ナチス・ドイツのヒトラーをみるまでもなく、人々が社会や自分の生活に不安を感じ、不満を抱いたときには政治的には救世主として独裁を選択するのが歴史の常である。
ヒトラーは失業が蔓延する社会不安のさなかにドイツ国民の圧倒的な期待を受けて政権の座に就いた。
強力なリーダーシップ=独裁、あるいは強硬姿勢が求められるのは外交も同様で、他国との紛争が起これば国民はより強硬な意見に与しやすい。
北朝鮮の拉致被害者問題に対し、北朝鮮が素直に応じる保証もないのに強硬な態度をとればいいが如き意見が多いのも、心情は分かるものの外交のむずかしさの中では有効な手立てとはいえない。
敗戦の憂き目にあった日本の第二次世界大戦も、「鬼畜米英」は国民の総意に近かったし、国際的に孤立を選択した国際連盟の脱退を、首都を提灯行列一色に染めて祝したのも国民だった。
このように大衆民主主義がいつも正しい選択をするとは限らない。
冷静に世の中を眺めて気がつくのは、IT社会という代名詞に象徴されるように種々の情報が氾濫している中で、自分がどれを選択すればいいのか迷うことが多いことだ。
しかもあちらを立てればこちらが立たずというように、絶対的な確信というには心許なさを隠せない。
以前に書いたが、ある人々や集団にとって有益なことでも、他の人々にとっては好ましいとは限らない。
全体が一色になることはあり得ないのだ。おそらくこうした現象が、多様化した時代の特徴なのだろう。
社会が近代化し、民主主義が成熟していけばいくほど国民の価値観や意見は多様化していく。
そうした戸惑いともいえるもどかしさの中にいると、選択肢が単純で、二者択一のほうが好まれる。
俗にいう○か×かの選択だ。
思い起こせば郵政選挙の際に、時の小泉総理が「改革」か「守旧」か、を命題に、郵政民営化に賛成なのは改革派で○、反対なのは守旧派で×と問うて、圧勝したのは記憶に新しい。
いわば本題の郵政民営化の中身の議論にはふれずに、○か×かの二者択一を迫った戦術の勝利といえるのである。
そして国民は小泉政権に圧倒的な支持を与えた。
ごちゃごちゃした状況、雑多な意見が錯綜している中でのもっとも有効な選挙手法であり、国民もそうした単純化した議論のほうが分かりやすいと歓迎したのである。
そして、その代償に貧富の格差拡大を招き、金儲けのためには何をしても構わない風潮を作り上げてしまった。
しかし、単純化した二者択一という手法はいつも有効に、問いかけた側の思い通りの結果をもたらすとは限らないが、何度かは有効のようだ。
府知事から鞍替えして圧勝した大阪市長選挙における橋本氏の選挙手法も、大阪都構想の中身の是非を問うことよりも、現状を変えるのか否かの二者択一に単純化した選択を求め、政治的にも社会的にも閉塞状態に置かれていた大阪府民(大阪市民)は変化に○を与えたのである。
奇しくもロシアにおいて、およそ民主主義国家では考えられないことが行われた。
プーチン首相とメドベージェフ大統領が役職を交換、プーチン首相が再度大統領に、メドベージェフ大統領が首相になるという。
2011年11月28日の読売寸評が「大阪の橋本市長と松井府知事の関係は、なにやら似ている」と評したように、「エッ そんなことが許されるの?」思わず呟いてしまう驚きをもってみていたものである。
他道府県に住んでいてそんな選択をしなくて済んだのはありがたい限りだ。
大阪府民の選択が正しかったのか否かは歴史が審判を下すのであろうが、経済が低迷し、社会も秩序が乱れ始め、絶対的な価値観が消失し、混乱のきわみにある時、人々は救世主を求める。
今の日本社会も、ヒトラーを見るまでもなく強力なリーダーシップを発揮する救世主を求めているのは間違いない。
強力なリーダーシップはヒトラーの独裁と紙一重だ。
大阪府民自身が、橋本氏が公言して憚らない「独裁」を選択したのだから、私たちはしばらく成り行きを静かに見ていくことしかできない。
今、日本は「再軍備」論者を都知事にいただき、この間までは「徴兵制の復活」を公言する知事を宮崎県に誕生させ、「私人として日本の核武装」を公言する大阪府知事(大阪市長)らに囲まれて生活している。
石原都知事は、2011年8月の「週刊ダイヤモンド」のインタビューにこう答えている。
【私は、国家の力量の元となるのは「技術」だと思います。2000年以降、自然科学分野でノーベル賞を受賞した日本人の数は、英国を除いた欧州全体の受賞者の数とほぼ同じくらいです。
これは、日本の技術力がいかに高いかを表す証拠です。
最近の画期的な技術は、「小惑星探査機はやぶさ」です。
太陽光で火星のもっと先まで飛んで行って帰ってきた。再軍備という視点から見ると、あれを活用すればとんでもない戦略兵器ができる。
戦略兵器を載せて飛ばすことができたら、国際社会に対して大きな抑止力になるでしょう。
これは小説家としての発想かもしれないが、やろうと思えばできないことはない。
そのすごさに気づいていないのは日本人だけで、米国や中国は「はやぶさ」計画の行方を固唾を呑んで見守っている。国際社会で国のステイタスを上げるためには、やはり再軍備が必要でしょう。】
