ゆにおん・ネタ帳

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2017年

漢字を探ると、日本文化が垣間見える
2017/06/04
 「男」「女」で言えば、部首が「おとこへん」であるなど「男」がつく漢字は「甥」「虜」などわずかしかない。
「おんなへん」など「女」がつく漢字は百数十個あるそうだ。女と家で「嫁」、女と良で「娘」、女が掃くで「婦」「姑」「婚」「嫉妬」「妾」「安」「嫌」……。
男尊女卑・女性蔑視な社会だったことが伺われる。「歴史」を英語で言っても「History=His+story」だから、男尊女卑は日本に限ったことではないのかもしれない。
そんないわれなき性差別が存在した暗黒の時代を経て、1985年日本社会にも「男女雇用機会均等法」が成立し、翌年施行された。
その後の男女雇用の内実はともかくとして法律という外圧が導入されたことは、女性・男性を問わず日本社会にとってもよいことであった。

ただし、1985年にはもう一つの労働法関連の法律が表裏関係のように制定されている。
「労働者派遣法」である。当初の13業務も1996年には26業務と拡大適用され、1999年には原則自由化、2004年には製造業への派遣も解禁された。
ヒトを必要なときに必要なだけ供給できるようになり、合法的に派遣社員は拡大した。
実は女性が中心的に担っていた「パートタイマー」「アルバイト」「契約社員」などの非正規社員も1985年に16・4%だったが2016年には37・5%に激増した。
一部の女性を総合職正社員ともてはやしておきながら、低賃金の非正規社員をこしらえて総額人件費を調整するという無意識の力学が形成されてしまった。
今の格差拡大と貧困をさかのぼると1985年の表裏の労働法改革に突き当たる。
最近、安倍総理の掲げる「一億総活躍社会」の実現に向けた「働き方改革」はどうだろうか。
2017年3月28日、安倍総理が自ら議長となり産業界と労働界と有識者が集った「働き方改革実現会議」にて「働き方改革実行計画」が策定されている。
項目を挙げれば、「雇用の処遇改善」「賃金引上げと労働生産性向上」「長時間労働の是正」「柔軟な働き方がしやすい環境整備」
「病気の治療、子育て・介護等と仕事の両立、障害者就労の推進」「外国人材の受入れ」「女性・若者が活躍しやすい環境整備」
「雇用吸収力の高い産業への転職・再就職支援、人材育成、格差を固定化させない教育の充実」「高齢者の就業促進」であり、実行計画まで示されている。

この内容は、従来の連合の方針や民進党の政策とも合致するものも多いのではないか。
今般の改革が、もし生産性向上という組織都合だけではなく、個人(ヒト)を主人公とした多様な働き方を認め合える社会づくりの一環であればそれは否定すべきものではない。
政府が唱える、少子高齢化に真正面から挑み、「希望を生み出す強い経済」「夢をつむぐ子育て支援」「安心につながる社会保障」の「新・3本の矢」を成功させ
「一億総活躍社会」を実現しようとする精神も、個人の幸せに根ざしているものなら異を唱えるべきではないだろう。
ただし、この議論の裏でもう一つの制度策定への布石が打たれていることも忘れてはならない。
「解雇の金銭解決制度」について話し合う厚生労働省の有識者検討会も同時に進められていることである。組織都合の論理が垣間見られるのである。
有期契約が無期契約になったり、限定正社員が増えるなど、どんなに働き方の選択肢が増えたとしても、金銭で解雇がしやすくなる社会は安心して働ける社会ではない。
雇用の流動化がまだ進んでいない日本においては、不安でしかない。格差拡大という社会は、社会保障も含めて最も経済効率の悪い社会でもある。
多様な働き方の選択の時代の地平には自己責任・格差・無縁社会が待っているかもしれない。2017年の働き方改革を表裏ある改革にしてはいけない。

