総務省が発表した完全失業者は3月から3年5カ月ぶりに300万人を超え、ついに5月には347万人(5.2%)に達した。その一方で、テレビ番組では、これが100年に一度の大不況といわれる時代とは思えない満面に笑みの家族連れの顔が映し出される。
「景気」とは、読んで字のごとく「気」によって動くものだから、「気」が暗くなればなるほど「景気」を悪くしてしまうから、せめて「気だけ」でも元気にしておくことは結構重要なのだ。だから多少財布のひもを緩めてでも家族サービスをすることは景気にとってプラスになることは間違いない。
今回の金融危機の発祥地アメリカでは自動車最大手企業のGMがついに破産法の適用を申請したという。GMといえば米自動車業界のビッグスリー(現在はデトロイトスリーの)最大手だ。負債総額は約1728億ドル(約16兆4100億円)にのぼり、製造業では世界最大となる。日本ではバブル崩壊時に金融機関に対して公的資金(税金)が投入されたが、税金の投入はあくまで金融機関が対象で、製造業などが経営的に問題視されたときでも、企業が負担金を拠出している雇用保険の助成金を受けることで危機を乗り切ってきた。アメリカ政府とカナダ政府による運転資金と再建資金の供給額は約100億ドル(約1兆円)に達する。かつての日本の金融機関に対する税金の投入時、やはり問題となったのは対象金融機関従業員の高い処遇であった。そのときは経営幹部はもちろんのこと、管理職も一般従業員も、すべて給与や一時金を減額して世論の批判をかわした。しかし、その後の業績回復でいつの間にか処遇は元に戻り、多くの業界をしのいで高い処遇の地位を保っている。一私企業のために税金を投入しなければならないことに賛否はあるようだが、経済にとって金融機関は大動脈であり、金融機関の破綻は即経済システムの崩壊を招くから、その救済はやむを得なかったのだが、多くの国民は高い給与を得ている企業への税金の投入に割り切れない気持ちを持ったのも事実だ。
アメリカにおける自動車産業は、企業規模からみても、裾野の関連企業の多さからみても、全体の雇用者数からみても、国民を含めたアメリカ自体の存立を左右する地位にあるといっても過言ではない。今回の公的支援にあたっても、自動車の労働組合(全米自動車労働組合・UAW)との交渉に多くの時間が費やされた。日本と違って公的年金がなく、企業年金で老後の生活を維持しなければならない組合員にとって(すでに年金生活に入っている組合員OBも)、年金の減額は止むに止まれない選択であったろう。そうしなければ現役の組合員の雇用さえ失う場面に立たされたからである。アメリカでもドイツでも、そして日本でもそうだが、先進諸国においては製造業の中で自動車産業の労働条件は高い。グローバル化といっても、先進諸国間だけの競争に限定されてきた産業の特性なのかもしれない。今後、韓国製や中国製、インド製の自動車が日本と対等の競争力を持つようになれば変わってくるかもしれないが。
さて、今回のアメリカの自動車産業の救済をめぐって投資ファンドの頑迷ぶりが浮き彫りにされた。再建のためには企業の債務をどれだけ減らせるかが重要になるが、その債権を有している側の同意が必要になる。最大の債権者は投資をしている側、つまり投資ファンドだ。誰でも自分が儲けのためとはいえ、その会社にお金を投資していれば損はしたくない。しかも投資しているお金もまた他の人から預かっているお金で、約束の利息をつけて返さなければならない。今回も投資ファンドがある程度の債権を放棄していれば、税金を投入しないで済む自主再建が可能だったともいう。
今回の金融危機を招いた俗称「ハゲタカファンド」がいかに経済を混乱させ、再建を阻害させているのかを明らかにしているともいえるのである。
一方、アメリカ政府の公聴会に自家用ジェット機で駆けつけ、年間何十億から何百億ドルもの高額な年収を受け取っている金融機関の経営者に非難が集中した。しかも税金が投入されながら多額のボーナスを支給していたことが明らかになり、アメリカ議会でも問題にされた。さかのぼって課税すべきとの意見も多く出されたようだ。国民感情からいえば当然のことで日本でも同様の主張が多かったように思う。その後、どうなったか承知していないが、冷静に考えると「経済問題」に感情がはいると何か間違いを起こすような気がしてならない。
