ゆにおん・ネタ帳

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2014年

型がある人間が型を破ると「型破り」、 型がない人間が型を破ったら「形無し」
小野 晋
2014/08/03
■子どもからの質問「形無し」とは?

 本日は、歌舞伎界において型破りな舞台をつくり、新たに歌舞伎ファンを増やしたことで有名な「故:中村勘三郎(18代目)」が、
生前ある対談番組でその秘訣を質問された際のことをお伝えしたい(労働界などで置き換えて活用いただきたい)。

 その番組では、「歌舞伎の誕生から400年近くなぜ、歌舞伎は引き継がれてきたのか? マルチメディア時代に、
伝統芸能〝歌舞伎〟のビジネスにも転換期がやってきているが、いかにして生き抜いていくか? さらには多くの組織において後継者問題に悩む時勢、
歌舞伎における後継者育成法など、その歴史に裏打ちされたノウハウに学ぶ」というテーマで司会者から、それらの秘訣を尋ねられた際に、
勘三郎は次のような話をしていた。

 『勘三郎(18代目)がまだ中村勘九郎と名乗っていた若かりし頃、アングラ演劇の旗手、唐十郎が主宰する劇団を見て衝撃を受けたという。
唐十郎の劇団は、当時東京都の中止命令を無視して、新宿西口公園にゲリラ的に紅テントの芝居小屋を立て実施していたのだが、
その劇場を見て勘三郎は「これこそ歌舞伎の原点だ。歌舞伎もこれに戻らなきゃいけない。俺もあのような歌舞伎がしたい」と衝撃を受けたのだ。
早速、先代の勘三郎(父親)に直訴したところ「百年早い。そんなことを考えている間に百回稽古しろ」と言われてしまった。
しかし当時の勘九郎にはまったく理解ができずにモヤモヤしていたという。
 
 そんな折、たまたまラジオから流れてきた、子ども電話相談番組で「型破りと形無しの違いはなんですか?」と質問があり、
回答者の無着成恭(僧侶で教育者)がこう答えた。 〝そりゃあんた、型がある人間が型を破ると「型破り」、型がない人間が型を破ったら「形無し」ですよ〟
勘三郎は「 あっこれだ!」と先代の教えの意味を理解した。
以来、勘三郎氏は徹底的に型を習得し、練習に練習を重ね、先代から受け継いだ十八番演目である「春興鏡獅子」の演技に生涯をかけ心血を注ぐとともに、
後継者であるわが子や弟子に対しても幼い頃から徹底的に基本を叩き込んだという。
 その土台をもとに、型破りな歌舞伎に精力的に取り組んだからこそ、歌舞伎界の仲間からもお客様からも認めていただけたのである。』
 私自身も勘三郎の話を聞いて「なるほど!」とヒザを打った。

■守・破・離

 この悟りに共通する教えに、茶道の世界の「守・破・離」というものがある。
このベースは千利休が説いた「規矩作法 守りつくして破るとも、離るるとても本(もと)を忘るな」との教えである。 
※規矩作法(きくさほう)…規範となる作法。

【守】まず無意識にできるまで基本を徹底的に習得する。(基本の域) 
【破】しだいに基本を破り、応用(転用)できるようになる。(応用の域)
【離】ついには、枠を離れて自分なりの境地を創造する。(創造の域)
※ しかし根源の精神は決して忘れない。  (基本精神)  

 最近では、基本の型の会得もなしに、いきなり個性や自主性を尊重しがちだが、実は個性を出し、独立したいのであれば、
この「守・破・離」の手順を踏むのがよい。

■「わかっている」ことは「会得している」こととは違う

 「知っている」「読んで理解している」「見ているのでわかっている」「聞いている」だけで、会得したと誤解する人が多すぎる。
つまり話を聞いただけで、守にあたる「基本・基礎」を習得したと誤解するのだ。ひどい場合には基本の存在さえ知らず、
あるいは知っていたとしても無視して自分の思いや感性だけで取り組むのが型破りな個性だと勘違いしている人までいる。
まさに、「形無し」のオンパレードである。

 そういう形無しの人たちには水泳の例え話がわかりやすい。泳げない人が泳げるようになるには、実際に泳ぎもせずに、事前に水泳のテクニックを聞いたり、
マニュアルを読んだり、ビデオを見たり、実際に泳ぐ人を見て観察しただけではだめである。
泳ぎを会得するには、無意識にできるまで、水の中で繰り返し練習して習得する必要があるのだ。