共働き時代において、「家」に「女(性)」がいて「安(らぐ)」時代は終わったが、「やすらぎ」や「あんしん」自体の必要性は変わることはない。
美辞麗句の背後を洞察する労働組合の慧眼が問われているのである。

異業種交流会から新たなイノベーションを
渡邊祐
2017/05/28

私たちを取り巻く労働環境は日々変化し続けています。また、求められる役割も多様化・複雑化している中で、組合員一人ひとりが自助努力をしない限り、個と組織の成長は鈍化してしまいます。

このような状況に置かれていることは、誰もが認識していると思いますが、まず何から始めたらよいのかがわからず、日々発生する緊急で重要な仕事に追われ、時間だけが過ぎている現状が存在するのではないでしょうか。

人材育成という観点において、労働組合がすべてを網羅した完璧なプログラムを立案し、施策として展開することは不可能と言えます。では、今の時代に労働組合ができることとは一体何なのでしょうか。

私は、組合員一人ひとりが自らの可能性を見出し、今後のキャリアにとって大切なことに対する「気づきを与える機会」を提供することだと考えます。


この「気づき」を得るための機会として「異業種交流」に対するニーズがとても増えています。

自身とは違ったキャリアを歩んできた多様な人材と価値観を共有することで、当たり前が当たり前でなくなり、自分自身の可能性に気づくことができます。また、違う企業の人材と交流することで、自社の強み・良いところを再発見し、帰属意識が向上するといった効果も見込めます。

仕事や私生活における価値観は一人ひとり違って当たり前であり、その違いがあるからこそイノベーションが生まれるのだと思います。しかし、知らず知らずのうちに慣習に捉われ、失敗を恐れるようになり、結果として挑戦をしなくなってしまうのです。これでは人も組織も成長は見込めません。

多様な価値観が存在し、変化の早い時代だからこそできることがあるのではないでしょうか。

※弊社でも若い力で組織を活性化させるための「異業種交流会」をご支援しています。
ご興味のある方はお気軽にお声がけください。

今の労働時間管理から労働組合が取り組むこと
池上 元規
2017/05/21
前週に続き今週も「働き方改革」について取り上げたい。

時間外労働を終日禁止しているA地方銀行の話を聴いて私は驚いた。
原則時間外労働は許されず、毎日全員が定時に退社する。
一方で、そこで働く組合員は幅広い商品対応を迫られ、
上司の業績追求と定時退社時間プレッシャーから
疲弊とあきらめ感で先が見通せていないようだった。

労働基準監督署から是正勧告を受けた、B企業の某労組の現状にも衝撃を受けた
。ここの組織の現状を聞くと、始業時間まで事務所に入ることを禁止している。
これまでは始業前に入室して仕事の準備をしていた。
しかし、仕事とみなされるような内容が多く、労働時間かどうかの判断はグレーな部分ではあるが、
曖昧さを残さないための措置を取っているとのことだ。
始業前に仕事の準備をして仕事を開始するのが一般的だが、
このB企業では労度基準監督署の指導があっての対応だ。
また、「以前は始業前に仲間と仕事の段取りについて話し合ったり、
早く来て忙しい仲間の業務を手伝ったりしていたが、
今はそれもできず働きにくく仕方がない」と組合役員は言っていた。
 

<参考までに>

 ◆労働時間とは
労働時間とは使用者の指揮命令下に置かれている時間であり、使用者の明示又は黙示の指示により
労働者が業務に従事する時間は労働時間に該当する。
(労働契約、就業規則、労働協約等の定めのいかんによらず労働の実態から判断)。
『労働時間の適正な把握のために使用者が講ずべき措置に関するガイドライン』
厚生労働省より平成29 年1 月20 日発表

補足:使用者の黙示の指示による就業時間後の業務は労働時間とみなす

◆判例
〇〇銀行事件大阪高判 (平成13.6.28)
始業時刻前にほぼすべての男性行員が出勤し、終業時刻後も大多数が残業を行うことが常態となっている場合に、
これらの作業に要する時間が使用者の黙示の指示による労働時間と認められ、時間外割増賃金の支払いが命じられた。
 