民主主義国であることの大きな要素に「罪刑法定主義」という概念がある。何か犯罪を犯した人に罰を与えるとき、もともとその行為が法律で禁止されていなければならないということだ。今回の高額ボーナスも会社と該当者が契約していたもので、もし会社が不履行すれば該当者から訴えられ負けるのははっきりしている。つまり、法律で「税金を投入した場合の高額ボーナスは無効で、支給したら『こういう罰則を与える』」ということが決まっていなければならないということである。感情論としては釈然としないと感じるかもしれないが、もし法律で決まっていない行為をした後に、その行為を罰してもいいということになると、その時の政府の都合で犯罪者を作りあげることができるからである。何気ない日常生活の中で、ある時警察が来て「この行為は犯罪だ」として逮捕されるとすれば、まさしく独裁国家、全体主義国家そのものとなる。罪刑法定主義が機能しないとなれば、それはもう民主主義国家といえない。法律的概念と国民感情が相いれないケースだが、翻れば私たち国民一人ひとりに冷静な判断が求められているともいえるのである。反対に、罪刑法定主義であるがゆえに「法律で決まっていないなら何をしてもよい」という腹立たしいことも起きる。そうした場合の規制はひとえに道徳観や倫理観に頼るしかない。本人の自発的辞退を求める意見は、この道徳観や倫理観に期待している証しであるし、遡っての「刑事罰」ではなく「90%の課税」というのも苦肉の策として検討されたのであろう。
私たちが今回の金融危機に翻弄されている中で、派遣労働者のあり方などさまざまな問題が噴出しているが、それらの個々のケースを冷静に分析し、原因を明らかにした上で、新しい経済・雇用システムをいかに作りあげるか、それこそが一番被害を受ける働く人々、すなわち労働組合が考えていかなければならない喫緊の課題なのである。
「景気」とは、読んで字のごとく「気」によって動くものだから、「気」が暗くなればなるほど「景気」を悪くしてしまうから、せめて「気だけ」でも元気にしておくことは結構重要なのだ。だから多少財布のひもを緩めてでも家族サービスをすることは景気にとってプラスになることは間違いない。
今回の金融危機の発祥地アメリカでは自動車最大手企業のGMがついに破産法の適用を申請したという。GMといえば米自動車業界のビッグスリー(現在はデトロイトスリーの)最大手だ。負債総額は約1728億ドル(約16兆4100億円)にのぼり、製造業では世界最大となる。日本ではバブル崩壊時に金融機関に対して公的資金(税金)が投入されたが、税金の投入はあくまで金融機関が対象で、製造業などが経営的に問題視されたときでも、企業が負担金を拠出している雇用保険の助成金を受けることで危機を乗り切ってきた。アメリカ政府とカナダ政府による運転資金と再建資金の供給額は約100億ドル(約1兆円)に達する。かつての日本の金融機関に対する税金の投入時、やはり問題となったのは対象金融機関従業員の高い処遇であった。そのときは経営幹部はもちろんのこと、管理職も一般従業員も、すべて給与や一時金を減額して世論の批判をかわした。しかし、その後の業績回復でいつの間にか処遇は元に戻り、多くの業界をしのいで高い処遇の地位を保っている。一私企業のために税金を投入しなければならないことに賛否はあるようだが、経済にとって金融機関は大動脈であり、金融機関の破綻は即経済システムの崩壊を招くから、その救済はやむを得なかったのだが、多くの国民は高い給与を得ている企業への税金の投入に割り切れない気持ちを持ったのも事実だ。
