日本経済は、それでなくてもリーマンショック以降の回復が遅々として進まず、とくに雇用環境は悪化したままの中で、今回の大震災によって働く場所を失ったことによって雇用問題は一層深刻さを増すことになった。震災の復興事業、とくに建築土木産業で雇用は増えるであろうが、復興のためという一時的なものであり、事業そのものが税金に依存する公共事業の性格を持っているから、将来予想される日本の財政改革にも影響を与えることになる。復興事業は何をおいても最優先される事業だが、一段落すれば雇用の悪化は避けられなくなる。また被害を受けた企業の再建もままならない中で、その他の地域で被災者を積極的に雇用している動きも聞こえてこない。
一方で、経済が膨大な消費の上に成り立つといっても、停電問題で明らかになったように、私たちの生活のあり方にも警鐘が鳴らされている。モノがあふれ、消費は美徳という言葉に踊らされ、しかもそれゆえに生産・購買・消費のサイクルが定着し雇用の安定が図られてきた。膨大なエネルギーが支えてきた快適な生活・便利な生活が根底から崩された今、モノ万能であった生活のあり方の見直しが叫ばれている。四選された都知事が、エネルギーの無駄遣いとして公言した「自動販売機」や「パチンコ」営業への非難のように、不必要と贅沢であった生活様式を一新することは大いに正しいと思うのだが、人としての倫理観から経済の仕組みを根本的に変えていった時、日本に六千万人もいる労働者が働ける場所(職場)はあるのだろうか不安になる。だからといって改革もせずに既存のシステムに依拠していても雇用環境の好転は望めない。今までの経済構造の中で雇用吸収力があった産業がその力を減じ始めている中で、新しい経済構造を求めるといっても、とって代わり多くの人を雇用できる新しい産業・事業は簡単に見出すことはできない。新しい産業や事業として、介護などの福祉関連事業、新時代のエネルギー事業、国を挙げて見直さなければならない食料・農業事業などは間違いなく今後の成長が期待できるものの、いずれをとっても雇用吸収力としては多くを望めないのが現実である。加えて日本の経済社会そのものの基盤となっている輸入製品(飼料、食料、資源、エネルギーetc)への依存を考えれば、ドルを稼ぐ産業を抜きには日本自体の存在すらありえない現実がある。ドルを稼ぐ産業とは国際競争力を有する輸出産業である。今までは自動車や電機などの金属産業がその中心的役割を担ってきた。ゆえに輸出産業は、国際競争力が絶対条件だから、それに耐えうる企業体質の強化に追いまくられてきた。効率化を図れば図るほど従業員は減少し、雇用環境の悪化の一要因にもなってきたのである。
その一方で、膨張を続ける国家財政の赤字体質は、国民が政府や行政に期待し依存する限り、時期はわからないけれどいずれ破綻することは明らかだ。破綻を避けるために税金を投入する公共事業の削減は避けられないから、震災復興が一段落すれば雇用に悪影響を与えることも間違いない。
政府が経済の回復を目指すことは当然だが、今までと同じ経済成長へ回帰することはありえない。もし過去の経済成長の再来を夢見ているのであれば、その夢が幻影であることに失望するであろう。生産・消費・廃棄のサイクル自体が地球環境保護や生活様式の転換に伴って見直しされる。バブル以前の成長に戻ることはありえないのだから、この日本に新しい経済の仕組みと雇用の仕組みを再構築しなければ取り返しのつかない事態を招く。
そうしたマクロの動向とあわせて、雇用というミクロの現実に目を転じれば、若年労働力の減少は成長を阻害する最大の要因になる一方、同時に高齢者を支える年金財政の悪化を招く。今働き盛りの人々の老後を支える年金財政は若年労働力によってしか担保されない。貴重なそれらの人々が、平均より高い失業率に呻吟しているとき、自分たちの雇用確保だけに眼を向けていればやがてしっぺ返しを受けることになる。
非正規社員の問題も然りである。正規社員であることに安堵し、自分たちだけの安寧を求めているうちに、やがて自身の足元さえも安全でない状況におかれてしまうのである。非正規社員への思いやりとか配慮などというおこがましい問題ではない。同じ労働者として、あるいは人としての正義・公正のあり方、人間性が問われているのである。これら人間の尊厳が問われる命題に、組合員として手を拱いている時期ではないように思う。さらに、生きていく上で「働く」という当たり前の行為に際して、男女という性による差別もまたあってはならない。
大震災後の日本経済の再生には、経済のシステムとあわせて雇用や働き方にも抜本的な改革が不可欠である。この両面の再構築がなければ日本の再生は果たしえない。国民生活のあり方を見直し、産業・企業は国際競争力が維持でき、出生率を高め、若年労働者の失業率を改善させ、非正規社員の正規社員化を図り、性別格差をなくす道とは。誰が考えても従来の延長線上から回答を得ることはできない。
正規社員が労働時間の短縮とそれに大胆な伴う賃金の切り下げを行い、仕事分かち合うことによって失業率の改善を図り、時間給による同一「価値」労働・同一賃金による処遇格差の改善、短時間正規社員制度の導入による「正規社員としてのパートタイマー制度」、男女格差の改善など、今までの矛盾に満ちた処遇や働き方を抜本的に改革することでしか日本経済の再生も雇用環境の改革も実現しないであろう。
企業の業績が悪化し雇用確保が難しくなった時、労働組合は連帯の名のもとに、自らの処遇の切り下げにも甘んじても雇用を守ることに全力を尽くしてきたではないか。日本全国を一つの企業として考えれば、三百万人をこえる失業者のために何をなすべきなのか。雇用が不安定で処遇に格差を持つ非正規社員のために何をなすべきなのか。答えはおのずから明らかである。