労働時間管理の問題は以前から労使でルーズになっている傾向があったが、
それが是正されること自体は誰も反対はしないだろう。
また、労使でも特別条項の上限時間を月平均60時間(年720時間)以内とするなど
、経団連と連合とで2017年3月13日の会議で合意している。
これから労働基準法の改正が進み、規制がさらに厳しくなる方向で動いている。

一方で「労働の質」の改善の取り組みは置き去りになってはいないか。
ハード面からグイグイと詰めても働く側は息切れしてしまう。

働く側の意識改革を行い、
お客様にとって付加価値の高い商品・サービスをどうやったら提供できるかを考え、
「労働の質」をいかに高めるかを現場主導で労働組合も取り組まないと、
真の働き方改革にはならない。
また、私生活の過ごし方がモチベーションや「労働の質」にも影響すると考える。
労働組合は組合員一人ひとりが生活の充実に向けて、自分らしい生き方を考え、
自分のスタイルの確立へのサポートとセットで「労働の質」を高めることができる組織だと思う。

「働き方改革」で問われる組合活動の質と本気度
西日本事業部 荏本(えのもと)
2017/05/14

「働き方改革」のキーワードは今や労働界の一大トレンドです。
弊社にも様々なかたちで取り組み支援のご要望をいただいています。

厚生労働省作成の資料には各業界・企業の取り組み事例が多く掲載されているなか、
訪問する組合役員の方々からは
「どこから手を付ければいいのかわからない」「今の活動すらできていないのに……」
という声もちらほらと……。

ワークライフバランス、ダイバーシティなども含め、新しい言葉は新鮮で印象的であり
概念の浸透という意味では効果的です。
一方で言葉に引きずられるように活動の冠に掲げ、中身が置いてきぼりになることも。

組織によって「働き方」の捉え方は千差万別です。
しかし、労働組合は、常に働く人の目線を持ち、現場が今何に困っていて
何を求めているのかを把握し、対応していくことが重要だと考えます。
目新しいことではなく、数十年にわたる労働組合活動で既に先人たちが取り組んでいます。
多くの労働組合の議案書には、(切り込む入口や言葉こそ違えど)既に「働き方」に
関わる取り組みが掲げられているのではないでしょうか。

一気に押し寄せた「働き方改革」のトレンドは、組合役員に突きつけられた刃物のように
労働組合の存在意義、組合活動の品質が厳しく問われている状況ともいえるでしょう。

今の自組織・自職場の課題をより鮮明に浮き出す方法として
「過去の自組織・自職場」との比較、または「環境の違う同じ課題を持つ組織・職場」
との比較は有効です。前者でいえばアンケート調査結果の経年比較による数値推移の検証、
後者でいえば他組織の方との情報交換があります。
知見やノウハウを吸収しつつ、自分たちの現状の課題を明確にすることが期待できます。

j.unonでも各地で随時、インプットおよび他組織の方との対話の場を設けています。
下記にもご案内しています。ぜひご参加ください。
http://j-union.com/-/pands/html/page.php?cd=22936

組織を生まれ変わらせた 弱小球団監督のリーダーシップ
依藤 聡
2017/05/07
ピッツバーグ・パイレーツの不名誉な記録

この原稿を作成していた3月中旬は、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)が開催され、各国の代表が熱戦を繰り広げていました。
今回は、日本は準決勝で敗退し、野球の母国であるアメリカが初優勝となりました。出場選手の中で注目を集めている選手のほとんどがアメリカの大リーグ、いわゆるMLBの選手です。
MLBは全部で30球団ありますが、戦力均衡が進んでおり、ワールドシリーズを制覇するチームが毎年のように変わります。
ところがピッツバーグ・パイレーツという球団は、優勝どころか1993年から20年、連続負け越しという不名誉な記録を続けていました。
そのような状況ですので、観客動員数も低調で球団の財政も非常に悪い、いわゆる貧乏球団でした。