 基礎となる「型」を徹底的に教えること、つまり「型にはめる」ことは、没個性で自主性がないように思われがちだが、実は違う。
型に一度はめることで、基本を覚え、自分で無意識に使いこなすことができるようになると、自然に応用ができるようになり、やがて独自の手法を生み出せるようになる。
一見回り道のようで、実は個性や自主性を出すことの近道なのである。

 未熟者の私自身、「形無し」だなと言われないよう、中村勘三郎の教えを胸に刻んで、今後も精進に励みたい。

以上、何かのネタになれば幸いである。

人事制度の運用力を高めるために組合ができること
松山晃久
2014/07/24
 今回は、組合で実施する人事制度の運用支援に関する活動について考えてみたい。

 労務行政研究所が実施した、「目標管理制度の運用に関する実態調査(2013)」の結果によると、
運用上の問題点として、期初、期中、期末のステージごとに、下記のようなことが挙がっている。
期初(目標設定時)においては、「自部門だけの目標に終始し、関係部署との目標の共有化・連携が
ない(67.3%)」、「組織目標と個人目標との連鎖が弱い(63.7%)」が突出している。
期中(目標遂行過程)においては、「管理者が自分の目標達成や日々の業務に追われ、部下への指導
・支援が十分にできていない(54.7%)」が最も多い。
期末(達成度評価)においては、「面談は部下の自己評価の結果を確認する程度で、今後の課題解決
や能力開発に関する話し合いになっていない(50.9%)」が最も多い回答である。

 一面的な見方かもしれないが、これらを簡略化すると、組織目標を伝える側の意図が伝わっておらず、
管理者の多くがプレイングマネジャーで1人ではフォローしきれない数のメンバーを抱え、本来の目標
面談の目的でもある「育成」という観点が双方からすっぽり抜け落ちているということである。

 j.unionでは十数年前より、組合主導による「目標管理・人事考課」の運用支援を行っているが、
組合役員からこの課題について話を伺っていると、現状としては二歩前進して一歩後退を繰り返しながら、
確実に前に進んでいるようにも感じる。
 支援内容としては、労組主催の研修やアンケートなどさまざまなことを行っている。研修時において
組合員に、制度の課題や問題点を挙げてもらうと、上記の調査結果と同様に、組合員の中に制度や仕組みに
マイナスイメージが刷り込まれ、批判的に捉える意見が少なからず出る。問題の所在を(膨大な労力と
コストをかけて設計した)評価の仕組み自体や自分が評価されないことを考課者側のスキル不足に求め、
当事者であることが脇に置かれたような見解も見受けられる。

「目標管理・人事考課」制度を車に例えるならば、片側の車輪(考課者側)だけいくら整備しても、
もう片側の車輪(被考課者側)がガタガタ、グラグラしていたらアクセルを踏んでも真っ直ぐ走らない。そして事故が起こる。

 目的地――組合員がこの会社においてやりがいや働きがいを感じ、自分がこの会社で、どのような仕事、
人生を歩みたいのかが描かれ、上司と協働して成果を上げて、顧客や市場から評価を得ること――に着くのはおろか、
遠回りし、わき道に逸れていく。エンジンがストップする車もある。中にはより自分を評価してくれる
会社を求め退社していく組合員もいる。
 これはあまり幸せなことではないだろう。

 乗り越える鍵は少なくとも3つある。

 一つ目は制度設計のビジョンがどのようなものかを設計側が丁寧に語ることである。
何度でも、どの階層においても、経営トップ、人事担当者、職場の考課者が、制度を設計したビジョン、
会社がこういう組合員の集団にしたい、このような職場、会社組織を目指したい、そのためにこのような
制度を設計したのだということを、伝えることである。会社が配る人事制度冊子には、せっかく素晴らしい
設計思想が書いてあるのに組合員には伝わっていないことが多いので非常にもったいない話である。

 二つ目は制度の理解度・納得度を高めることである。
具体的な手法としては制度を分かりやすく解説した冊子を配るなどである。また労組がアンケートを取り、
結果を労使双方へフィードバックすることで、現場での改善を促し、理解を促進する効果もある。

