寒立馬(かんだちめ)という馬をご存じだろうか。馬といえば血統が重んじ
られる競走馬のサラブレットを思い出される方が多いと思う。精悍で、シャー
プで、見るからに速そう!そんなイメージがサラブレットにはある。
対してこの寒立馬は、もともと農耕馬の系譜をたどる小ぶりでがっしりとした
馬である。ウィキメディアによると「青森県下北郡東通村尻屋崎周辺に放牧さ
れている馬。厳しい冬にも耐えられるたくましい体格の馬である。南部馬の系
統で足が短く胴が長くて、ずんぐりしている。「寒立」とはカモシカが冬季に
山地の高いところで長時間雪中に立ちつくす様を表すマタギ言葉である。冬季、
寒風吹きすさぶ尻屋崎の雪原で野放馬がじっと立っている様子がそれに似てい
たことから「寒立馬」と詠んだ」とのこと。
5月下旬、青森県の八戸へ帰省した際、無性に真近で寒立馬に会いたくなり、
足を延ばして尻屋崎まで出かけてみることにした。帰省する前に寒立馬が取り
上げられたテレビ番組を見て、風雪の尻屋崎でモクモクと白い息を吐きじっと
たたづんでいる『野放馬』の姿に魅せられていたのである。以前から馬に関心
や知識があったわけではないが、一度『野生』の寒立馬を見たいと心が引き付
けられるものがあった。
津軽の竜飛岬や下北半島の大間は、全国的にも知名度のある観光地である。そ
れと比べ、下北半島の最東部である尻屋崎はさほど知られていない辺鄙な地で
ある。地図で調べると尻屋崎は、青森県下北半島の北東部に位置し東通村の最
北端にある。早朝レンタカーを走らせ、一路、尻屋崎を目指した。途中、六ヶ
所村、東通村と日本有数の原子力関連施設が点在する地域を抜けていく。また、
原発施設だけでなく、このあたりは無数の白い風車が立ち並ぶ自然エネルギー
施設の密集する地域でもある。巨大な風車が林立する様は、まるでSF世界の
ような光景である。
下北半島東部の三沢市以北の地域は、原発施設ができるまで広大な湿地とやせ
た土地が続く地域だった。そのため農業にも適さず、目立った産業もなく、人
間の営みを拒んだ土地であった。道の整備も行き届かず、他の地域から隔絶さ
れたような地域であった。
けれど今、目の前に広がる風景は、自然と科学がミスマッチしつつ人口の未来
社会をイメージさせるような雰囲気がある。広大な敷地に原発施設が林立し、
その合間をきれいに整備された道路が延々と伸びている。
科学技術の粋を尽くした電力施設を目にする一方で、広大な自然の風景とテレ
ビ番組で見た厳冬の中でじっとしている寒立馬の姿が、何んの脈絡もなく頭の
中にコラージュして浮かんでくる。「なんなんだろうこの感覚は・・・」訳の
わからぬ困惑を感じていると、すべてのイメージがシンクロし、「生きる」と
いう言葉に統合する。どう表現すればよいのか思考の奇妙な体験だった。
尻屋崎についたのは8時前。寒立馬がいる尻屋崎灯台へ向かう道は入り口付近
にゲートがあり、時間にならないと入っていけない。しばらくゲート付近に併
設されているビジターハウスの中に入り資料を拝見した。事前に寒立馬のこと
をよく調べづにここまで来たが、資料によるとこの付近にいる寒立馬は「ノラ
馬くん」ではなく、ちゃんと放牧されている馬であるらしい。ちゃんと飼い主
もいるという。そうこうしている間にゲートが開く時間が来たので灯台へ向か
った。
ゲートから5分ほど走ると白い灯台が道の先に見えた。テレビや写真で見た風
景が広がっている。晴れ渡り気温も高いはずなのに風が強く寒い。きっと冬の
間は想像以上の寒さなのだろう。灯台から3kmほど先に進んだ海岸沿いに目
当ての寒立馬が数頭の群れをつくり草を食んでいた。
群れに近づき、じっとその光景を眺めていると、こちらを意識することなく黙
々と草を食んでいる。サラブレットと比べると1回り以上小ぶりで、思った以
上に図太い足をしている。小さな丸太のようなしっかりした足だ。
もともと寒立馬は農耕馬として徴用されていた。
しかし、時代の変化の中で機械が役目をとってかわり、経済的な活躍の場を奪
われ、行き場を失ってしまった。一時は9頭まで数も減り、絶滅の危機さえあ
ったという。いま寒立馬は多くの支援者の活動を受け、県の天然記念物に指定
された。そして、今心ある支援者は、人と共に働いたり、乗用馬や観光資源と
して地域と人と共存していく道を探りつつ絶滅の危機を逃れようとしている。
寒立馬たちにとって、この厳しい環境は果たして望むべき環境で幸せな場なの
だろうか。サラブレットのように颯爽と走りゆく姿を夢見ているのだろうか。
つらい厳冬の中で息をハァハァさせる生活に幸せを感じているのだろうか。
そんなことを考えながら3頭の馬を眺めていると、背後の松林から突然2頭の
親子がやってきた。その後、馬たちの群れに入り一緒に草を食んでいた。しば
らくして母親らしき先ほどの母馬が突然ブルブルと鼻を鳴らせたかと思うと、
来た道を戻り始めた。ほかの馬たちもその後を追っていく。松林に入ろうとし
た時、母馬が一瞬足を止めヒヒヒィーンと声を上げ松林に姿を消した。
寒立馬を見たい一心でここまで来たが、道中で考えさせられたことはまさに結
論の出ないことばかりだった。
今時代は急激な変化の黎明期にあるという。人間にとって代わる頭脳が現れた
時、人間本来の役割や存在の意味は果たしてどうなるのか。生物の多様性、社
会の多様性、働く現場での多様性。多様性とは、それぞれの違いを認め豊かな
個性とつながりのことをいう。
進化、発展、そして多様性という重要なキーワドと共に「働くことと、生きる
こと」というテーマをいろいろな場面を通じて、じっくり考えてみる機会を大
切にして行きたいものである。