ビッグデータの活用と反発

その低迷から脱却するために、当時の監督のクリント・ハードルは2013年からビッグデータを活用することにしました(莫大な補強費を要しないことも理由の一つです)。
主な活用方法としては、相手チームの打者によって守備位置を変えることです。
野球というスポーツは、捕手と投手以外の守備位置はルールとして決められていません。
しかし、定位置に付くことが100年以上も常識として植え付けられています。
野球は統計データを取りやすいスポーツですので、各打者の打球方向の傾向を把握することが容易にできます。
つまり、この傾向に従って随時、守備位置を変更すれば通常の守備位置ならヒットになる打球をアウトにできる可能性が高くなるということなのです。
データを活用した野球と言えば、ブラッド・ピット主演の映画『マネーボール』で有名になったオークランド・アスレチックスが有名です。
しかし、必ずしもどこの球団でも、うまく活用されたわけではありません。
選手の反発が大きいのです。パイレーツでも、本当にその通りに打球が来るのか? 守備位置を見たバッターが、野手のいない所に打つんじゃないか? 
という声が選手から出ました。さらに、データ分析官は野球そのものを知っていても、プロで一度もプレーしたことのない素人です。
MLBプレーヤーという、いわば野球のエリートにとって、素人から指示をされることには不満を抱いたはずです。

選手たちへの対応

そこでハードル監督は、選手たちに、彼ら分析官をチームの一員として接してほしい、またお互いが対等な立場だと伝えました。
コーチたちには分析官たちに積極的に話しかけるよう促しました。
一方で分析官たちは、選手たちがデータの結果を理解しやすいように、数値で示すのではなく、視覚化することを心がけました。
これによって、選手の理解が大きく促進されました。
しかし、それ以上に納得が得られるようになったのは、実戦での結果です。
ほぼデータ通りに打球が飛び、野手のいない所に打たれることもほとんどありませんでした。
野球は点を取るゲームですが、得点を抑えることも重要です。
守備位置の変更は、得点抑制のための強力な決め手となり、パイレーツの失点は大きく下降しました。
紙幅の都合で詳述できませんが、他にも取ったいくつかの対策が奏功し、ついにパイレーツは2013年に勝ち越すことができました。
それだけではなく、ポストシーズン(その年のチャンピオンを決めるための短期決戦シリーズ)にも進出することができました。

データを活用する前に考えなければならないこと

組織の中で大きな改革を実行するときは、必ずと言っていいほど変化に対する反発が出ます。
今回の事例に沿って考えると、調査結果に基づいて組合活動を大きく変えようと委員長が決断しても、唐突に言われた執行委員や職場委員からは反発が出ます。
仮に調査結果が正しくても、それに基づいて行動する人が理解していない状態では、間違いなくその改革は奏功しません。
強い意気込みを持った発案者と、それをやらされる(と感じている)実行者たちとの温度差をいかになくすかが重要です。
今回の事例では、データの有用性をどのように理解させるか、ハードル監督はそれをわかったうえでリーダーシップを発揮しました。
つまり、重要なのは発案者のゴリ押しにならないように、どのように振る舞うかということです。
このことは調査活動だけでなく、あらゆる活動においても重要なことだと言えます。
なお、今回の事例は角川書店の『ビッグデータ・ベースボール』の内容に基づいています。興味のある方はご一読ください。
地域に根差すということ
清水 典明
2017/04/30
ゴールデンウィークに入りました。みなさんいかがお過ごしでしょうか。

福岡に赴任して10年目、ゴールデンウィークや年末年始はお互いの実家に帰省することが恒例となっており、大型連休の地元での祭りや行事に参加することがあまり無かったなと振り返ってみて感じています。
仕事柄、地域を知るということについて、意識はしてきたつもりではありますが、まだまだだなと。