 三つ目は被考課者が当事者意識を持てるよう、組合主導で働きかけることである。
制度を理解するために組合役員対象(中執や支部役員)に学習会を実施し、職場委員や組合員に伝達していく、
あるいは直接組合員を集める機会を持って学習会を開催することで、制度に関して前向きな視点への転換を図る。

 目標管理制度の運用に悩みを抱えている組合の役員の方はご一報ください。
実態を把握し(目標管理調査)、理解を促進する活動(目標管理ハンドブック、目標管理・人事考課傾向と対策セミナー)
など多角度から具体的にご支援します。

個に依存しない組織づくりへ
小林 薫
2014/07/18
睡眠時間を削っていたサッカーの大会も終わり、徐々に日常の生活時間に戻ってきました。今年の楽しみが早くも終わってしまったような、寂しい気持ちになっています。

様々な試合のドラマがありましたが、準決勝のドイツ対ブラジル戦が最も衝撃的だったのではないでしょうか。攻守の要を欠いたブラジルは脆く、7失点の末に敗れてしまいました。

個に依存する組織の脆さ。超スーパースターはいなくても、全員が平均以上の力を発揮する組織の強さ。労働組合の人材育成もこのようにありたいものだなと感じました。

カリスマのようなリーダーがいたり、業務で培ってきた経験を発揮する執行委員がいたり、彼らが在籍しているときには、輝きを放つ活動を展開できることでしょう。しかし、その能力に依存し、組織内でノウハウを蓄積できなければ、その輝きも任期と共に消え失せてしまうことでしょう。

専門部の執行委員が全てを取り仕切ってしまうのではなく、専門部内での役割分担をすることで、下の階層の役員も経験を積み、次第に執行委員と同じようなことができるように成長します。改選期での活動力が低下することを予防するためにも、チームでの活動や役割分担を心がけてみてはいかがでしょう。

「参加なくして未来なし」
藤栄麻理子
2014/07/13
「参加なくして未来なし」

この言葉、ちょっとドキっとした方もいらっしゃるのでは?
これは「国・行政のあり方に関する懇談会」の中で生まれたキーワードだそうです。
バブル崩壊、長引くデフレ経済、加速していくグローバル化に少子高齢化……
世の中がめまぐるしく変わっていく中、「持続可能な社会」をつくるために
国や行政はどのようにあるべきかを話し合う場において、
「これからは自立・参加型社会」ということが一つの方向性として導き出されたのは
なかなか意義深いことのように感じられます。

初めてこの言葉を聞いたとき、「あ、組合活動とおんなじだ」と
ちょっと痛いところをつかれたような、でも胸がすっとするような、そんな気持ちになりました。
組合員の構成もニーズも多様化しているうえ、「組合員の組合離れ」は大きな課題に。
永きにわたって組合が存在する価値を支え続けてきた春闘の変容。
内部的にも外部的にも、大きな変化の時期にあって、
組合活動もまさにそんな岐路に立たされているのではないでしょうか。

『国のあり方懇談会』の構成メンバーでコミュニティデザイナーである
山崎亮氏は、次のように語ります。

「参加なくして未来なし。だけど、楽しさなくして参加なし、も忘れちゃいけない。
 どんなに社会の役に立つことも楽しくないと(地域の住民には)続けられない。
 ただ、与えられて消費する楽しさだけじゃなくて、自らつくりだす楽しさが大事。」

山崎氏のお話は地域コミュニティでの課題解決ですが、組合活動にも同じことが言えそうです。
もちろん「組合員の参加が大切」ということは、たくさんの組合幹部のみなさんが
痛いほど感じ、その参加を促すためのあれこれに苦心されていることでしょう。
しかし、もしかしたら私たちは「いかに楽しさ(やメリット)を与えるか」に少し囚われすぎていたのかもしれません。
組合として「やるべきこと」と組合員さんが「やりたいこと」「できること」、その3つが重なり合うところを
一緒に議論し、その「やりたいこと」ができるようにサポートしていくこと。
実はそんなシンプルな取組みに、これからの組合のあり方のヒントがあると思います。

