ゆにおん・ネタ帳

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2016年

安心して発言できる場を
2016/05/08
物事には始まりがあれば、必ず終わりがある。終わりがあれば、その後に新たな始まりがある。昨年末から始まった、ビジョン策定プロジェクトの第1フェーズのお手伝いが先日、終了しました。今はビジョンを実現するための具体的な活動を運動方針に落とし込み、実行力を高める組織体制を検討する、第2フェーズが始まっています。


「ビジョン」、それは将来のありたい姿を具体的にイメージすること。今後10年間の進むべき道を指し示す羅針盤を作成するために11名でプロジェクトが始動しました。さまざまな立場の人たちが集まって、お互いの思いを共有しながら、組織の将来像を作り上げていきます。会議では自分の思いを率直に発言し、他者の意見を認める。集団心理の罠に陥らないように、疑問に思うことは納得がいくまで話し合う。その繰り返しが安心して発言できる場となり、信頼感を高めているように感じました。


【関係の質】が【思考の質】に影響し、【行動の質】が【結果の質】に影響し、そして【結果の質】が【関係の質】に影響するという循環がおきると、マサチューセッツ工科大学のダニエル・キム教授が「組織の成功循環モデル」を提唱しています。全員が役割を認識して関わりあうことで関係性を築き、本音ベースで議論する。深い議論ができることで思考の質が上がる。主体的に参画することで質の高い結果が出る。また、結果が得られることで信頼関係が高まり、さらに関係の質が上がる。「結果の質」を上げるには、プロジェクトメンバーの「関係の質」を上げることが重要だといえるでしょう。


そもそも労働組合とは私たちが願う未来をつくるための組織。一人では叶えられない希望・願い・想いを仲間の力をあわせて実現していく。明るい未来へ向けて、お互いの思いを伝え、本音で語りあう、一歩踏み出す対話ができる場づくりが必要だと思いました。
労働組合と ダイバーシティ  ~意思決定の多様性~
中岡 祐子
2016/05/01
 タレント事務所のオスカープロモーションが1987年から開催している、女性タレント発掘のための「全日本国民的美少女コンテスト」をご存じだろうか?
米倉涼子さん、上戸彩さん、武井咲さん、剛力彩芽さんらを輩出しているオーディションである。しかし、彼女たちが受賞したのは審査員特別賞等であり、
いずれもグランプリは逃している。剛力彩芽さんにいたっては、なんと予選落ちだそうである。ちなみにグランプリを取った方たちは、
筆者がその方面に疎いのを差し引いたとしても、あまり世間に知られていない。

この理由を推測したとき、「審査員の見る目がなかった」「落ちた人が奮起したから」ともいえるが、意思決定を下す人間たちが、誰もが納得する無難な人選をしすぎた結果ということも言えないだろうか。
複数の人の目によって、あらゆる角度から審査を重ねる過程で、多少アクが強かったり、異質な人間が振り落とされていった。しかし、実はそういった部分は、別の言い方をすると個性ともいえ、
生き馬の目を抜く芸能界ではむしろ必要だったのではないだろうか。

この仮説の信憑性はさておき、私たちはビジネスシーンで似たようなことが起きていないかを考えなければならない。ポストがあいたとき、同じ能力の独身女性と妻子ある男性がいるとしたら、
あなたはどちらを選ぶだろうか。組織の複数の人の追認が必要だとしたら、よりどちらが選ばれやすいだろうか。この事例は私が現場で聞いた話であり、実際は女性のほうが能力的に上だったにもかかわらず、
男性のほうが昇格したそうだ。人の意思決定にはバイアスがかかる。私たちは、判断や意思決定の際に無意識に過去の経験に照らし合わせて選んでしまう。この場合、女性はリーダーに向いていない、
男性は家族を守らなければならない、などというバイアスがあったのかもしれない。

日本企業の女性活躍推進がいまひとつブレイクスルーできないのは、このバイアスが強いからではないかと思う。ポジティブアクションの意味は理解していても、
それが目に見える形で成果をなさないのは、現場でさまざまな意思決定が無意識に行われていることを疑ってみる余地がある。
この考え以前に、瞬時にかつ無意識に起こる知的連想プロセスをアンコンシャスバイアス(無意識の偏見)と呼ぶ。