そんなことを思いながら、ふとある組合の委員長の言葉を思い出しました。
「会社・組合ともに地域の中で生かされている。なので、組合として地域の行事に参加することは、社会貢献でもなんでもなく当然のこと。自分自身も地域に生かされている。なので個人としても地域の行事や祭りにはなるべく参加している。委員長として参加しているわけではないが、結果的に組合と地域との接点にもなれば、今後の活動展開にも良い影響があると考えている」
委員長は隣県の出身で、会社でも地域でも、関係性を作るために、特に組合役員になってからが意識しているとのことです。
また、今後の組合活動は企業内の活動に留まらず、地域の経済活動や暮らす人々の生活を支えられるような活動も必要ではないかと感じ、地域コミュニティとの接点を持つようにしているとのことでした。

企業の発展や雇用確保は、地域全体の成長が不可欠となります。
労働組合にとっても、今後より地域との連携を意識した活動が重要になってくるのは間違いないことだと考えます。
連合体や単組でも、共同での人材育成の機会を設けたり、地域の人にもオープンにした講座を企画したり‥。
また、地域の外部機関や、各種団体との連携を通じての活動をしていくことも有効だと考えます。
私も微力ながら、「繋ぐ」ことを意識していきたいと考えています。

そんなことを考えながら、まずは日程的に地域の祭りに参加(というか見学に近いですが)できそうですので、そこから実践します。

やる気がないのではなく、やる気にさせる
三橋 秀郎
2017/04/23

以前に研修講師として訪問した際に印象に残っている労働組合の紹介をしたいと思います。

その組合には3回ほど、研修会に呼ばれていました。

毎回、前日の懇親会から参加して、執行部の方々とお話しする機会をいただいていたのですが、どの役員も活き活きしていて、「自分たちで会社を変えていきたい!」という言葉が聞かれました。


役員のなり手がいないとよく耳にしますが、この組合ではみんなが役員を快く
引き受けてくれるとのことでした。
後日、書記長に「なぜ役員を引き受け、活き活きと組合活動をしているのか」を聞くと、3つのポイントがあることが理解できました。

1.理由づけ(目的)
なぜ組合で、この活動を行うのか、活動する意味を伝えている

2.選 択
どのような活動をしたいか、本人の意向を確認している

3.承 認
失敗しても行動した行為を認めている


特に「理由づけ(目的)」については、一度説明したからわかっているはずと思いがちですが、活動をしていくうちに活動が目的化しがちです。
何度も目的を説明したり、確認していくことが大事かと思います。


 上記の役員がやる気になるための3つのポイントを参考に組合活動に活かしていただければ幸いです。

プロフェッショナルであること
三浦 卓也
2017/04/16
 
最近、知り合いとメールのやり取りの中で「◯◯のプロだから〜」と言われたことがありました。
正直、ちょっと、いや、相当恥ずかしかったです(苦笑)。
相手は多分、褒め言葉として言ってくれたのですが、、、なぜそう感じるのだろうか….ちょっと考えてみました。
 
 
ネット調べてみると「プロフェッショナル」とは、
ーーーーーーー
語源:英語 professional
名詞・形容動詞
 
プロフェッショナル
    職業的、専門的。
    専門的職業に従事する人。
 
関連語
    類義語:専門家、本職、玄人、プロ
ーーーーーーー
と出てきます。では、現実の世界でこの言葉がどのように捉えられていることが多いか、調べてみました。
 
こんなサイトがありました。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/4716/prodifinition.htm
 
ーーーーーーーー
プロフェッショナルとは、ある分野において、社内はもちろん、広く社外でも第一線で通用する専門知識、実務能力を持ち、自らその分野で価値を生み出すための戦略や方策を立案し、実践できる人材を指します。当該分野における深い知識、豊富な経験が要求されることは言うまでもありません。また、関連する資格を取得し、客観的にもプロとして認められることも必要です。
http://fhs-les.ivp.co.jp/osakagas/education/port.html

プロフェッショナルとは、自らの果たすべき役割を全うすることのできる能力を備えた人間のこと。
http://www.mof.go.jp/saiyou/honsyo/senpaim.htm