参加なくして未来なし。そして、楽しさなくして未来なし。
一人ひとりが活動の中に楽しさを見出せたら、組合活動の未来はもっと多様でわくわくできるものになると思います。
今までのやり方をガラリと変える必要はないけれど、少し視点を変えてみたら、もっと豊かな風景が広がる。
なんとも勇気づけられる言葉を胸に、これからの活動のあり方を探って行きたいと思います。

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『国・行政のあり方に関する懇談会』の詳細はこちらからどうぞ
 http://www.cas.go.jp/jp/seisaku/kataro_miraiJPN/


人手不足にどう対処するか
大川
2014/07/06
「人手が不足している」職場が激増中

ここ2~3年、多くの労働組合執行部から「人手不足が深刻だ」とお聞きすることが多い。
メーカーであれば製造現場で、サービス業であれば販売・接客の現場で、間接部門であれば業務スタッフが、とにかく不足しているとのことである。
大手外食産業ではアルバイト・パートスタッフの不足から営業時間の短縮に踏み切ったり、閉店を余儀なくされるまでの人手不足に陥り、報道でも話題になっている。その他にも建設業・運輸業・医療福祉などの分野でもことごとく人が足りない事態が続いている。
 企業内の人員構成のゆがみも問題に拍車をかけているようだ。具体的には30代半ばから40代前半・半ばまでの層が極端に少ない。長年にわたる不況で新規採用を絞り込んでいった結果、ベテラン層と若年層に2極化して調整役・指導役を担うべき世代が不在の職場も増殖中なのだ。
 そのような職場では「やらせるだけの人」と「やらされるだけの人」、「自分のことしかやらない人」や「人とはなるべく関わらない人」などが増え、協働関係で生産性を高めるというようなチームにはなりにくい現実があるという。


本当にすべての職場で人手が足りないのか?

私が携わらせていただく多くの組合員研修では、「職場の問題点や課題」について本音の意見を数多く出し、整理分類したうえで議論を深めるようなワークショップを実施している。さらに生産性を落とす要因になっている問題・課題を特定していくと、次のようなことが産業や企業の枠を超えて共通することだと確認できる。
 ①テーマが重複する会議が多い。それぞれの会議が長い。(上司も不在になりがち)
 ②会議前に求められる資料が膨大で、しかも要求内容が細かくて多い。
 ③会議が多い割に重要な情報が伝わらない。相談できる雰囲気や関係性が築けない。
 ④知恵や技術の伝承が進んでいない。
上記のような現象面に関して、背景となる事情について議論をしていくと、「業務効率化」のための数々の施策が裏目に出ているという意見に集約される。
 つまり業務範囲の細分化と責任範囲の明確化を現場に求め過ぎることで、個々人の業務が矮小化してしまっているというのだ。

 ①個々人の業務負荷増大
 ②情報の非共有化
 ③情報共有のための部門内会議
 ④業務調整のための部門間会議
 ⑤決定事項伝達のための部門内会議

このように会議が増えていき、それに伴う個々人の資料準備が増え、根回しや「会議対策会議」まで増えるに至って、本来の仕事を行う時間が削られていく・・・


仕事の「擬似的な」目的が生産性を落としている

私たちの仕事には例外なく目的がある。本来の目的は顧客に喜んでいただける「ものづくり」であり、「サービス提供」なのであろう。しかし大きな組織になるほど前述のような会議と、それを取り巻く周辺業務が多くなり、仕事の擬似的な目的が増える傾向にあるようだ。私の経験則では本社・管理部門系や企画・開発・広報系、さらには法人営業系の職場も比較的「会議関連業務」が多いという認識だ。そして多くの場合は「会議が生み出す
付加価値は決して高くない」という評価が一般的だ。
だからこそ「人手が不足している」という言葉の背後には、本来の仕事を行うための創意工夫や、具体的なタスク(作業)を行うマンパワーが足りないという解釈ができる。決して人材不足ではなく、人手(タスクワーカー)不足なのだ。


