自宅マンションの隣には、以前から若いご夫婦が住んでいる。それほど親し
いわけではないが、顔を合わせれば挨拶する程度のご近所付合いだ。
そのお隣には、小学校低学年の女の子がいる。以前から廊下でたまに見かける
ことはあったが、話したことはなかった。
私の住んでいるマンションでは、朝、小学校に通う子供たちが1階のエントラ
ンスで待ち合わせし集団で通学している。エントランスにはいつも5、6人の
小学生が待ち合わせしており、隣の女の子もほかの小学生と一緒になって集ま
っている。
待ち合わせをしている小学生の前を通り、「おはよう!」と挨拶すると元気に
「おはよう!」と挨拶してくれる子も多いのだが、何故か隣の女の子から「お
はよう!」の声を聞いたことがなかった。もしかすると、怖いおじさんに声を
かけられたっていう気持ちなのかもしれない。
そんな折、今年の夏の初めくらいから、待ち合わせ時間が変わったのか、朝の
出勤時にエレベータで一緒になることが多くなった。はじめのうちは、「おは
よう!」と声をかけても知らぬふりである。その後も毎回「おはよう!」と挨
拶しても無視である。まぁー小さな女の子である。警戒心がそうさせるのだろ
うか。「実家の姪も無口だったし、内弁慶だったからなぁ・・・」と、自分を
納得させつつもなんとなく気にかかる。
ところが、先月の初めごろから隣の女の子に「おはよう!」と声をかけると、
軽く「うなずいて」くれるようになった。まだ「おはよう!」とは言ってくれ
ない。たったそれだけのことなのだが、自分としては、なぜかワクワク・ウキ
ウキである。
何がきっかけなのかはわからない。でも、「おはよう!」という言葉に応えて
くれたのがとても嬉しいのである。たぶん、隣のご家族と親しくしていて、お
父さんやお母さんが一緒にいて「ちゃんと挨拶しなさいね」と言われれば、す
ぐにでも挨拶してくれたのだと思う。そうではなく、自分から挨拶しようとし
てくれているのが、とっても嬉しいのである。
さて、労働組合の活動は、そのすべてが人と人とのつながりを大切にする上
で成り立っている。それは、物理的なつながり以上に、心のつながりという
信頼関係から成り立つ活動である。そのつながりが、組織全般で薄れている
状況にあって、職場という最も身近な「場」にさえ及んでいることは由々しき
事態である。
私はご機嫌な職場づくり運動の実行委員を務めているが、この運動は「心のつ
ながり」の再生を図る運動でもある。そのためにお互いを知り、お互いを認め
、そのための手段として「話し合い」を基軸とした活動を提起しているのだ。
しかし、この運動にほとんどの組合役員は共感してくれるが、実際に一緒に活
動しましょうというところはまだまだ少ない。このような活動が必要だという
「思い」を「行動」につなげることが如何に難しいことなのか痛感している。
「人と人とのつながり」をつくるには、自分から働きかけなければ、心を動か
し行動してくれないものである。どちらが先というものではなく、「自ら」な
のである。しかも、自ら働きかけたとしても、相手が心を動かし行動してくれ
る保証は何処にもない。でも、そうして心を動かし行動してくれることを「信
じて」自ら働きかけるその『勇気』が必要なのだと思う。
私もいつか隣の女の子が「おはよう!」と自らの「言葉と笑顔で」挨拶してくれ
ること、その時を願ってまた明日もおはようの挨拶を通じた『働きかけ』を続け
ようと思う。ワクワク・ウキウキと。