プロフェッショナルとは、どんな環境に置かれたとしても、自ら思え、判断し、その判断に対して独立した個人として責任を持ち、説明ができる人間であり、その集合体です。この組織に一歩足を踏み込むと、行動を縛る規則の少なさや、型破りともいえる仲間たちの大胆な言動に驚かれるかもしれません。「こうしなければならない」というルールが少ないこと。それは個々人が自律的でアカウンタビリティを持つプロフェッショナルであることの責任の対価としての証です。
http://www.mckinsey.co.jp/overview/o011.html
 
プロフェッショナル:専門的であること。職業として行うさま。もう一つプロ:あるものごとを、生計の手段として行う人。自分の職業であるとの強い自覚をもってそれにうちこむ人。くろうと。この反対語にアマチュアという言葉があるアマチュア:職業としてではなく、趣味として、物事を行なう人。愛好者。しろうと。生計の手段と考えた場合はほとんどの職業の人がプロフェッショナルなのだ。
http://www.cm-japan.net/20000516.html
ーーーーーーーー
 
こっちのほうがだいぶイメージし易い(笑)
友人に実際どのように思われていたのかはともかく、そういう風に捉えてくれていたんだろうな、
と思いはします。実際、自分がその仕事をして対価を得ているなら、それは「プロ」でしょうし
(なので友人は決して間違ってはいない)でも、そう言われることに恥ずかしさを覚える自分は
いるわけです。
いや、世の中の人、そう感じる人のほうが多いハズ。特に自分を含めた日本人(笑)
 
 
なぜだろう、漠然としたイメージとしての「プロ」って、相当ハードルが高いと思っちゃうんです。
 
わかりやすいのは「プロ」のスポーツ選手の方々で、そのスポーツを生業として、成功すれば、
年に何千万、何百万ともらっているわけです。その人達と同じように、日々の会社での仕事を
生業としている自分達って、同じ「プロ」って言葉で括れないと、まず思っちゃいます(笑)
 
それは理由の一つに、得ている対価(報酬)が原因かな、と。
自分、年間1千万、2千万以上稼いでたら、もうそれは「プロ」って自覚できる、そんな気が
します(なったことないですが)
「プロ」は、その分野で、自分の手足で稼げてなんぼ。それが一つの真実なのだろうな、と(笑)
 
 
逆に、「プロ」は全員稼いでるのか、逆に稼いでなければ「プロ」でないのか、と考えると、
「そうだ、稼いでいる人こそがプロだ!」とは言い切らない自分がいます(苦笑)
じゃぁ、稼いでなくても「プロ」と感じる人、どういう人なんだろうと。
 
 
自分の近くにいる人の中で「あぁ、この人はプロだな」と感じる方々が共通して持っているのは、
 
「自分の『仕事の価値(内容の価値、対価としての価値)をわかっている(いつも考えている)』」
「自分の作業を含めた『仕事全体をイメージ』している」
「『クライアントにとって必要なもの』を適切に捉え『最大限のクオリティで提供』している」
「主張も前に出ることもしない、が、必ずそこにいて支えてくれる安心感がある」
「工夫はしても手抜きはしない」
「どんな相手・主張にも丁寧、だが「曲げてはいけない芯を持ち」、それでいて『柔軟』に物事に対応する」
 
これらを持っている/実践している方々は、稼いでる/稼いでいない、に関わらず、本当に「プロ」だなと
思ってますし、その言葉で片付けられない(かたづけちゃいけない)モノを持っていらっしゃいます。
 
みなさん共通するのは、特定の「◯◯のプロ」ではなく、「仕事のプロ」であることなんですよね。。
そして、目指してプロになったわけではなく、きちんと当たり前に仕事に取り組んでいったことが、
結果として周りから「プロ」と認識された、と。
 