昨今の女性活躍推進ブームにあって、労働組合もこの話題に無関心ではいられなくなった。ということで、「労働組合と女性活躍推進」というテーマでお話をさせていただく機会が増えた。
全国から支部の代表が集まるといわれ会場にいったところ、50人近く集まる支部代表が全員スーツを着た男性であった、というのはもう慣れ過ぎて最近では驚きもしなくなった。
しかし、よくよく考えると、今の世の中でこれだけ男性ばかり集まるのは逆に違和感がある。他の先進諸国より遅れているといわれる経営サイドであっても、もう少し女性がいるはずだ。
いったい労働組合にはどれだけ強いバイアスがあるのかと思う。

言うまでもなく、ダイバーシティ経営の神髄は″違いを弱みではなく強みに変えて競争優位に導く″ことである。従来とはまったく異なるアイデア、価値観が求められるビジネスシーンにおいて、
「無難な選択」しか出来ない組織にはイノベーションが起こりにくい。無難な選択の連続は組織の調和がはかれ、コンフリクト(対立)が起きにくく一見安定しているので、人々に好まれやすい。
しかし、異質な考え方の提案によって組織の中に対立が起こり、既存の考え方が検証されると、それがイノベーションを起こす。長期的に見れば、こちらのほうがずっと強い組織になり安定する。

組合の女性役員育成をしていることもあって、現場の話を聞くことが多いのだが、新しいやり方を執行部会議で提案したら、「前例がない」とか「実現性に乏しい」などの理由で却下されるという話を聞く。
何のために女性役員をつくったのだろうかと悲しくなる。

ただし、バイアスを完全になくすことはできない。重要なのは、自分がどのようなバイアスをもっているかを自覚して、取り扱い方を学び、的確な意思決定をすることだ。
組合活動も、最初からグランプリ狙い(労使間の本質的な問題を突くような取り組みや活動)ではなく、まずは特別賞(女性役員の一見突拍子のないアイデアに耳を傾ける)からでよいと思う。
今までにない新しい視点に可能性を見出せるかもしれない。
労働組合の情報活用戦略(ゆにラボ開催報告)
松山晃久
2016/04/24
 先日、ゆにラボ(※)にて、「どうする?WEBを活用した組合活動」というテーマで組合役員の交流の場の一部を進行させて頂いた。

※ゆにラボとは、大阪を中心に組織活性化のための活動テーマを選定し、探求、研究、議論していく場であり、産別を超えた組合と組合の繋がりも目的としている  
企画の背景としては、本来フェイス・トゥ・フェイスの職場活動をしたいが、組織の状況(広域分散型で組合員の声を拾いきれない)に合った活動、多様なニーズに対応できるよう、組合の情報収集、情報発信力を強化したいという声に基づいて企画した場である。

前半では、労働組合を取り巻く環境変化や、情報活用を進めるにあたり、紙メディアとWEBメディアの長所、短所を話し合ってもらった。
お伝えしたポイントとしては、紙メディアとWEBメディアの特徴を整理したうえで、伝えたい情報をどう活用するのか(目的、ターゲット、コンセプト)を明確にすることが大切である点、媒体ごとの役割を明確化し相乗効果を図る活用の方法、効果検証を行うことなどである。  

参加した半数以上の労組がホームページを開設し、WEBによるアンケートを活用している。 それらを踏まえ、WEBを活用した職場の声の収集方法や、役員内での資料等の情報共有をうまく行っている労組の事例、さらに映像を活用した組合活動(新入組合員向けの組合紹介映像、ワークライフバランス啓発映像)を紹介した。スマホを使ってアンケートも行い、簡単にできることを体験頂いた。

現状の取り組み(情報収集、情報伝達)でうまくいっていること、いっていないことの知恵を話しあってもらい、他の組合のノウハウもお互いに伝えながら、今後のWEBを活用した情報活用の可能性と具体策について議論してもらった。  

まだスタートしたばかりの企画であるが、柔らかい場を目指して、次回以降も組合役員の方同士の組織活性化のノウハウと組合のつながりを掛け合わせた場になるように支援していきたいと思います。