現場での打合せ・すり合わせが何よりの効率化につながる

労働組合は長時間労働や休日出勤の多さに対して、人員増加を経営に要求することが伝統的に多い。確かに増収増益で事業計画も拡大基調のときはそれも重要なことだ。問題は利益が伸びず、事業見通しも不透明な状況のときに「人手不足」を訴えても仕方ないという事実だ。
では、どうすればよいのか? 単純だが無駄を徹底的に排除するワークアウト*を実践することだろう。
とにかく会議を減らす。無くす。関連資料も無くしてみる。情報不足を補うために報告・連絡・相談を徹底する。しかも現場・現物・現実の3現主義を実践し、わざわざ会議を設定して業務効率を落とさないようにする。
現場にこそ「仕事本来の目的」を成し遂げるための解があり、臨場感のある課題も横たわっている。同じ場所で、同じ状況の中で考えるからこそ「やるべきこと」が明確になり、「やらなければ」という主体性も芽生える。
このような手段を継続することで、情報共有化のみならず、人材育成や部門間の協働関係など、今失われつつある多くのことが期待できるのではないだろうか。


*【ワークアウトとは】
GE(米・ゼネラルエレクトリック社)の元会長 ジャック・ウェルチ氏が導入し、大成功を収めたといわれる業務改革手法。その基本は徹底したムダ取りで、不必要なこと、非効率なことは一旦止める。もし必要が発生すれば最小の労力で行うという厳格さを求めたもの。



遺言書を書いてみました
渡邉秀一
2014/06/27
 私は生死を彷徨うような大きな病気をしたことがあります。
 現在でも通院をしながら仕事を続けています。
 そんなこともあって先日、遺言書を書いてみました。
 とはいえ、遺言書など書いたこともなく、どのように書いていいのかすら
分かりませんでしたので、「遺言書キット」なるものを購入してみました。
 そのフォームに従って書いていけば完成するという代物でした。

 そもそも「遺言書」ってどんなものなのでしょうか。
 「遺言書」は「遺書」と同じと思われがちですが、「遺書」はこれから死
ぬことを前提に書くもので法的効力はなく「証拠」として残すものです。
 これに対し、「遺言書」は、将来の死は避けられないとしても、生きてい
るうちに家族に対して財産分与や面倒な手続きを軽減する目的で書かれるも
ので、法廷効力もあり、15歳以上なら誰にでも書くことができます。
 法的効力を発揮するためには守らなければならないルールがあるので、
フォームを利用してみました。

 しかし、私にはたいした財産があるわけではないので、その部分はすぐに
書けてしまいましたが、最も時間がかかったのが「家族や親しい友人へ向け
たメッセージ」を書き込むところでした。
 記入欄としては大きくはないのですが、自分の最期に読まれる文章ですか
ら、どんなことを書いていいのかかなり考えました。
 その工程では、自分が今まで生きてきた中でどんなことがあったかを振り
返ることから始まり、たくさんの出会った人たちのことを考えていくうちに、
「あいつどうしてるかな」とか「死ぬ前に会っておかないといけないな」な
ど疎遠になっていた友人のことが頭をよぎりました。
 私の場合、不思議と嫌な思い出より、その人の良いところがたくさん浮か
んできました。
 家族に対しても「子供が成人になったら…、自分が退職したら…、かみさ
んとの老後は…」と、これから生きていく中ですべきことがたくさんでてき
て、「こりゃ簡単には死ねないなぁ」という結論に達しました。
 つまり、遺言書は「死ぬために書くもの」ではなく「生きるために書く書
類」であることに自分なりに気が付きました。

 「遺言書の書き方セミナー」なるものもあるようですが、遺言書を一度書
いてみることをお勧めします。自分のこれまでの人生が一度整理でき、これ
からのライフプランを描くきっかけにもます。
 また、遺言書は何度でも書き直すことができます。ので数年に一度、見直
してみるのも大切ではないでしょうか。

あれ?これって組合のビジョン策定のプロセスに似ていませんか?



「日本一幸せな組合員をつくる!」
佐々木 務
2014/06/22
先日、当社ではある自主映画の上映会を行いました。
タイトルは「日本一幸せな従業員をつくる!」
過去にも事あるごとに当社で取り上げているホテルアソシア名古屋ターミナルの物語です。

4期連続の赤字にあえいでいた名古屋駅前の老舗ホテル。
その再建を任され新たな総支配人として就任したのが柴田秋雄氏。
長らく労働組合の役員を務めた柴田氏の再建策は、リストラでも成果主義でもありません。
「従業員を幸せにする」事を最優先に考えて、ホテルを再建させていくのでした。

