ゆにおん・ネタ帳

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2017年

オピニオンダイバーシティ(意見の多様性)
加藤瞳
2017/01/15

日本人は「内集団(ないしゅうだん)」を作りその中にいることで安心感を得る傾向にあります。「内集団」とは、個人が自らをそれと同一視し、所属感を抱いている集団で、「外集団(がいしゅうだん)」とは「他者」と感じられる集団で競争心、対立感、敵意などの差し向けられる対象となるものです。この言葉はアメリカの心理学者ウィリアム・グラハム・サムナーが提唱したもので、簡単に言うと「仲間=内集団」「敵=外集団」ということになります。

「内集団」にいる安心感が、実は「内集団ひいき」という「同調し合えている集団以外は排除したり否定したりするという心理」を生み出してしまっています。またその集団の一員でいることにより安心感を得ているために、自分の思いや意見は「仲間」が基準となってしまい、自分の意見を考えることがなく、自分の意見を持たなくなるという危険性を生み出しています。

そんな日本人の傾向がある中で、組合活動として「意見の多様性を受容できる人や職場環境づくり」に取り組んでいく必要があると考えています。今、ダイバーシティの取り組みが国だけでなく様々な企業・組合で行われています。中でも「女性活躍」といったジェンダーダイバーシティに力を入れているところが多いのですが、根本にあるのはオピニオンダイバーシティ(意見の多様性)の取り組みであると私は思います。自分の意見を言うとどう思われるのか、変に思われるのではないかという不安が私たちの心理にあり、つい他者の顔色をうかがいながら自分の意見を変えて発言していると思います。「様々な意見があっていい」と皆言いますが、本当のところでは違いを受容できていないことが多いと感じています。

そういった違いを受容できること、自分の意見を持ち発言できる職場環境づくりが、働く安心感と働きがいに繋がっていきます。組合で取り組んでいるレクリエーション活動や職場集会、勉強会、オフサイトミーティング、異業種交流などはそれに繋がる活動ではないでしょうか。
様々な違いを受容できる環境づくりに向け、j.unionとして支援できることをこれからも考えていきたいと思います。

■どんな未来を描けますか
細越徹夫
2017/01/08
 私の母は、旧制中学校を卒業後すぐに就職した。60年以上も前のことである。
当時の社会情勢を考えるとさほど珍しいことではなかったようだが、
就業者のほとんどが高校・大学を卒業後に就職する今日を考えると、厳しい時
代だったと感じずにはいられない。その母が、最初に就職したのは当時創業ま
もない地方のスーパーマーケットだった。

そのスーパーマーケットは、今でこそ、地方を代表する総合スーパーの一つに
名を連ねる大手企業となったが、当時はまだまだ地方の商店にすぎなかった。
「スーパーマーケット」と言う言葉が日本で広まったのは、1952年に大阪の旧
京橋駅に開業した「京阪スーパーマーケット」がきっかけというから、母の就
職先は、当時の先端的な人気業種だったと思われる。
国内ではまだ専門の小売店が全盛のころ、食料品や日用品など幅広い商品を取
り揃え、買い物をする人はセルフサービスで買いたいものを選ぶのだから、当
時としては販売する人の仕事内容や就業意識も他と比べ随分違って感じられた
ことと思う。

そのスーパーに一昨年仕事がらみで訪問することになった。私自身も幼少のこ
ろからそのスーパーのことはよく聞かされていたこともあり、訪問のことを母
に話した。すると、日ごろうかぬ表情の母が明るい表情で当時をなっかしむよ
うに、記憶の断片を話してくれた。
「店では、お菓子を担当していたのよ。今みたいに土日が休みという時代じゃ
なかったから、大変だったけど仕事は楽しかったの。仕入れるお菓子だって、
自分でおいしそうなものを仕入れて売ったりしたものよ。」「他にお店を出店
するときなんか、妹と3人で一緒に行って店を手伝ったり、お店のみんなと熱
海に行ったこともあるのよ。久子は計算が得意だったから重宝されて、奥さん
がよくしてくれたわ...」
普段は表情も暗く、ほとんど笑顔も見られない母なのに、当時の出来事を思い
出すごとに新たな記憶がよみがえり、なぜか生き生きしていくように感じられ
た。母にとって働ていた時代の記憶は、他の思い出にもまして懐かしく、楽し
く、ほほえましい出来事に満ち満ちていたようだ。

昨年のクリスマスに銀座ソニービルで開催されていたIt's a Sony展を見に行
った。ソニービルのリニューアルを控え、歴代のソニー製品がフロアー別に見
れるとあってたくさんの見学者で溢れていた。ソニーと聞くと時代を風靡した
数かずの家電製品がある。それら製品の多くは、その時代の懐かしい思い出と
共に記憶されている方も多いのではないだろうか。
それらの懐かしい商品が、古いものから年代順にフロアーごとで展示されてい
た。

私の記憶に残っているソニー製品といえば、スカイセンサーという製品がある。
私が小学生のころ発売された短波放送が聞けるラジオである。AM放送とFM放送
に加えて短波帯の受信機能を備えたマルチバンド対応のラジオは、そのデザイ
ンの斬新さも手伝い憧れの製品だった。

当時、一時期同級生の間で、海外の短波放送を受信し、受信したことを証明す
る受信確認証(ベリカード)をもらうというBCLという遊びが流行っていた。
そのための短波受信機としてスカイセンサーは憧れのラジオだった。小学生の
私には、高価で手に入れることができないまま、同級生数人が自慢げに持ち歩
いていたスカイセンサーをわくわくしながら見せてもらったことを覚えている。
その憧れのスカイセンサーが展示会場で透明なケースに収められ展示されてい
た。