下記に次回のテーマを記載しておきます。ご興味のある方は気軽にご参加、お問い合わせください。

■テーマ
ユニオンビジョン策定・浸透の進め方 ~なぜ、労働組合にビジョン策定が求められているのか?~

組合員の自律を考えるワークショップ~どうする?組合員の働きがい向上活動~



新年度、今年は何をする人ぞ
小林 薫
2016/04/15

19世紀のフランスの心理学者・ピエール・ジャネという人が、主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象を著書に書いています。これは「ジュネ―の法則」と呼ばれるもので、50歳の人にとっては、1年は50分の1になるけれど、10歳なら1年は10分の1の感覚になるので、年齢が若いほど1年間が長く感じるそうです。日常でも、往路は長く感じるけれど、復路は短く感じるものです。

同じ時間を過ごしても新たな刺激が少なければ、どうしてもマンネリになります。仕事でも新しい業務に取り組まなければ、振返った時に「今年は何をした1年だっただろう?」と印象に残らない年になることでしょう。

「今年はこれをやった」「あの年はあれにチャレンジした」、2016年を5年後・10年後に思い出せる1年にしたいものです。年度が変わって、環境を変えて新しい事にチャレンジする人も多いと思いますが、何かひとつやったことがないことに取り組んでみてはいかがでしょう(私は今年、大嫌いなジェットコースターにチャレンジしました)。
人を育てるって?
藤栄 麻理子
2016/04/10
4月。新年度ということで至るところで新入社員の初々しい姿を
見かけることが多い季節です。新しい世界にむかって、不安を抱えながらも
挑戦していく姿に、私もしっかりしなければと気が引き締まります。
皆さまの会社でも新入社員を迎え、研修などが続いている時期ではないでしょうか。

人材育成に関する金言はたくさんありますが、人を育てる、支援する際の姿勢について
あらためて考えさせられる出来事がありました。
それはある組合様でのリスニング(傾聴)研修にお手伝いに伺った時のこと。
2日間かけて「相手の気持ちに寄り添い、安心して話をしてもらう」ことをねらいとして
リスニングスキルを学んでいただく研修の1日目で、ある受講者の方からこんな声があがりました。

「相手の気持ちを尊重するってのは頭ではわかるけど、どうしてもできない。
相談されているんだから、自分がなんとかしてあげるべきじゃないのか。
自分の思った通りに話ができなくてすごくストレスを感じる。」

リスニングの基本的な姿勢は「聴き手(自分)基準ではなく、話し手(相手)基準で
相手の気持ちに寄り添う」ことなので、当然自分の思い通りにはなりません。
「(相手を)助けてあげたい、力になりたい」と思う気持ちはとても大切ですが、
それが強くなりすぎてしまうと自分のその思いを満たすために聴く、という状態になってしまいます。
そうすると結果的に、相手基準ではなく、自分基準の聴き方になってしまうのです。
そこに戸惑い、ストレスを感じることはごく自然なことだと思います。

筑波大学大学院の宗像恒次名誉教授によると、人の欲求は次の3段階に分類されます。

◆心の本質的欲求
①慈愛願望欲求…人から認められたい、愛されたい、受け入れられたい、自分の思い通りであってほしい
②自己信頼欲求…人の評価はどうあれ、自分を認めたい、愛したい、信じたい、成長したい
③慈愛欲求  …人の評価や自分はどうあれ、無条件に人を認めたい、愛したい、受け入れたい、見守りたい

リスニングで求められるのはまさにこの「慈愛欲求」で相手に接するということですが、
これは人に教えられてできるようになるものではなく、自分自身の心と向き合うことによって感じるしかありません。
先ほどの受講者の方がストレスに感じられたのは、慈愛願望欲求が満たされないことによるものでした。
相手基準で聴く、という一見とてもシンプルなことなのに「難しい」と感じられるのには、
自分自身の姿勢の転換が必要だからなのだと思います。

限られた研修時間の中で、どこまでそれを感じていただけるかと不安もあった中で迎えた2日目。
最後に全員で感想を共有した際に、その受講者からいただいた言葉が今も強く印象に残っています。

「昨日はすごくストレスを感じていたけど、今日も何度もやってみて今までの自分基準の聴き方を反省した。
問題解決しようとせずに人の話を聴けると、すごく清々しい気持ちになれると思った!」

