり、神から新しい魂をもらう信仰が「若水汲み」の行事を生んだ。東大寺二月堂の「お水取り」が代表的なものだが、日本人の人生観からいえば新年は新たな人生の出発点といえるのである。しかし現代では誰もがこのような信仰に従って新年を迎えているわけではないのだろうが、一方では、多くの人が「今年こそは」と、思いを新たにしていることを見ても多少は影響を受けているのかもしれない。
だらだらと寝正月を過ごしながらも、ある時期から毎年心に言い聞かせてきたことを思い出す。
鎌倉に和賀江という堤防がある。鎌倉時代にできたというから長い年月を重ねてきたのだが、この間、一度も補修してない上に今でも使えるという。一方、神戸港には近代建築によるコンクリートでは最古の堤防があるが、すでに何回か補修をしている。鎌倉の堤防は石を積み重ねただけで造られているが、先人の知恵か、石垣が波を上手く吸収して自然と共存しているために壊れないのだそうだ。波を撥ね返す目的で造られたコンクリート製は強いようで意外に脆いということか。人間の存在を第一義に考えて自然は克服するものだという西欧的発想と、自然と調和しながら生きていこうとする日本的発想の違いが際立っている話だ。
奈良東大寺の大仏殿の屋根瓦にも似たような話がある。地震によって屋根が一方に傾くと、釘を使っていない屋根瓦は崩れる前に瓦だけ落ちるようになっている。反動で反対側に傾けば今度はその片方の瓦が落ち、ちょうど時計の振り子のように復元する。こうして地震大国日本の自然現象に対応できる建築方法が取り入れているのだ。
有名な三十三間堂は、砂と土を何層にも積み重ねた地層の上に建築されている。地震の揺れを地層が吸収する仕組みだ。おかげで何体もある仏像は倒れずにすむ。
自然との調和、共存を図ろうとする日本的発想は、20世紀の工業化時代から21世紀の地球環境重視の時代にふさわしいもので、過去の蓄積に感謝せざるを得ない。
全く同じではないが人間の心理も同様で、異論を一斉認めようとしない心の在り様であれば、張り詰めた糸が切れやすいように脆いものだ。先輩からも同じような話をよく聞いたものだ。今はあまりないが労使の主張が対立して組合がやむを得ずストライキをする場合に、いちばん強硬な意見を吐く人は、ストが長引くと、長引いたストを指導した執行部の責任を逸早く主張する傾向があるという。だからといって一概に非難できるものではない。人間の心や思いは微妙で複雑なのだから。ただ気をつけなければならないことは、人の発言の真意をどのように推し量るかということである。大衆運動のリーダーが最も気をつけなければならない点である。
振り込め詐欺が、警察からここまで警告されながら減るどころか増加の一途をたどっているのは、人を騙そうとする詐欺師が相手の心理を読むのに長けているからである。人は他人の心までは分からない。せいぜい推し量るしかない。だから誤解が生まれたり推し量れないで悩んだりするのだ。その人間の集団が家庭であり、職場であり、社会なのだから、人間関係を抜きにした人生は考えられない。人間関係の根幹は自分の思いや考えを相手に伝えることであり、それは言葉によって行われる。自分の思いを上手く言葉に表せなかったり、相手の言葉から思いを推し量れないと人間関係につぶされてしまう。かつて家庭に引きこもってニートと呼ばれた人々の大半は、学生時代から人間関係が苦手だったために就職をあきらめる人が多かったのに、最近は一度就職してみたものの、会社の人間関係が上手くいかないで引きこもるようになった人が多くなったそうだ。これも教育の問題なのか、家庭の問題なのか、果てまたメール依存社会の副産物なのか、私ごときでは分からないが、生活様式や意識の変化に根ざしていることは間違いないだろう。
でもそんなことで悩む必要はない気もする。他人の気持ちが間違いなくすべて分かってしまったら、世の中は全くつまらないものになってしまうに違いない。「あの人が自分に対してこう思っている」と分かってしまう社会だとしたら、それこそ自分はどうすればいいのか、いたたまれない新たな悩みに苛まれることになる。
今年も去年と同様に新年を迎えて自分に言い聞かせる。
他人の真意を推し量る、そのためにも他人の話に耳を傾け、自分への批判も甘んじて受ければいい。聞き流すのでもなく、せせら笑うのでもなく、「しなやか」に受け答えしよう。
倒されし 竹はいつしか立ち直り 倒せし雪は 消えてなくなる



