鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

棄権は白紙委任状~衆議員選挙は私たちに何を問いかけているのか~-vol.21-
鈴木 勝利 顧問
2009/08/10
 いよいよ総選挙の投票日が間近に迫った。思えば自民党が総選挙用にと人気があると思った麻生総理を誕生させてから随分と時が経った。今の自民党の支持率の低下をみて、就任早々に解散しておけばよかったという嘆きが聞こえてきても今更だが、ここらで選挙の持つ意味を考えるのも無駄ではないだろう。

 何時の選挙でも同じだが、選挙を前にすると必ず「政治への不信感」「自分の一票などは、たいした価値がない」などとして、棄権をほのめかす意見が結構出される。おそらく組合員の中からも同じ意見が出されているに違いない。小選挙区制の選挙であっても当選するには何万、何十万の票が必要だ。その中のたったの一票、確かに数字を比較すればそう見える。ところがここに落とし穴がある。選挙に限らず民主主義というものは、多数決を持って国民の総意を決する。

 選挙で言えば、投票者の多数の支持を得なければならない。多数とは、過半数とか何票以上と決まっているわけではないから、あくまで比較上であり、二位より一票でも多ければ当選できる。するとこうなる。政治不信があるからといって多くの人が棄権しても、投票者の比較第一位の投票を得れば当選できるのだ。むしろ棄権が多ければ多いほど、投票をした少数の意見によって代表を選ぶことが出来るのである。昔からよく投票率が低いほど、組織を代表する候補者が有利といわれてきた。業界を代表する候補者を多く抱えている政党、信者が間違いなく投票する宗教政党などがその典型で、時には投票率が高くなることを危惧する意見さえ出てくる(かつて当時の自民党総裁が、「有権者は投票に来ないで寝ていればいい」といって顰蹙をかったことを思い出す)。

 ここで取り上げるのは、組織内候補者を当選させる意味ではなく、この仕組みがもっているルールなのである。そのルールとは、いくら自分が棄権しても、投票者の多数の投票で当選が決まるという仕組みがある限り、棄権はなんら顧みられることなく、単に、投票した人々の総意に委ねていただけということになる。棄権は多数派をさらに多数にさせる。何のことはない、投票者の多数を占める候補者に白紙の委任状を出していたのと同じ意味になってしまうのである。その結果、自分がいくら政治不信を持っていようが、委任していた以上、結果に従うことだけが残されるのである。片や何万分の一票であっても自分の意思を表すのか、片や他の投票者に白紙委任するのか選択しているに過ぎないのだ。

 よく会議で、議長が「異議ありませんか」と、口頭で賛否を問うのを経験したと思う。この場合、「異議なし」と意思表示をしない限り「異議はない」ことになる。つまり黙っていれば「賛成」になるのだ。棄権という行為も全く同じことなのである。黙って委任するのか、自分の意思表示をするのか、どちらの道を選択すべきなのかは明らかだ。

 もともと小選挙区という制度は、選挙区で一名だけを選ぶという「政権を選択する」ものである。どちらの政党を支持するのか、どちらが日本の総理にふさわしいか、どちらの政策を支持するのか、端的に言えば、二大政党のための選挙制度ともいえるのである。したがって、本来的にかつての中選挙区制のように、二大政党以外の政党の存在価値は限りなく小さいのである。少数政党に政策を実現する力はないから、某政党のように政権与党になる道を選択したりする。

 かつての中選挙区制度の下では、一選挙区で複数の当選者を選べる。たとえば、定員4名の選挙区で、同じ政党が2名の候補者を立てることが出来た。4名が当選できるのだから当然だが、この制度の下で多数政党の自民党は2名の候補者を立て、候補者はもう一人の自民党の候補者をライバルとして競い合う。当選するために①地元への利益誘導を競い合い、②個人後援会に依存し業界とのパイプを必要とする。この競い合いがエネルギーとなって自民党に活力をもたらしてきたという。当選して国会に赴けば、ライバルとは同床異夢で口もきかないほどになるという。党の派閥に所属することで資金の面倒を見てもらう。こうして自民党の派閥は存在価値を持ち続けてきた。

 小選挙区制度はこれを一変させる。一選挙区では一名しか当選できない。お金は党が握る。党の公認を得て、党の資金によってしか選挙を戦えない。政権選択の選挙であれば、どの選挙区でも候補者は同じ政策を掲げて戦わなければ政権選択にはならない。同じ政党内で独自のマニフェストを掲げるなどという主張は、小選挙区の選挙制度を理解していないこと夥しいことなのだ。派閥はとっくに存在意義をなくしているにもかかわらず、延々とつづけてきた自民党の党内抗争をみて、国民が嫌気を示すのはむしろ健全なのである。世論の支持が低い現実から、何が何でも現政権を守ろうとするのも、反麻生の姿勢を見せれば何とかなると考えるのも、同じ意味で選挙制度を理解せずに、自分の当落しか考えられない浅はかな議員心理とでもいおうか。戦いの敵は党内にではなく相手の政党なのである。しかし、党内抗争にうつつを抜かすこうした政党に、何年間も政権を委ねてきたのもまた私たち国民なのである。

 二者択一の選挙の結果は、選ばれた政党の一枚岩を要求する。政権・政策を選択したからだ。党内がばらばらでは政権も維持できないし、政策も実行できない。マニフェストは昔の口だけの公約とは違う。マニフェストに掲げた政策を実行する義務を負っているのである。政策が実行できなかったり、誤った政策をしてしまえば、次の選挙では政権が交代させられる。政策を誤れば政権交代を余儀なくされる、その緊張感こそが、限りなく正しい政策を生み出す活力になる。人間の多くは得てして、緊張感を持つこともなく、いつまでも政権の座に安穏としていられれば、気は緩むし、政治を私物化する誘惑に負けやすい。好むと好まざるとにかかわらず、「失敗すれば政権交代」の緊張感を持たざるを得ない政治こそが、小選挙区制の目的なのである。

 投票日に投票すること、何を基準に投票するのか、1ヵ月後に迫った衆議員選挙は、あるべき国民の意識を問うているのである。



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