まず最初に手をつけたのが人材育成。その背景には当時のプロ意識に欠けた従業員たちに、
自分たちの仕事に誇りと自信を持ってもらいたいと願う柴田氏の強い思いがあったのです。
従業員が参加して経営理念をつくり、みんなで合宿して夜を徹して夢を語り合う…
そんな事を通じて従業員たちの意識が変わっていきます。

やがて従業員たちは仕事への誇りと自信を取り戻し、食中毒を出してしまったレストランに
予約の電話が殺到するほど、顧客からの強い支持を得られるようになっていきます。
従業員はホテルを家族・故郷と呼び、出入りの業者さんたちもホテルとは親戚づきあい
と言っていたり、とにかくいろんな方から「愛されるホテル」になっていきます。

周囲の支持を受けたホテルは当然のごとく業績も回復し、増収増益を続けていたそうですが、
残念ながら駅前の再開発に伴い、2010年9月に取り壊しとなってしまいました。

興味のある方はぜひ、映画を実際にご覧いただければと思います。

なぜこのホテルはそんなにも従業員・取引先・お客様から、愛されるようになったのか?
人材育成などのいろいろな施策が功を奏した。そう分析する方もいるかも知れませんが、
私が感じたのは何と言っても総支配人の柴田氏の「人への愛情」です。

 会社が良くなるのに一番大切なのは、『従業員満足』だ!
 どうすれば、みんなが幸せに働けるか?」をいつも考えんといかん
(従業員に対して)お前たちが大切なんじゃない、お前が大切なんだ!
映画で語られる柴田氏の従業員の幸せを願う言葉には本物の愛情を感じます。


今や「ES(従業員満足)を高めよう」と従業員モチベーションアップ施策があらゆる会社で
行われていますが、経営側の掛け声とは裏腹に、まったく機能しないことも少なくありません。

失敗の理由は実はシンプルで「会社業績の向上」という経営としての目的がその先にあり、
「従業員の幸せ」を心底願っているわけでは無いからではないでしょうか?
だから従業員にとってはすべての取り組みが「やらされ感」になってしまうのです。
本物の従業員への愛情が感じられない経営は、どんな素晴らしい経営手法、人材育成手法も、
従業員にとっては効果がないどころか、むしろ反発されてしまうことすらあります。

そんな時に「会社業績の向上」よりも「組合員の幸せ」を真剣に考えるべき労働組合の役割は
とても重要なものと言えるでしょう。
労働組合がいかに本気で「組合員の幸せ」を考えているか?
「日本一幸せな組合員をつくる!」結局はその覚悟が問われるのだと思います。

どうしたら『人と組織を明るく・楽しく・元気よく』できるのか?
その本質に気付かされた映画でした。

尺取虫について
綱島
2014/06/15
労働組合の活動に携わっていると忠実さや正確さという価値基準とどのように付き合うべきかジレンマに陥ることがあります。
労働組合で実施したアンケートの調査結果を報告書にまとめる時、機関誌の原稿を編集している時、職場集会で組合員へ情報を伝える時……
正確さや忠実さを追求することと、リスクを恐れて消極的になることは本来異なるはずなのに、気が付くと自分の想いを込めた言葉を語り、積極的に創意工夫をして挑戦を導くリーダーの存在が希少になってしまっているということはないでしょうか。

私にはある老翻訳家の言葉が胸に残っています。それは次のような言葉です。

「翻訳をすることは、文章を左から右へ移動する尺取虫になることではない。鼻を高く前へ向けて行われなければならない」

これは1923年にキエフで生まれ、2010年に他界したスヴェトラーナ・ガイヤーの言葉です。彼女はロシアの文豪・ドストエフスキーの長編小説をドイツ語へ翻訳する翻訳家として知られていました。彼女の文学に対する真摯な姿勢と数奇な人生は、2009年にドキュメンタリー映画『ドストエフスキーと愛に生きる』として作品化されています。そして、2011年に開催された山形国際ドキュメンタリー映画祭においても高く評価されました。引用したガイヤーの言葉は、映画の中で彼女自身が語っていた言葉です。

語学が苦手だった学生時代、私はまさに尺取虫だったと思います。辞書と本文の間を行ったり来たりしながら、同じ場所を何度も繰り返し読み直したことを覚えています。たった一頁をめくるために数時間を必要としたことも少なくありません。しかし、わたしはこれが当たり前だと思っていました。文章を翻訳するということは、原文としっかりと向き合いながら、正確に別の言葉へ置き換えていくことだと考えていたからです。