自分自身が話し手をした際に、自分の気持ちに寄り添って聴いてもらえたことがとてもうれしく、
それを自分もやりたいと思えたことが、意識が変わったきっかけだったそうです。
見返りを求めず相手のために聴こうという姿勢が、本当に相手のためになるんだなあということを
改めて実感した言葉でした。

「人を支援したい」と思った時に注意しなくてはならないのは、それが自分自身の慈愛欲求に基づくものか、
それとも慈愛願望欲求(支援することで相手から認められたい、感謝されたい)に基づくものなのかを
自分自身に問いかけることではないかと思います。
人を支援する、育てるというのは、本当は自分自身の心の成長なのでしょう。
私もまだまだ未熟ではありますが、この姿勢を忘れずに、相手に接していこうと思います。


経営者諸氏、企業は社会の公器ではないですか?
大川 守
2016/04/03

デフレマインドで世の中が萎縮している

 

バブル崩壊後の長引くデフレ、中国経済の成長鈍化、欧州諸国の財政悪化など、日本でも世界規模でも経済的な将来の展望が見えにくくなっている。一方で国内大手企業の業績予想では、過去最高益が確実視される企業群が多いかと思えば構造不況から脱しきれない企業も多く、業績回復に著しい格差が生まれてきている。

アベノミクスで大胆な金融緩和・マイナス金利政策をしようとも多くの企業は設備投資に資金を充当せず、正社員採用を増やさず、従業員の賃金を大幅に増やすこともなく、内部留保を増やし溜め込んでいる。

先行きの不安から現状維持型や縮小均衡型になり、成長軌道を描かない企業の姿は慎重さを超え、経営が萎縮しているように見える。まさに経営者の胆力が問われるところではないだろうか。

 

お金は足りている。回していないことが問題だ

 

「堅実な経営」と呼べば聞こえは良いが、下請け業者への発注価格を極限まで押さえ込み、本人が望まずして非正規社員のままでいる「不本意非正規社員」の比率を高めているようなことはないだろうか。さらに正社員には過重労働を課して賃金を抑制するというのであれば、単なる“ドケチ経営”でしかない。

短期的に経営指標の改善は進むかもしれないが、長い目で見れば競争力が高く尊敬される企業になり得るはずがないのは明らかだ。

また、そのような“ドケチ経営”が増えてくると世の中にお金が回らなくなり、経済自体がしぼんでしまう。今の日本がまさにそうであり、「決算良し、景気悪し」という合成の誤謬に陥ってしまっている。外貨を獲得してGDP600兆円にするよりも、今あるお金を循環させることのほうが景気は良くなるのだ。

 

生み出す付加価値を適正価格に転嫁せよ

 

“ドケチ経営”をしている多くの経営者も、当然ながら人間性に問題があるのではなく、経営努力が会社の収益に反映されにくい難しい時代だからこそ経営の舵取りに悩んでいるのであろう。わが国の企業は誠実な従業員の献身的な努力で付加価値の高いモノづくりやサービスを実現している。それにもかかわらず、生み出す付加価値に見合う価格で取引できていない「商売ベタ」になり採算性が低いのが悩みの原因だ。

B to C のビジネスでは、モノやサービスの販売時の過当競争で値崩れが起きる。B to B ではアッセンブリーメーカーなど発注者側からの厳しい値引き要請に応えざるを得ない厳しい企業間の過当競争が存在し、サプライヤーは十分な利潤が得られない状況も続いている。

 

自社の利益だけに固執しない、社会の公器としての企業のあり方

 

故・松下幸之助氏は「企業は社会の公器なり」という金言を残されたが、このような時代だからこそ強く共感できる考え方だ。資本主義・民主主義国家としての社会システムの中での企業という視点で考えたい。企業は本業として生み出すモノやサービスだけで社会に貢献するのではない。企業活動の中で多くの雇用を生み出し、雇用労働者の消費拡大によって景気は浮揚する。法人税による貢献もあれば、労働者による納税や地域貢献もある。さらに自社だけではなく数多くの取引先との公正な価値交換活動によって取引先の企業にも雇用や消費拡大の芽が生まれる。

労使の協力で多くの付加価値を生み出し、適正利益を上げるとともに取引先の存続発展にも寄与する共存共栄型の公器であってほしいと願いたい。

私は労働組合役員にも、経営側とこのような価値観の共有を図ってほしいと考えます。



サクラ咲く
渡辺 秀一
2016/03/24
 突然ですがこの数式、何だかわかりますか?