自分も、やれることや成果物は、まだまだちっちゃいことばかりですが、
尊敬できる周りの方々と同じ考え方、捉え方、関わり方ができるよう、当たり前にできるように、
ちょっとばかし「◯◯のプロじゃん?」って言われても、照れずに向き合える自信を持って
生きていきたいと思ってます。
全てはいつか、必ずなくなる
檜垣 沢男
2017/04/10
1ヶ月前、祖母が亡くなった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


その日私は母親からの報を受けて、祖母のいる老人ホームへ向かった。



部屋に入って最初に感じたのが、「臭い」だった。

「“死臭”だ」

私はそう直感した。


「きっと、これが最期の時間になる」


そこには、もうほとんど動くこともできず、辛うじて息をしているだけの祖母が横たわっていた。
顔も体もそして臭いも、私が知っている祖母ではない。



葬式の喪主挨拶で、母は泣くんだろうな。
出棺前には、近所のおばちゃんが「ムメさん、目開けてよ」なんて言うんだろう。


そんなことを「冷静に」考えながら、
死にゆく祖母の顔を、ずっと眺めていた。


祖母はしきりに、何かを訴えようとしていた。 

「息が苦しい」

そう言いたいだけだったのかもしれない。


だが私には、小さい頃から祖母の口癖だった、

「ご飯は食べたのか」

そう言っているように見えた。


「うん、もう食べてきたからね、大丈夫」


私は独り言のようにそう答えて、
およそ思い出しうる祖母との記憶の全てを辿った。


何を話しかけたわけでも、祖母からのメッセージが分かったわけでもなかったが、
あの元気だった祖母の姿を、私ははっきりと思い出すことができた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


祖母の葬儀の2週間後、
当社の社員旅行で東北の被災地を訪れた。

津波にさらわれ、ほとんどの建物が流されたかつての町の中心部に立って、
「あの日」ここでいったい何が起きたのか、ボランティアガイドの方から生々しい話を聞く。


「昨日まであんなに元気で、今朝も何気なく別れたあの人が突然、二度と戻ってこなくなる」


最も私の心に残ったのは、
「突然、身近な人が、いなくなってしまう」ことだった。



その話を聴きながら、私は祖母との最後の7年間を思い出していた。

「これが最期になるかもしれない」

数ヶ月に一度祖母を訪ねる度に、いつもそう考えていた。
そのたびに、だんだん弱っていく祖母の昔の姿を思い出すようになった。



これまで立ち会ってきた「死」の中で最も「冷静」でいることができたのは、
この数年間、「祖母が、もうこの世からいなくなること」をずっと意識していたからだと思う。


祖母は晩年、絵に描いたような「かわいいおばあちゃん」になった。
ホームのスタッフからも慕われ、大きな病気をすることもなく寿命を全うすることができたし、
母も私も、最期の時間を一緒に過ごすことができた。


被災地の「あの日」を想像しながら、
祖母の「最期」を意識し続けた時間が、とても幸せであったことを知った。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


形のあるものもないものも、全てはいつか必ずなくなる。
お金も、仕事も、家族・友人も、そして自分の命も。

それが「いつか」は分からない。
だからこそ、「今」を大切にし続けなければならない。


労働組合の仕事が「いつかこの世からなくなる、組合員の仕事や人生を支えること」である以上、
常にそのことを忘れないようにしたいと思う。
人に歴史あり ~どん底からの脱出!BEST主義の誕生~
小野 晋
2017/04/02
2017年春をもって、弊社創設者の西尾が会長職を退任し名誉職に退くこととなった。
大変恐縮ではあるが、この欄で西尾について紹介することをお許しいただきたい。

延べ2300回以上・10万人以上に講義。著書は30万部を超える

西尾力(にしおつとむ)は、25年前から組合活動に経営学や心理学などの新な視点を加えることを提唱した異端児である。
さらに人材育成の重要性を訴えて労組に延べ2300回以上の講義を実施。
受講した組合役員数は10万人を超える。また目標管理が導入され始めた2000年頃、いち早く「被考課者訓練」を労使で実施することを提唱。
集団的労使関係だけでなく、目標管理を通じた個別労使関係まで労組がカバーすることを提唱した。
執筆した著書『「目標管理・人事考課」傾向と対策』は販売部数累計30万部を超え多くの企業で配布された。
なぜ、西尾は労働組合に深く関与する人生を歩むことになったのか? その原点は高校時代にある。