しかし、そうではないと晩年のガイヤーは確信を込めて語っています。翻訳は「鼻を高く前へ向けて行われなければならない」と。つまり、正確さや忠実さを追い求めて文章をなぞるだけでは不充分で、翻訳にはそこに書かれていない言葉さえも読み込むことがしばしば求められているのです。その時、翻訳家の視線は本文を離れ、視線は宙を彷徨うのでしょう。読者の心を震わせるような外国文学作品が「名訳」と称されることがあります。こうした作品の背景には、正確さや忠実さを超越した創造的な行為が隠れているのかもしれません。

「組合員の労働組合離れ」という言葉を耳にすることがよくあります。もしも労働組合の活動が組合員の心に響いていないのだとしたら、私たちは自らが正確さや忠実さを逸脱することを恐れて何度も同じところを行ったり来たりする尺取虫になってしまっていないかどうかについて自問する必要があるのかもしれません。正確さや忠実さは決して疎かにしてよい価値ではありません。しかし、それだけでは不十分だという意味の言葉を残した翻訳家の言葉を受け止めながら、今後も労働組合の次代を担うリーダーの方々と議論を重ねていきたいと思っています。

3年振りの再会
伊東隆太郎
2014/06/08
先日、学生時代の友人たちと会った時のことです。

その中の一人とは3年振りに再会したのですが、彼はこの3年間マレーシアに滞在していました。
日本人学校で先生をしていたそうです(日本に居たときも小学校の先生をしていました)。

マレーシア評を聞くと、国全体がゆったりとしていて、南国らしくてとても良いところだ、
個人的に気に入っている、いつかまた行きたい。としきりに話していたのが印象的でした。

そんな彼を中心に話は進み、「3年も日本に居ないと、知らない出来事や人も多いのでは?」
「そもそも3年前に流行っていたものは何だったか?」という話題になりました。

2011年といえば震災があった年ですが、まずあれから3年も経ったことに少しだけ驚きつつ、
東北出身者が集まった顔ぶれでしたが、特にしんみりすることもありませんでした。

この3年で現れては消えた流行り物や人などについて話しているうちに(本当はもっと下らない内容です)
あっという間にお開きとなりました。


改めて思ったのは、3年とはあっという間だという事、そして先のことは分からないという事でした。

3年前に今の世界情勢や経済状況を予想できた人もいないでしょうし、
これから3年後のことを確実に見通せる人もいないはずです。

数年先の自分や会社、組織のことを思い描くのはとても大切な事ですが、
そこに捕らわれると不慮の出来事が起きたときに、柔軟な判断や対応ができなくなってしまいます。

そして不慮の出来事はいつも起こるものです。

ありたい姿を思い描くのは大切な事ですが、描いた姿が大切なのではなく、
描こうという行為・プロセスの方がより重視されるべきなのではないか、と感じました。

まずは、職場づくりから始めよう
服部 恵祐
2014/06/01
バブルが崩壊して日本企業に「グローバル化」など言葉が叫ばれてからだろうか、企業経営の優先順位が「①ヒト②モノ③カネ」からいつの間にか
「①カネ②モノ③ヒト」の順に変わっていた。最近は、「ヒト」を切って「カネ」を残した迷経営者がマスコミなどで持て囃され始めている。

アメリカ病という過度なマネー資本主義に罹患した経営者のスマートな論理に唆され、組合幹部もいつの間にか組合運動の原理原則であった
「生産性三原則※1:①雇用の維持・拡大②労使の協力と協議③成果の公正配分」、特に最優先の「①雇用の維持(・拡大)」を忘れてしまったかのようである。
また、「働く」ことの意味がどんどん「カネ」に矮小化され、職場の「明るさ」も仕事の「楽しさ」も働く者の「元気」も失われていった。
企業・職場(組織)という生き物が機械論的マネジメントに席巻され、生命体としてのダイナミズムが失われたのである。
「①雇用の維持」を黙認し、「③公正な配分」をと今春闘のベアがついた企業でさえ、「②労使の協力」による生産性向上が見込めない限り、
持続的な賃上げは不可能である。次の「③公正な配分=賃上げ」は、次の消費税10%増税になる不安がもう見え隠れする。