実はこれ、気象庁が桜の開花予想に使うものなんです。
説明としては、「上記式(t:予想気温)より温度変換日数を求め、起算日を2月
15日とし前年秋からの気温経過と気温予報を当てはめた値の積算値が19.6
を超えた日を開花予想日として発表している。」

・・・、え~、あの~、むずかしいっス。

そこで、結構使われていて簡単な開花予想の方法があります。
ご存知の方も多いかもしれませんが、「400℃の法則」と「600℃の法則」
です。
400℃の方は、その地域の2月1日からの「平均気温の累積」が400を超
えた辺りが開花予想日になります。
600℃の方は、同様に2月1日からの「最高気温の累積」が600を超えた
辺りになります。
では、今年はどうだったのでしょうか。
2月1日からの結果を積算してみました。
東京の場合を例にとってみますと、開花宣言は3月21日でした。400℃タ
イプでは3月20日に400を超えています。
一方600℃タイプでは、3月18日に600を超えています。
これだけでみれば、今年は400℃タイプのほうが精度がよかったようです。

原因として考えられるのは、平均気温は寒暖はあるもののだいたい平均並み
に推移していったことに対して、最高気温は20℃を超えた日が3月に3度あり、
2月に何と2度もありました。
しかも、そのうちの1日は23.0℃と5月並みであったことにより差が出たの
ではないでしょうか。
何でも地球温暖化のせいにはしたくありませんが、自然のサイクルが少し変
わっただけで予測が難しくなります。

ちなみに昨年は3月23日の開花宣言に対して400℃が3月26日、600℃
が3月22日と600℃タイプのほうが近かったんですよ。

とはいえ、開花宣言をするのは、気象庁の職員さんが「標本木」を見て5輪以
上咲いていたら「発表」となるわけで、結果としては人間による現場対応です。
今年もニュース映像で、おしゃれな眼鏡をかけた、気象庁の職員の方が、
「きょうはまだ…、きょうはまだ。」とじらされているところをご覧になった方も
多かったのではないでしょうか。

桜の花って、前の年の夏に準備して一度寝て、気温や湿度、気圧などの変化
で目を覚ますんだそ うです。
これを「休眠打破」と言うそうです。目を覚ますためのドリンク剤のような名前
です。

こんな薀蓄をお花見で長々と話すと引かれてしまう場合もありますので、楽し
く食べて飲んで桜を愛でるのが正しい日本のお花見ですよね。

ただし、飲みすぎ注意です!
トライ&エラーでPDCAを回すGoogle
佐々木務
2016/03/23
先日、Googleの研究で、仕事の生産性を高めるポイントが報告されていました。
成功のカギは「心理的安全性」と呼ばれる雰囲気をチーム内に育めるかどうかにあるそうです。

このために労働組合が貢献できることは沢山ありそうですが、私ではうまく説明できそうにないので、詳しい内容は他の記事にお任せするとして、
以前からGoogleの経営について私が感心していることは、会社経営や人事施策について調査と実験を繰り返しながら、よりベターな施策を常に追い続けているその姿勢です。

Googleといえば、20%ルールとか、大きな滑り台がある遊び心満載のオフィスとか、自由でユニークな社風が印象的な会社ですが、
エンジニアなど論理的で分析肌の社員が多いGoogleでは、単なる思いつきや経営者の勘で施策を打ち出しても、社員がなかなか納得して動いてくれないそうです。
そこで調査結果に基づく様々なデータを背景に施策を打ち出し、納得感を得て施策を進める事を重視しているとか。

■マネージャーは必要悪か?
Googleのエンジニア達はマネージャーは重要でないと信じていたそうで、過去にはマネージャー職を廃止した事もありました。
マネージャーは必要悪で、大抵は自分の邪魔をし、官僚主義を生み出すと思われていたのです。

しかし、マネージャーを廃止した後、エンジニア全員を部門責任者ひとりの部下とした結果、責任者があまりにも忙殺され、この実験は短命に終わりました。

マネージャーに対するチームの満足度を調査すると、最高のマネージャーを擁するチームは業績も良く離職率も低く、
マネージャーの質は、社員が会社を辞めるか残るかに大きく影響を及ぼす最大の指標でした。

