「八方ふさがり」のつぎの壁に進もう。
国の経済成長に労働力量は欠かせない。いまや労働力の表面的な量は絶対的に不足しているのに、片や高い失業率を記録している。なんとも奇妙な現象に見えるが、「好きな仕事以外はしない」という誤った勤労観の影響か、仕事のミスマッチが言われてから久しい。
全体としての労働力不足への対策として、高齢者と女性労働力の活用は欠かせない。
ところが実際の職場では、高齢者の活用を図るために雇用期間の延長や定年延長を図ると、一方で若年労働者の採用が抑制されてしまう。高齢者雇用の確保と若年労働者の失業率の改善の両立を図れるのか、人員が不足している職種と過剰になっている職種の並存。すなわち職種によるミスマッチを解消させることは出来るのか、その要因の一つに「やりたい仕事」のみを追い求める近年の勤労観がある。この勤労観の建て直しは可能なのか。職種によって労働者が不足している部門と、余剰を抱えている部門が並存している矛盾の解消は?
もしあなたが経営者であるとして、事業運営していく中で、どうしても仕事に繁閑が出るのを避けられないとしたら。考えられるありとあらゆる方策をやってみたけれど他に手立てが見つからない。日本では正規社員を簡単には解雇できない。法律で厳しく規制されているからである。そこで業務の繁閑に対応するために非正規社員を雇用したとする。いわば雇用調整機能として非正規社員を採用するのである。それによって正規社員の雇用は何とか守ることができたとする。
こうした方法を正規社員は是とするであろうし、このことによって非正規社員は雇用調整弁として翻弄される。この現実を「止むを得ない」とするのか、「是正すべき」とするのか、あるいは二者択一ではない第三の道はあるのか、今それが問われている。
第三の道とはいかなる道なのか。それぞれが相矛盾する現象に解決策はないのか。
本シリーズで今まで3回に亘って指摘してきた相互に矛盾する現象の解決方法。それが一見八方ふさがりのように見える現状からの出口に違いないと思う。もちろん、これからあげる考え方にはさまざまな意見があってよいと思う。しかし、もしそれらの考えに対してさまざまな難関・障害を指摘することで問題解決を先送りすれば、事態はさらに悪化し、それこそ「日本沈没」に直面せざるを得なくなるであろう。
「障害があるからあきらめる」のではなく、「障害を如何に克服するのか」を考えなければならない。国民一人ひとりが持っている既得権にしがみつくことなく、時には苦痛を甘受し、思い切った転換を図ることこそが唯一の解決策になると信じたい。
[1]一人の収入で家族4人が生計を営む世帯賃金制を脱却し、働ける世帯構成員全員で家計を支える「総世帯収入」制を確立する。
これは日本全体の一人当たりの賃金水準を引き下げることで国際競争の一助となし、かつ、正規社員と非正規社員間、男・女間の処遇格差の改善をはかるために均衡処遇を実現するというものである。
ご存知のように日本の賃金は働き手一人の収入で家族4人が生計を営める「世帯賃金」制になっている。配偶者も子どもも働いていないことが前提である。だから、賃金項目にも「配偶者手当」「家族手当」があるし、支給に当たっては配偶者の年収金額に上限を定めている。国の制度も「女性は家庭に」を前提に成り立っている。サラリーマンの年金では、配偶者分の支給項目があるし(国民年金にはない。自営業では配偶者は働いているものとして扱う)、健康保険制度も然りであるが、会社の賃金制度でも、生計上の理由から「生活給的付加給付」が多い。
賃金の生計費援助の性格は戦後の荒廃した時期から、その後の復興期、発展期には意味を持ち、組合の掲げた生活水準の向上という目的に合致したものであった。その後徐々に引き上げられた賃金水準の中で、産業や企業の構造変化の実情から、企業の利益を産みだす職種、年齢も変化してくる。