他にも展示物の中には、今でも記憶に新しいウォークマンがあった。歩きなが
ら音楽を楽しむという新たな文化を創造した製品である。そのウォークマンの
CMでとても印象に残っているものがある。ニホンザルが耳にイヤフォンをつけ
て気持ちよさそうに音楽に酔いしれ、It's a Sonyのボイスで締めくくられたC
Mだ。サルのアップ映像から始まり「どこまで行ったら未来だろう」のナレー
ションで終わる。

フロアの壁面にはめられたマルチビジョンでしばらく映像を見ていると、ふっ
と働いていたころの記憶を楽しそうに語る母が思い出された。
私にとってウォークマンの記憶は、就職して間もなくの記憶だったからなのか
もしれない。当時を思い出すと、上司や先輩に叱られたことや、つらかったこ
とが思い出される。しかし、それ以上に一緒に働いた仲間や上司と語り合った
夢や未来への想いが大切な記憶としてよみがえる。

人生の中で大切なものは何か、「仲間と一緒に仕事ができること」と応えたい。
2016年、今年も大きく変化するであろう未来だからこそ、多くの仲間と夢や未
来を語れる関係性を気づいていきたいと思う。「明るい未来を思い描くこと」
を忘れぬように。
不安材料を集めても「要求案」にはなり得ない
大川 守
2017/01/01
長生きがリスクと思える時代に

私の祖父が95歳で他界したのは、私が中学生になったばかりの頃であった。
祖父には父を含めて7人の子と、私を含めて23人の孫がいたので、田舎の葬式には大勢の参列者がいて、
大人たちが口々に「おじいさんは大往生で幸せだ」「自分もじいさんみたいに長生きしたい」などと言っていたのが鮮明な記憶となっている。
これは極めて個人的な私の思い出だが、昭和50年代半ば(1970年代後半)は、「長生き=幸せ」を疑う人はほとんどいない時代ではなかっただろうか。
翻って現代はどうか? 医療技術の進歩もあり平均寿命は着実に伸びたものの、核家族化と少子化の副作用として老後の生活不安、
健康不安を感じる人が増えている現実がある。また医療費の高騰と介護施設やサービスの不足は社会問題化しており、
自分自身や身内の「長生き」を長寿と捉えず、むしろリスクと考える社会になってきているのではなかろうか。

あらゆる世代・階層に将来不安が広がっている?!

総務省による「貯蓄動向調査」「家計調査」では、若年層の貯蓄動機が1990年代以降高まってきており、
その理由として老後の不安や子の養育費など将来の生活設計への不安が挙げられている。
これは年金や医療などの財源が不足し、十分な社会保障が受けられなくなることが予想されているからだ。
また子を持つ親世代は教育資金の負担が大きく、習い事なども含めた教育費は拡大傾向にある。
社会保障(公助)や特定コミュニティの助け合い(共助)が期待できなくなる分、自助の意識が高くなり、
結果として貯蓄を優先するという心理が消費を抑えるため、デフレ脱却は困難なものとなっている。
他方で企業経営者にとっても不安要素が多いのが現代だ。企業から見た外部要因の為替変動、
エネルギーや素材価格の大幅変動、世界的需要の潮流変化などで経営見通しが立てにくい状況が続く。
個人消費同様にリスクを想定すると積極投資よりも内部留保を拡大したい心理が働き、固定費も抑制したいのが経営者心理なのだ。

一億総活躍社会より、一億総イキイキ社会へ

現内閣の打ち出す「総活躍社会」の「活躍」とは何を指すのか? 
おそらく社会に貢献する何らかの職について、自らの収入で生活の糧を得るようなイメージであろう。
確かに失業者や貧困者を減らし、すべての国民が経済的にも自立できている社会は目指すべき方向性にも思える。
しかし、例えば一定期間を育児に専念することや、身内の介護や家庭内外の世話役を担うなど、
貨幣的な対価を得られない役割を担うことにも大きな価値があると私は考える。
また、いつの日か隠居生活で余生を謳歌するのも大いに目指したい生き方だ。
つまり、すべての人が自分らしくイキイキと生活できる社会こそ目指したい世の中だと思う。
戦前の国民総動員を彷彿とさせる「一億総活躍社会」は、社会保障の財源確保が困難でありながら受給者は増え続けるわが国において、
社会保障を受ける側ではなく負担する側でいつづけなさいとのメッセージにも思える。

何を根拠に要求案をまとめるのか

雇用労働者にとって、現在の生活資金の不足がある場合には要求根拠をまとめやすいし、労使交渉の交渉材料にもなりやすい。
したがってインフレ率(消費者物価上昇率)が高い場合は実質賃金維持のためにも賃上げが実現しやすい。
反対にデフレから脱却せず、物価が安定している場合は賃上げ交渉も成立しにくい。まして企業の業績見通しが不透明ならばなおのことである。
誰もが抱える将来不安を緩和するための賃上げ要求は論理的に無理があると言わざるを得ない。
仮に5%程度の賃上げが数年間継続すれば話は別だが、現在の日本経済はそのような環境ではないのは明らかだ。
それでは何を持って要求案をまとめるべきなのか? やはり労働生産性を高めて現場レベルから企業業績の向上に寄与していくことしかないであろう。
まさに現場発の「働き方改革」。そのためにも組合員にはプロフェッショナル度を高め、チームパフォーマンスを高めることが求められる。
だからこそ明るく楽しく元気よく、職場をイキイキとさせるリーダーシップが求められている。労働組合の役割は拡大している。