大震災という未曾有の困難を克服し、日本の再生に欠かせないものとして、労働組合は今こそ思い切った改革に眼を向けなければならない。日本再生の鍵は労働組合の双肩にかかっているともいえるのである。
(2011年4月12日)
一方で、経済が膨大な消費の上に成り立つといっても、停電問題で明らかになったように、私たちの生活のあり方にも警鐘が鳴らされている。モノがあふれ、消費は美徳という言葉に踊らされ、しかもそれゆえに生産・購買・消費のサイクルが定着し雇用の安定が図られてきた。膨大なエネルギーが支えてきた快適な生活・便利な生活が根底から崩された今、モノ万能であった生活のあり方の見直しが叫ばれている。四選された都知事が、エネルギーの無駄遣いとして公言した「自動販売機」や「パチンコ」営業への非難のように、不必要と贅沢であった生活様式を一新することは大いに正しいと思うのだが、人としての倫理観から経済の仕組みを根本的に変えていった時、日本に六千万人もいる労働者が働ける場所(職場)はあるのだろうか不安になる。だからといって改革もせずに既存のシステムに依拠していても雇用環境の好転は望めない。今までの経済構造の中で雇用吸収力があった産業がその力を減じ始めている中で、新しい経済構造を求めるといっても、とって代わり多くの人を雇用できる新しい産業・事業は簡単に見出すことはできない。新しい産業や事業として、介護などの福祉関連事業、新時代のエネルギー事業、国を挙げて見直さなければならない食料・農業事業などは間違いなく今後の成長が期待できるものの、いずれをとっても雇用吸収力としては多くを望めないのが現実である。加えて日本の経済社会そのものの基盤となっている輸入製品(飼料、食料、資源、エネルギーetc)への依存を考えれば、ドルを稼ぐ産業を抜きには日本自体の存在すらありえない現実がある。ドルを稼ぐ産業とは国際競争力を有する輸出産業である。今までは自動車や電機などの金属産業がその中心的役割を担ってきた。ゆえに輸出産業は、国際競争力が絶対条件だから、それに耐えうる企業体質の強化に追いまくられてきた。効率化を図れば図るほど従業員は減少し、雇用環境の悪化の一要因にもなってきたのである。
その一方で、膨張を続ける国家財政の赤字体質は、国民が政府や行政に期待し依存する限り、時期はわからないけれどいずれ破綻することは明らかだ。破綻を避けるために税金を投入する公共事業の削減は避けられないから、震災復興が一段落すれば雇用に悪影響を与えることも間違いない。
政府が経済の回復を目指すことは当然だが、今までと同じ経済成長へ回帰することはありえない。もし過去の経済成長の再来を夢見ているのであれば、その夢が幻影であることに失望するであろう。生産・消費・廃棄のサイクル自体が地球環境保護や生活様式の転換に伴って見直しされる。バブル以前の成長に戻ることはありえないのだから、この日本に新しい経済の仕組みと雇用の仕組みを再構築しなければ取り返しのつかない事態を招く。
そうしたマクロの動向とあわせて、雇用というミクロの現実に目を転じれば、若年労働力の減少は成長を阻害する最大の要因になる一方、同時に高齢者を支える年金財政の悪化を招く。今働き盛りの人々の老後を支える年金財政は若年労働力によってしか担保されない。貴重なそれらの人々が、平均より高い失業率に呻吟しているとき、自分たちの雇用確保だけに眼を向けていればやがてしっぺ返しを受けることになる。
非正規社員の問題も然りである。正規社員であることに安堵し、自分たちだけの安寧を求めているうちに、やがて自身の足元さえも安全でない状況におかれてしまうのである。非正規社員への思いやりとか配慮などというおこがましい問題ではない。同じ労働者として、あるいは人としての正義・公正のあり方、人間性が問われているのである。これら人間の尊厳が問われる命題に、組合員として手を拱いている時期ではないように思う。さらに、生きていく上で「働く」という当たり前の行為に際して、男女という性による差別もまたあってはならない。
大震災後の日本経済の再生には、経済のシステムとあわせて雇用や働き方にも抜本的な改革が不可欠である。この両面の再構築がなければ日本の再生は果たしえない。国民生活のあり方を見直し、産業・企業は国際競争力が維持でき、出生率を高め、若年労働者の失業率を改善させ、非正規社員の正規社員化を図り、性別格差をなくす道とは。誰が考えても従来の延長線上から回答を得ることはできない。
正規社員が労働時間の短縮とそれに大胆な伴う賃金の切り下げを行い、仕事分かち合うことによって失業率の改善を図り、時間給による同一「価値」労働・同一賃金による処遇格差の改善、短時間正規社員制度の導入による「正規社員としてのパートタイマー制度」、男女格差の改善など、今までの矛盾に満ちた処遇や働き方を抜本的に改革することでしか日本経済の再生も雇用環境の改革も実現しないであろう。
企業の業績が悪化し雇用確保が難しくなった時、労働組合は連帯の名のもとに、自らの処遇の切り下げにも甘んじても雇用を守ることに全力を尽くしてきたではないか。日本全国を一つの企業として考えれば、三百万人をこえる失業者のために何をなすべきなのか。雇用が不安定で処遇に格差を持つ非正規社員のために何をなすべきなのか。答えはおのずから明らかである。
大震災という未曾有の困難を克服し、日本の再生に欠かせないものとして、労働組合は今こそ思い切った改革に眼を向けなければならない。日本再生の鍵は労働組合の双肩にかかっているともいえるのである。
(2011年4月12日)