また、生活水準が貧しい時代には皆が等しく平等であることが正しく組合員の理解を得ることが出来たが、生活水準が改善されてくれば、一生懸命に働いても、いい加減に働いても同じという「結果平等」主義への批判が高まっていく。多少でも働きに応じた報酬があっても良いという意識の変化によって、「評価・査定」が容認され、やがて市場における労働力の需給関係を考慮した「職種別賃金」論も力を得ていく。
こうした変化は、必然的に均衡処遇という新しい概念を求めることになる。同時に、一人の収入で家族四人の生計を維持する「世帯賃金」制から、世帯全員の収入(夫・妻と配偶者、学校を卒業者した子ども)で家計を維持する「世帯総収入」制へと転換するために現在の賃金水準を引き下げ、その上で「均衡処遇」(「同一『価値』労働・同一賃金」)を実現する。
労働界には一時期、「同一労働・同一賃金」論が華やかに叫ばれた。「同じ仕事」なら年齢や勤続に関係なく、「同じ賃金」でよいとする意見である。その当時は年功型賃金制度の全盛時代ということもあり、「同一労働・同一賃金」論は消えていってしまうが、そうした反省から「均衡処遇」の概念が生まれてきた。「同じ仕事なら同じ賃金」という大雑把な考えではなく、仕事がもっているさまざまな要素、たとえば残業命令に応じる立場とそうでない立場の違い、出張や転勤に応じる立場とそうでない立場の違いなど、その違いを賃金に反映させることは差別にはならないという考え方、外見的には同じ仕事に見えても、仕事が持っているさまざまな価値の違い、あるいは義務の中身など、仕事の価値が違うことによる賃金の差は認めたうえで、しかし、外見的にも、価値的にもまったく同一の仕事では同じ処遇をする「同一『価値』労働・同一賃金」論の確立である。連合も運動の柱の一つとしている。
さてこの「同一価値労働・同一賃金」からいえば、今日の賃金制度がふさわしくないのが分かる。まず諸手当である。家族手当であれ、何であれ、多くの手当てはこの賃金論からみると矛盾している。諸手当を賃金に組み入れる必要性が迫ってきたのである。すでに先進的に諸手当を廃止した産業・企業(代表例は鉄鋼産業や造船産業)も出ている。
諸手当が整理されることによって、賃金の時間給制が可能になる。時間給の活用方法の一つとして「短時間労働」が可能になり、全体の賃金水準が引き下げられているので「短時間正社員」としてのパートタイマー労働が一般化できる。今の正規、非正規間差別の温床といわれるパートタイマー労働が劇的に改革できるのである。正規社員の中で、8時間正規社員と短時間正規社員がいるだけで、非正規社員のパートはいなくなる。
(「八方ふさがりの出口[5]-[4]」了。続編は「シリーズ[5]-[5]」へ)
国の経済成長に労働力量は欠かせない。いまや労働力の表面的な量は絶対的に不足しているのに、片や高い失業率を記録している。なんとも奇妙な現象に見えるが、「好きな仕事以外はしない」という誤った勤労観の影響か、仕事のミスマッチが言われてから久しい。
全体としての労働力不足への対策として、高齢者と女性労働力の活用は欠かせない。
ところが実際の職場では、高齢者の活用を図るために雇用期間の延長や定年延長を図ると、一方で若年労働者の採用が抑制されてしまう。高齢者雇用の確保と若年労働者の失業率の改善の両立を図れるのか、人員が不足している職種と過剰になっている職種の並存。すなわち職種によるミスマッチを解消させることは出来るのか、その要因の一つに「やりたい仕事」のみを追い求める近年の勤労観がある。この勤労観の建て直しは可能なのか。職種によって労働者が不足している部門と、余剰を抱えている部門が並存している矛盾の解消は?