伝説の高校紛争
~掛川西高校の生徒会長として学園紛争を指揮し逮捕~


西尾は、1951年9月静岡県掛川市に生まれた。
1969年に掛川西高等学校の生徒会長としてベトナム戦争反対デモに参加すると、
数人が停学処分になり学園紛争となる。
全国の高校生に処分撤回デモ参加を呼びかけ、
8月31日には若者300人と機動隊300人が衝突するという伝説の大騒ぎとなった。
西尾は逮捕・拘留され、首謀者として高校を退学処分になる。(「掛西紛争」ウィキペディア参照)

学生運動で獄中結婚、就職で組合役員

その後上京し、ニセ学生として学生運動に傾倒する。
同志の女性が機動隊との衝突で逮捕された際、釈放可能な身元引受人になるべく獄中結婚した。
学生運動の限界を知り1972年に就職した小さな運送会社は西武グループに買収された。
入社後は学生運動の経歴をかわれて西武運輸労働組合の分会役員となり以後専従期間も含めて約16年間、
組合役員として活動することとなる。人生とは全てが何かの縁で繋がっていくものである。

専従期間に社労士と診断士の資格取得、起業

支部で機関紙を担当した後、中央の専従役員を7年務める。
情宣・調査・教育などを担当する傍らで、経営対策における専門性を身に付けようと
社会保険労務士と中小企業診断士の資格を取得したことも人生を変えた。
診断士仲間と遊び半分で会社を立ち上げたのだが、そのビジネスモデルがユニークだったために
マスコミ各社から取材を受け全国紙に掲載されることになり、
会社にばれる前に離職し起業した。当時1989年38歳、無計画極まりない船出であった。

倒産危機から生まれた理論

起業から2年後の1991年、専門知識もなく企業相手に納品したデータに大欠陥があり、
半年間無報酬で復旧しないと賠償1億円という倒産危機に直面した。
資金が底を突く中で危険を察知した社員や役員は全員去って行った。
絶望と孤独の中で夜逃げを覚悟した。
そんなある日、当時小学生の息子の友だちに「おじさんの会社つぶれそうなんだって大丈夫?」と慰められた。
これを機に、夜逃げしか考えていなかったマイナス思考がポジティブ思考に変わり腹が据わった。
「子どもから慰められるというどん底からはい上がって、会社を再建してみせる」この出来事が、
人生を決定づける理論「BEST主義」ができるきっかけとなる。図書館に行き、成功者の書物を読みあさった。
成功者は自分の強みに着目し、両面思考でポジティブな面を見ていた。
自分自身の強みは何か? その答えが、学生運動で大切にしてきた仲間との正義であり、
16年間お世話になった労働組合にあることに気がついた。
西尾は16年活動した組合のことであれば、課題とニーズを理解していると考えた。
さらに自分の強みは労組経験と社労士・診断士の知識であり、
これを武器にして経営学的な視点を持ったアドバイスが組合にできると気づいたのである。
それ以降、ドメインとサービスを労働組合向けに転換していくことを決めて、
教育・調査・情宣・システムなどの組合活動支援事業を展開した。
さらに自らの理論「BEST主義」を確立させ組合に数々の課題提起を行い、
課題解決の支援と貢献をし続けた結果、約3700の労組と取引するまでに至った。

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最後に
この25年間、西尾とご縁をいただいた組合役員の皆様に心から感謝申し上げます。
組合活動や人生に、少なからず影響を与えられていれば、西尾も本望だと思われます。
私たち社員は、西尾が作った「BEST主義」を広げて労働界に貢献することで恩返しをしていく所存です。