■子どもからの質問「形無し」とは?
本日は、歌舞伎界において型破りな舞台をつくり、新たに歌舞伎ファンを増やしたことで有名な「故:中村勘三郎(18代目)」が、
生前ある対談番組でその秘訣を質問された際のことをお伝えしたい(労働界などで置き換えて活用いただきたい)。
その番組では、「歌舞伎の誕生から400年近くなぜ、歌舞伎は引き継がれてきたのか? マルチメディア時代に、
伝統芸能〝歌舞伎〟のビジネスにも転換期がやってきているが、いかにして生き抜いていくか? さらには多くの組織において後継者問題に悩む時勢、
歌舞伎における後継者育成法など、その歴史に裏打ちされたノウハウに学ぶ」というテーマで司会者から、それらの秘訣を尋ねられた際に、
勘三郎は次のような話をしていた。
『勘三郎(18代目)がまだ中村勘九郎と名乗っていた若かりし頃、アングラ演劇の旗手、唐十郎が主宰する劇団を見て衝撃を受けたという。
唐十郎の劇団は、当時東京都の中止命令を無視して、新宿西口公園にゲリラ的に紅テントの芝居小屋を立て実施していたのだが、
その劇場を見て勘三郎は「これこそ歌舞伎の原点だ。歌舞伎もこれに戻らなきゃいけない。俺もあのような歌舞伎がしたい」と衝撃を受けたのだ。
早速、先代の勘三郎(父親)に直訴したところ「百年早い。そんなことを考えている間に百回稽古しろ」と言われてしまった。
しかし当時の勘九郎にはまったく理解ができずにモヤモヤしていたという。
そんな折、たまたまラジオから流れてきた、子ども電話相談番組で「型破りと形無しの違いはなんですか?」と質問があり、
回答者の無着成恭(僧侶で教育者)がこう答えた。 〝そりゃあんた、型がある人間が型を破ると「型破り」、型がない人間が型を破ったら「形無し」ですよ〟
勘三郎は「 あっこれだ!」と先代の教えの意味を理解した。
以来、勘三郎氏は徹底的に型を習得し、練習に練習を重ね、先代から受け継いだ十八番演目である「春興鏡獅子」の演技に生涯をかけ心血を注ぐとともに、
後継者であるわが子や弟子に対しても幼い頃から徹底的に基本を叩き込んだという。
その土台をもとに、型破りな歌舞伎に精力的に取り組んだからこそ、歌舞伎界の仲間からもお客様からも認めていただけたのである。』
私自身も勘三郎の話を聞いて「なるほど!」とヒザを打った。
■守・破・離
この悟りに共通する教えに、茶道の世界の「守・破・離」というものがある。
このベースは千利休が説いた「規矩作法 守りつくして破るとも、離るるとても本(もと)を忘るな」との教えである。
※規矩作法(きくさほう)…規範となる作法。
【守】まず無意識にできるまで基本を徹底的に習得する。(基本の域)
【破】しだいに基本を破り、応用(転用)できるようになる。(応用の域)
【離】ついには、枠を離れて自分なりの境地を創造する。(創造の域)
※ しかし根源の精神は決して忘れない。 (基本精神)
最近では、基本の型の会得もなしに、いきなり個性や自主性を尊重しがちだが、実は個性を出し、独立したいのであれば、
この「守・破・離」の手順を踏むのがよい。
■「わかっている」ことは「会得している」こととは違う
「知っている」「読んで理解している」「見ているのでわかっている」「聞いている」だけで、会得したと誤解する人が多すぎる。
つまり話を聞いただけで、守にあたる「基本・基礎」を習得したと誤解するのだ。ひどい場合には基本の存在さえ知らず、
あるいは知っていたとしても無視して自分の思いや感性だけで取り組むのが型破りな個性だと勘違いしている人までいる。
まさに、「形無し」のオンパレードである。
そういう形無しの人たちには水泳の例え話がわかりやすい。泳げない人が泳げるようになるには、実際に泳ぎもせずに、事前に水泳のテクニックを聞いたり、
マニュアルを読んだり、ビデオを見たり、実際に泳ぐ人を見て観察しただけではだめである。
泳ぎを会得するには、無意識にできるまで、水の中で繰り返し練習して習得する必要があるのだ。
基礎となる「型」を徹底的に教えること、つまり「型にはめる」ことは、没個性で自主性がないように思われがちだが、実は違う。
型に一度はめることで、基本を覚え、自分で無意識に使いこなすことができるようになると、自然に応用ができるようになり、やがて独自の手法を生み出せるようになる。
一見回り道のようで、実は個性や自主性を出すことの近道なのである。
未熟者の私自身、「形無し」だなと言われないよう、中村勘三郎の教えを胸に刻んで、今後も精進に励みたい。
以上、何かのネタになれば幸いである。