鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

政治と社会現象が劇場化していく先は~メディアがあおるスキャンダルの罠~-vol.25-
鈴木 勝利 顧問
2009/12/15
  昔からよく言われ続けてきたが、TVが主要なメディアになってしまった社会においては、あらゆる社会現象や政治がどんどん劇場化していく。TVに限らずマスメディア全体がそこで進行しつつある現象に気をとられてしまって、その背景の見えないところで何があったのかという、本質的に問題は何なのかといったことを考えようともしなくなるし、また、視聴者や購読者も考える能力をなくしてしまう。

 人はどうしても他人の倫理には興味と関心を持つ生き物である。とくに、政治の場においては党派の利害において取り上げられることが多い。政治家の倫理問題を考える時は、政府や政治のあり方の方が問題なのであって、個人の問題では無い。個人の問題に関心を持つことによって政治や制度の悪弊を見逃すことになってしまうことが多々ある。

 アメリカでクリントン大統領のスキャンダル(ウインスキー嬢をめぐる不倫問題)が話題になった時期、アメリカの識者のこんな話を思い出す。

 アメリカでは1970年以来 、個人の倫理問題に関して400人以上がマスメディアと議会で追求されているという。この数字は、過去 150年よりも多く、起訴も3倍に達している。昔は議会での酔っ払いや殴り合いは許されていたことと比較すると、当時よりは今の方が腐敗は進んでいないし、公職にある者の知的レベル・道徳的レベルは高くなっているにもかかわらずである。

 なのになぜ問題になるのかといえば、違反とする対象が増えたことによって取締官も政府倫理局は6人から8000人に増え、加えて、既存の方法への不満が高まり説明責任が強まったからではないかという。

 もともと経済もそうだが、政治も経済も、個人の倫理と制度上の倫理とは違うので混同しないようにしなければならないというのが民主主義社会の大前提である。したがって個人のレベルから制度のレベルに関心を移さなければならないのだが、人間の業とでもいおうか、人は他人のスキャンダルが好きなのである。そして、人は同時に、プライベ-トや個人の生活態度(政策ではない)によってその人の価値を決めてしまい、肝心の政策を二の次にしてしまう。当時起こっていたウインスキ-問題は、その時の重要案件であった健康保険制度、イラクなど大事な政治課題に対する関心を失わせてしまった。関心が集まってしまう質の悪い情報によって、最も大事で高度の政治問題の情報を追い出してしまう。スキャンダルの方が国民にとって分かりやすいからである。

 報道や情報というものは、知りたいと思っていなくても自分の前にあれば見てしまう、読んでしまう、そして知ってしまうものだ。

 もともとウインスキ-問題が発覚したのは、政敵のグループに属するスタ-検察官が、本来の目的の調査材料が見つからなかったために、たまたま耳にしたスキャンダルを取り上げたものであったといわれる。始めはスキャンダル目的の大衆紙だけが取り上げていたものを、高級紙が、大衆紙の報道を取り上げ批評することで実質的に報道する作用をもたせたメタルコ-ティング手法によって一般化されたという。

 議会でも大きく取り上げられたが、国民はそうした議会やマスメディアをどのように見ていたのだろうか。

 同氏が引用した世論調査によれば、「マスコミの立ち入り過ぎ」が60%を占め、「追求が十分ではない」との答えはわずか9%しかなかった。おそらくは議会における恥ずかしい議論に対し国民は冷静に反応したとも言え、氏はそれが救いであったと述懐している。いずれにしても人間の倫理に対して裁判で判断を下すことはふさわしくないのも当たり前なのだから。

 おりしもオバマ大統領が来日し、14日には皇居に天皇・皇后両陛下を訪問した際、深々とお辞儀をして挨拶した写真をめぐって、共和党派といわれるFOXテレビが、二年前に当時のチェイニー副大統領が、天皇陛下との面会で頭を下げずに握手した映像と並べて、オバマ大統領の今回の行動は「大統領として適切でない」と批判しているという。ロサンゼルス・タイム紙もウェブサイトで、「新しい米国大統領は、世界の王室にどこまで低姿勢で行くのか」と皮肉っているという(11月16日・読売新聞)。

 欧米流の握手やハグだけが挨拶ではない。訪問した相手国の慣習に沿った行動のどこが「適切でない」のか、どこが「低姿勢」なのか、アメリカのマスメディアの見識を疑う話だ。いや、日本でも同じような話があるのではないか。フッと疑問が頭をもたげてくる。

 私たち国民は、個人の倫理に無関心ではないにしても、大騒ぎするマスメディアに流されて、それらに眼が向き過ぎてしまうともっと大きな悪を見逃すことになることも承知しておかなければならない。だから個人の性格に起因するセックスや飲酒などのスキャンダルよりも、政治家個人が地元や業界に特別な扱いをする方がより大きい悪なのである。

 マスメディアが心しておかなければならないのは、視聴者、読者の関心を引こうと、問題の本質に目をそむけるスキャンダル報道に血道をあげることではないということである。確かに、テレビも新聞も、売上げ、視聴率競争という背景はあるが、必ずしもそういう市場原理第一主義の弊害だけともいえない。両者の競争は昔からあった。しかしその時は、あくまで高級紙と大衆紙の区別があったのである。一女性タレントの大麻事件にあれほど大騒ぎする価値があったのか、またそれに釘付けになっている自分にも、ある種の嫌悪感を抱く自分でもある。今ここに、ダイアナ妃をめぐるパパラッチ騒動の反省も生かそうとしていないマスメディアと自分がいる。



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