その後、マネージャー像に関する調査を行い、スコアの高いマネージャーと低いマネージャーの違いを分析し、良いコーチであること、マイクロマネジメントをしないことなど、
8つの普遍的で当たり前の結果ともいえる指標を整理し、その後の人事政策に活かすようになります。

何よりもそれまでマネージャーを必要悪と感じていたエンジニア達が、その重要性をデータに基づいて理解した事が大きいと言えるでしょう。


■採用にどこまで時間をかけるか?
かつてGoogleの採用活動は、ほとんどの社員が週に4~10時間を採用に費やし、最高幹部は丸1日を費やすなど、採用に年間8~20万時間が使われていたそうです。

当時は優秀な人材を見極めるために必要だと考えられていたのですが、受験者ひとりにつき25回もの面接を行うことは、さすがに非効率なのではないかと、
採用者のその後のパフォーマンスなどを数年に渡り追跡調査し続けたところ、受験者を採用すべきかどうかは、4回の面接によって86%の信頼性で予測でき、
その後の面接では1回につき1%しか予測精度は向上しなかったということを実証しました。

その後「4回の法則」を実行に移し、受験者が実際に受けられる面接の回数を制限しました。
この変更でGoogleが採用に費やす平均時間は従来の90~180日から47日に減り、社員の労働時間は数10万時間も短縮しました。


この他にもGoogleは、全世界の社員を対象に様々な調査をし、膨大なデータを基にした人事施策などを実験的にトライしています。
調査の前に立てていた仮説が間違っていたと分かったとき、Googleは素直にその事実を認め、また新たな仮説を立てて調査する、実験する・・・という事を繰り返しています。

完璧なプロダクトを追求するAppleと、不完全でも常に新しいチャレンジを感じさせるGoogle。
非常に対照的な両者ですが、Appleのセンスは真似できないけれども、Googleのトライ&エラーを繰り返し、PDCAを回していくこの姿勢は我々にも見習うべきところが多いといつも感じています。

5年が過ぎて
2016/03/15
東日本大震災から5年が過ぎました。
2011年3月11日、東日本を中心に広がった激しい揺れ、それに続いた津波と福島第一原子力発電所の
事故は、私たちの日常生活の基盤そのものを大きく揺さぶる出来事でした。そして現在も私たちの
社会はその渦中にあるといってよいでしょう。
震災を契機として、この5年の間に多くのことが語られてきました。その中でも人と人とのつながり
や絆という問題は、最も多く語られてきた事柄の一つです。
その中心の一つにボランティア活動があります。多くの労働組合もまたボランティア活動に参加し、
現在も様々な形で復興支援を継続している組織があります。災害時のボランティア活動といえば、
倒壊した家屋の瓦礫撤去や炊き出し、そして物資の支援などを思い浮かべます。しかし、こう
した物質的な支援だけではなく、まさに人と人とのつながりや絆へ焦点を当てた活動も多く実践さ
れていたと言われています。
例えば、多くの避難所で、かなり早い段階から避難住民とコミュニケーションをとるボランティア活
動が行われていました。こうした活動は「避難住民とともにいること」や「会話をすること」その
ものに焦点を当てた活動でした。その一つに足湯ボランティアという活動があります。震災から2年
後に出版された『共感の技法 福島県における足湯ボランティアの会話分析』(勁草書房)には、
この活動の中で交わされる会話の記録が微細にまとめられています。
この本に登場する足湯ボランティアとは、災害のあった地域の避難所や仮設住宅へ赴き、そこの住
民に足湯の提供を行う活動で、両手足のマッサージを行いながら、傾聴活動がなされることが特徴
です。『共感の技法』の著者たちは、この活動を会話分析という相互行為分析のアプローチから実
にきめ細かく記述しています。
ボランティアスタッフが利用者の足を湯に浸し、腕をとってマッサージをしながら、何気ない会話
をしている場面。次第にその語りは悲痛な経験へ変わって行き、語られる出来事にスタッフが戸惑い
ながらも、傾聴を通して最後には利用者と相互の共感に至る。
時には一時間に及ぶ両者の手の動きやまなざしの変化、そして会話の抑揚までもが考察の対象と
されています。