アメリカにおける自動車産業は、企業規模からみても、裾野の関連企業の多さからみても、全体の雇用者数からみても、国民を含めたアメリカ自体の存立を左右する地位にあるといっても過言ではない。今回の公的支援にあたっても、自動車の労働組合(全米自動車労働組合・UAW)との交渉に多くの時間が費やされた。日本と違って公的年金がなく、企業年金で老後の生活を維持しなければならない組合員にとって(すでに年金生活に入っている組合員OBも)、年金の減額は止むに止まれない選択であったろう。そうしなければ現役の組合員の雇用さえ失う場面に立たされたからである。アメリカでもドイツでも、そして日本でもそうだが、先進諸国においては製造業の中で自動車産業の労働条件は高い。グローバル化といっても、先進諸国間だけの競争に限定されてきた産業の特性なのかもしれない。今後、韓国製や中国製、インド製の自動車が日本と対等の競争力を持つようになれば変わってくるかもしれないが。
さて、今回のアメリカの自動車産業の救済をめぐって投資ファンドの頑迷ぶりが浮き彫りにされた。再建のためには企業の債務をどれだけ減らせるかが重要になるが、その債権を有している側の同意が必要になる。最大の債権者は投資をしている側、つまり投資ファンドだ。誰でも自分が儲けのためとはいえ、その会社にお金を投資していれば損はしたくない。しかも投資しているお金もまた他の人から預かっているお金で、約束の利息をつけて返さなければならない。今回も投資ファンドがある程度の債権を放棄していれば、税金を投入しないで済む自主再建が可能だったともいう。
今回の金融危機を招いた俗称「ハゲタカファンド」がいかに経済を混乱させ、再建を阻害させているのかを明らかにしているともいえるのである。
一方、アメリカ政府の公聴会に自家用ジェット機で駆けつけ、年間何十億から何百億ドルもの高額な年収を受け取っている金融機関の経営者に非難が集中した。しかも税金が投入されながら多額のボーナスを支給していたことが明らかになり、アメリカ議会でも問題にされた。さかのぼって課税すべきとの意見も多く出されたようだ。国民感情からいえば当然のことで日本でも同様の主張が多かったように思う。その後、どうなったか承知していないが、冷静に考えると「経済問題」に感情がはいると何か間違いを起こすような気がしてならない。
民主主義国であることの大きな要素に「罪刑法定主義」という概念がある。何か犯罪を犯した人に罰を与えるとき、もともとその行為が法律で禁止されていなければならないということだ。今回の高額ボーナスも会社と該当者が契約していたもので、もし会社が不履行すれば該当者から訴えられ負けるのははっきりしている。つまり、法律で「税金を投入した場合の高額ボーナスは無効で、支給したら『こういう罰則を与える』」ということが決まっていなければならないということである。感情論としては釈然としないと感じるかもしれないが、もし法律で決まっていない行為をした後に、その行為を罰してもいいということになると、その時の政府の都合で犯罪者を作りあげることができるからである。何気ない日常生活の中で、ある時警察が来て「この行為は犯罪だ」として逮捕されるとすれば、まさしく独裁国家、全体主義国家そのものとなる。罪刑法定主義が機能しないとなれば、それはもう民主主義国家といえない。法律的概念と国民感情が相いれないケースだが、翻れば私たち国民一人ひとりに冷静な判断が求められているともいえるのである。反対に、罪刑法定主義であるがゆえに「法律で決まっていないなら何をしてもよい」という腹立たしいことも起きる。そうした場合の規制はひとえに道徳観や倫理観に頼るしかない。本人の自発的辞退を求める意見は、この道徳観や倫理観に期待している証しであるし、遡っての「刑事罰」ではなく「90%の課税」というのも苦肉の策として検討されたのであろう。
私たちが今回の金融危機に翻弄されている中で、派遣労働者のあり方などさまざまな問題が噴出しているが、それらの個々のケースを冷静に分析し、原因を明らかにした上で、新しい経済・雇用システムをいかに作りあげるか、それこそが一番被害を受ける働く人々、すなわち労働組合が考えていかなければならない喫緊の課題なのである。