もしあなたが経営者であるとして、事業運営していく中で、どうしても仕事に繁閑が出るのを避けられないとしたら。考えられるありとあらゆる方策をやってみたけれど他に手立てが見つからない。日本では正規社員を簡単には解雇できない。法律で厳しく規制されているからである。そこで業務の繁閑に対応するために非正規社員を雇用したとする。いわば雇用調整機能として非正規社員を採用するのである。それによって正規社員の雇用は何とか守ることができたとする。
こうした方法を正規社員は是とするであろうし、このことによって非正規社員は雇用調整弁として翻弄される。この現実を「止むを得ない」とするのか、「是正すべき」とするのか、あるいは二者択一ではない第三の道はあるのか、今それが問われている。
第三の道とはいかなる道なのか。それぞれが相矛盾する現象に解決策はないのか。
本シリーズで今まで3回に亘って指摘してきた相互に矛盾する現象の解決方法。それが一見八方ふさがりのように見える現状からの出口に違いないと思う。もちろん、これからあげる考え方にはさまざまな意見があってよいと思う。しかし、もしそれらの考えに対してさまざまな難関・障害を指摘することで問題解決を先送りすれば、事態はさらに悪化し、それこそ「日本沈没」に直面せざるを得なくなるであろう。
「障害があるからあきらめる」のではなく、「障害を如何に克服するのか」を考えなければならない。国民一人ひとりが持っている既得権にしがみつくことなく、時には苦痛を甘受し、思い切った転換を図ることこそが唯一の解決策になると信じたい。
[1]一人の収入で家族4人が生計を営む世帯賃金制を脱却し、働ける世帯構成員全員で家計を支える「総世帯収入」制を確立する。
これは日本全体の一人当たりの賃金水準を引き下げることで国際競争の一助となし、かつ、正規社員と非正規社員間、男・女間の処遇格差の改善をはかるために均衡処遇を実現するというものである。
ご存知のように日本の賃金は働き手一人の収入で家族4人が生計を営める「世帯賃金」制になっている。配偶者も子どもも働いていないことが前提である。だから、賃金項目にも「配偶者手当」「家族手当」があるし、支給に当たっては配偶者の年収金額に上限を定めている。国の制度も「女性は家庭に」を前提に成り立っている。サラリーマンの年金では、配偶者分の支給項目があるし(国民年金にはない。自営業では配偶者は働いているものとして扱う)、健康保険制度も然りであるが、会社の賃金制度でも、生計上の理由から「生活給的付加給付」が多い。
賃金の生計費援助の性格は戦後の荒廃した時期から、その後の復興期、発展期には意味を持ち、組合の掲げた生活水準の向上という目的に合致したものであった。その後徐々に引き上げられた賃金水準の中で、産業や企業の構造変化の実情から、企業の利益を産みだす職種、年齢も変化してくる。
また、生活水準が貧しい時代には皆が等しく平等であることが正しく組合員の理解を得ることが出来たが、生活水準が改善されてくれば、一生懸命に働いても、いい加減に働いても同じという「結果平等」主義への批判が高まっていく。多少でも働きに応じた報酬があっても良いという意識の変化によって、「評価・査定」が容認され、やがて市場における労働力の需給関係を考慮した「職種別賃金」論も力を得ていく。
こうした変化は、必然的に均衡処遇という新しい概念を求めることになる。同時に、一人の収入で家族四人の生計を維持する「世帯賃金」制から、世帯全員の収入(夫・妻と配偶者、学校を卒業者した子ども)で家計を維持する「世帯総収入」制へと転換するために現在の賃金水準を引き下げ、その上で「均衡処遇」(「同一『価値』労働・同一賃金」)を実現する。
労働界には一時期、「同一労働・同一賃金」論が華やかに叫ばれた。「同じ仕事」なら年齢や勤続に関係なく、「同じ賃金」でよいとする意見である。その当時は年功型賃金制度の全盛時代ということもあり、「同一労働・同一賃金」論は消えていってしまうが、そうした反省から「均衡処遇」の概念が生まれてきた。「同じ仕事なら同じ賃金」という大雑把な考えではなく、仕事がもっているさまざまな要素、たとえば残業命令に応じる立場とそうでない立場の違い、出張や転勤に応じる立場とそうでない立場の違いなど、その違いを賃金に反映させることは差別にはならないという考え方、外見的には同じ仕事に見えても、仕事が持っているさまざまな価値の違い、あるいは義務の中身など、仕事の価値が違うことによる賃金の差は認めたうえで、しかし、外見的にも、価値的にもまったく同一の仕事では同じ処遇をする「同一『価値』労働・同一賃金」論の確立である。連合も運動の柱の一つとしている。
さてこの「同一価値労働・同一賃金」からいえば、今日の賃金制度がふさわしくないのが分かる。まず諸手当である。家族手当であれ、何であれ、多くの手当てはこの賃金論からみると矛盾している。諸手当を賃金に組み入れる必要性が迫ってきたのである。すでに先進的に諸手当を廃止した産業・企業(代表例は鉄鋼産業や造船産業)も出ている。
諸手当が整理されることによって、賃金の時間給制が可能になる。時間給の活用方法の一つとして「短時間労働」が可能になり、全体の賃金水準が引き下げられているので「短時間正社員」としてのパートタイマー労働が一般化できる。今の正規、非正規間差別の温床といわれるパートタイマー労働が劇的に改革できるのである。正規社員の中で、8時間正規社員と短時間正規社員がいるだけで、非正規社員のパートはいなくなる。
(「八方ふさがりの出口[5]-[4]」了。続編は「シリーズ[5]-[5]」へ)