「ヒト(従業員)」を最優先にできなくなった経営に組合幹部も嘆きつつ手をこまねいていたら、組織内の「ヒト(組合員ではない非正規社員ではあるが)」から
自社を大切にしない「ヒト」がでてきた。自社食品に毒物入れたり、自社のお金を使い込んだり、勤務先のノウハウ持ってライバル海外企業に転職したり、
匿名で自社暴露ネットちゃんねるに書き込んだり。この傾向は増殖する一方で減ることはない。
倍返しの「カネ」捻出に経営者も頭が痛い。「ブラック企業」とレッテル貼りされた企業ブランドの回復にも倍返しの「時間」と「カネ」を覚悟せねばなるまい。
この内部崩壊危機を救える一番近い立場にいるのが人と人を組み合わせている組合であることは組合幹部自身が一番理解している。
ただ、「どう行動してよいのか」わからないだけなのである。
企業を去っていかざるを得ない「ヒト」は諦念、怨念、そして沈黙。残された「ヒト」も、明日は我が身なので、山のような仕事を抱え、独りぼっちでキーボードを叩いている。

どうして日本企業の職場が生命力を失い無機質で不機嫌なものになってしまったのだろうか。筆者は「①雇用の維持」を最優先に掲げ、
まず「ヒト」の安心感をつくらなかったこと、そのための「生産性向上」や「イノベーション」を「②労使の協力と協議」によって築く力が低下したことが主因ではないかと考えている。
組織は機械ではない。感情を持った生命体なのだ。組合は、もう一度「ヒト」と「ヒト」をつなぎ、認め合い支え合ってみんなの元気をつくり、「カネ」より大切な「①雇用の維持」のために具体的に動かなければならない。
そのためには、まず「③公正な配分=賃上げ」を最優先するのではなく、「生産性向上(究極は一人あたりの時間単位の付加価値額の増大)」を最優先しなければならない。
組合自らが主導して、環境変化をしっかり受け止め、生産性の向上を組合側からリードして組合員の「プロフェッショナル化」を促進しなければならない。
その取り組みと成果こそが労使の相互信頼を醸成させ更なる「②労使の協力と協議」の好循環を生んでいく。
組合の得意な現場(職場)発のアイデア・提案・自主的改善を労使で協力・協議していくしかない。
「生産性向上」も「イノベーション」の答えも「現場(職場)」にしかない筈である。

たとえば、職場集会を上部団体や中央執行部方針の情報伝達の場ではなく、全従業員のアイデア提案や課題解決の場に再生し、それを労使協働で形にして進めていくこと。
みんなで話し合い、みんなで決めて、全員で自主的に取り組む。こんな面倒で手間暇かかる作業こそ、外国企業が安易に真似できない日本企業の強さである。
個人の育成も大事だが、「摺り合わせるチームワーク」に日本人と日本企業の強みがある。
「まずは、職場づくりから始めよう」である。もし、どう行動してよいかに悩んだら下記の「現場知フォーラム」で一緒に悩んで考え抜き、具体策を生み出そうではないか。

※1…1955(昭和30年)3月に経営者、労働者、および学識経験者の三者構成で「国民経済の生産性の向上を図る」 ことを目的とする日本生産性本部が設立され、「生産性運動に関する三原則」を設定して運動を展開。

【職場強化2回シリーズ】 
現場知フォーラム(無料)開催

①「組合は、なぜ、職場活動ができなくなったのか?」~『ご機嫌な職場づくり運動』から見えてきた職場づくり(組織強化)の3つの壁と対策~
■日時:6月27日(金) 13時~18時30分(西新宿)
■ゲスト:株式会社ジェイフィール代表取締役、高橋 克徳氏(ベストセラー『不機嫌な職場』の著者、「ご機嫌な職場づくり運動」実行委員長)、オリエントコーポレーション労働組合 書記長 河西 芳浩 氏

②「職場の問題は、職場全員で声を出し、職場全員で解決する」~「職場1万人声出し活動へのチャレンジ」~
■日時:7月8日(火) 13時~18時30分(西新宿)
■ゲスト:トヨタ車体労働組合 副執行委員長 山口 智史氏