震災後、私はこの本に出会うまでこんなふうに考えていました。

「傾聴」によって安易に共感をしてしまうことそれ自体が、凄惨な体験をされた人間の厳しく重い経
験の固有性を奪い去ってしまうのではないか。それは単に失礼であるだけではなく、暴力的なこと
なのではないのか、と。

読後、「決して簡単ではないが、必ずしもそうではない」と私は思うようになりました。

傾聴を適切に実践することは決して簡単なことではありません。
実践される場面も共感されるべき事柄も異なりますが、組合活動においてもしばしば仲間の苦しい
胸の内に耳を傾けるべき場面があります。
実際、多くの労働組合が聴き方の技術を学ぶための取り組みを組合役員育成のカリキュラムとして
採用しています。そして、弊社でも教授法として洗練されたカリキュラムを企画することを常に心がけ、
多くの取り組みを行ってきました。
しかし、震災から5年が過ぎて改めて思うことは、本当に大切なことは「傾聴の技法」や「共感の技
法」のもっと手前側、聴くことの倫理とでもいうべきものではないかということです。
あの日から5年。自分にできることを模索しながら、きっともう5年は考える続けることになりそうです。
白紙委任状 ~無関心という意思表示~
服部 恵祐
2016/03/06
経済人なので政治の話は距離を置いてきましたが、今夏はこれからの日本を左右する参議院選挙もあるので少し選挙の話をさせてくださいね。
昨年は、2014年の衆議院議員総選挙で絶対安定多数を獲得した与党により、安保法制・労働法制改革法案が強行的に採決された。
採決後、多くの国民から批判の声が沸きあがり、国会デモなども行われた。今は、「論じる」ときではなく、「行動すべき」ときなのかもしれない。
ただ、その政権に力を与えた直近2回の国政選挙を振り返ってみれば、選挙制度(一票の格差、得票率と議席占有率の差が著しい小選挙区=死票も多い)にもいろいろ課題はあるとはいえ、投票率・自民党への得票率・自民党の議席占有率は下表の通りである。
この選挙制度で自民党を信任したのは自民党へ投票した有権者だけではない。自民党の得票率と議席占有率の乖離を見れば、2014年第47回衆議院議員総選挙の小選挙区では有権者の25.3%(52.7%×48.1%)、2013年第23回参議院議員通常選挙の選挙区では有権者の22.5%(52.6%×42.7%)しか自民党に投票していない。
自民党を支持したのは有権者の約4分の1にすぎない。
むしろ、選挙に行かなかった47%以上の有権者の白紙委任状が絶対安定多数と強行採決を追認したのである。
20歳代だけで見ると、第47回衆議院総選挙では67・4%、第23回参議院通常選挙では66・6%が投票していない。
20歳代の約3分の2の方が白紙委任状を安倍政権に渡してしまったのである。
選挙にも行かず、自分の印鑑のついた白紙委任状を安倍政権に渡しておいて、政権与党の安保法制・労働法制改革法案の強行採決反対といっても仕方ない。
ウィンストン・チャーチルの「民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。
これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが」の言葉に倣っていうならば、現時点では最良の政治形態である民主主義の手続きによって意思決定されたのである。
この政権は、我々有権者が選挙に行かないという明確な意思によって選択した帰結であり、現行の多数決選挙では自明だったことである。どんなに選挙に無関心でいても国民である以上、無関係で済ますことは許されない。この法案の結果は、国民が引き受けねばならない。
それにしても残念である。国民を危険にさらし、格差拡大を助長するための法案成立も。投票行動もしないで文句をいう過半数近くの有権者の存在も。
この政治家を生んだのは、我々有権者である。政治家だけを批判している場合ではない。
その被害を一番被るのは、もちろん選挙権のない子供たちである。大人として未来の子供たちにどのような説明責任を果たせばよいのだろうか。
自分に何ができるのだろうか。労働組合に何ができるだろうか。
この国の未来は有権者がつくるはずである。今夏の参議院選挙では、明確な意思表示をしなければならない。
学校のいじめ問題も、職場の社内うつ問題も、選挙も、我々の周囲への無関心という白紙委任状が追認している。
自分が大切で他人でまで関心を払えない。他人事を自分事にできない時代。
無関心こそ、明確な意思表示であることを肝に銘じたい。