さらに、英紙インディペンデントは8日、石原都知事が同紙とのインタビューで、【中国の脅威に対抗するため、日本は核兵器をつくるべきだとの見解を述べた】と報じた。
記事は【石原氏が、日本は1年以内に核兵器を開発することができ、世界に力強いメッセージを送れる】との見方を示したとしている。
さらに同紙は石原氏の言葉を引用して【「隣国である中国、北朝鮮、ロシアは核兵器を持っている。
同じ状況におかれた国が世界に他にあるのか?」「人々は(核開発の)費用のことなどを言うが、現実には外交交渉力は核兵器を意味する」と語った】と伝え、【石原氏は「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則を以前から批判している。】と報じている。
次は大阪府知事(大阪市長)の橋本氏の核武装論である。
【2008年3月の府議会二日目の6日、過去にテレビで核武装発言をしたことについて問われた時。「私人としての立場での発言、府知事としての公人についた以上は一切、そのような主張をすることはありませんし、とることもできません」と答弁した。
「立場の問題ではない。真意を聞いている」と切り返され、「私は大阪府知事で、24時間365日公人であり、私人としてのコメントは一切、申し上げません」と語気を強めた。】(同じ核武装論を唱えていても、かたや石原都知事は「公人と私人」の区別など言わずに堂々と述べているのと比較するとオヤッと思ってしまうのだが)
もちろん、橋本氏も大阪府知事として「核武装」を主張したわけではないが、私人の思想として「核武装すべし」と考えているなら、知事として公の立場では言わないにしても、個人の思いが形を変えて政治の場に反映されることくらいは誰にも想像がつく。
公職に就いている人が「私人なら許される」という政治感覚も理解しがたい。
つぎに東国原英夫元知事の徴兵制の導入についての発言を検証してみよう。
【氏は2007年11月28日、宮崎市内で開かれた座談会で「徴兵制があってもしかるべきだと思う。
若者は1年か2年くらい自衛隊などに入らなければいけないと思っている」と述べた。
東国原知事は座談会の後で、「徴兵制とか軍隊とか言わないですけど、若者にはある時期、規律を重んじるような機関で教育することは重要だと思う。
道徳や倫理観の欠落が、今の規律の喪失につながっている気がする」と報道陣に釈明したが、翌日の各紙には「徴兵制あってしかるべき」発言が報じられた。】
【東国原知事は、自身のホームページの「過去の不祥事」コーナーで99年に「たけし軍団」の後輩に暴行を加えた問題について、「軍団の先輩として、集団の規律や規範を乱す彼に反省の態度や意志が見えないのを正すため、一発蹴った」と述べていた(現在ではなぜかこの該当箇所がHPから削除されている)。】
若者の道徳や倫理観の欠如が、今の規律の喪失につながっているとの一つの分析には異論はないにしても(それ以外にも要因はいろいろあると思うが)、「道徳や倫理観の確立」は軍隊で成されるものではない。
いつの時代も「いまどきの若者は」と嘆くのは同じであり、東国原知事も若い時は先輩からそういわれてきた筈である。
今更いうまでもないが、教育や社会規範の確立には、さまざまな要因が錯綜する現代の複合社会の中では、教育界も、家庭での家族関係も、経済社会の不安定さも、政治の閉塞状況も、すべての要因が絡み合ってるがゆえに、そのすべての分野での改革が必要なのであって、軍隊に徴兵すれば解決する問題ではないはずである。
東京都民が再軍備を欲しているとは考えられないし、大阪府民が核武装を求め、宮崎県民が徴兵制を望んでいるとは思えないが、しかし、現実の選挙では圧勝を与えたのである。
それとも、他党や他候補との政策の比較もせずに、ただ単に、○か×の感覚的選択をしただけなのだろうか。はっきりしていることは、いずれの政治家を選んだのも東京と大阪と宮崎の選挙民であり、大衆民主主義の結果なのである。
大衆民主主義の中では条件さえ整えば他の自治体でも国政でも起こり得ることなのである。
かつて、日本国民は、圧倒的な多数で戦争突入を賛美した。
それは一時的な大衆民主主義の気紛れなのか。
今、その悪夢が、再び忍びよってきているのでなければ幸いなのだが…
(資料出所・ウィキペディア)
ヒトラーは失業が蔓延する社会不安のさなかにドイツ国民の圧倒的な期待を受けて政権の座に就いた。
強力なリーダーシップ=独裁、あるいは強硬姿勢が求められるのは外交も同様で、他国との紛争が起これば国民はより強硬な意見に与しやすい。
北朝鮮の拉致被害者問題に対し、北朝鮮が素直に応じる保証もないのに強硬な態度をとればいいが如き意見が多いのも、心情は分かるものの外交のむずかしさの中では有効な手立てとはいえない。
敗戦の憂き目にあった日本の第二次世界大戦も、「鬼畜米英」は国民の総意に近かったし、国際的に孤立を選択した国際連盟の脱退を、首都を提灯行列一色に染めて祝したのも国民だった。
このように大衆民主主義がいつも正しい選択をするとは限らない。
冷静に世の中を眺めて気がつくのは、IT社会という代名詞に象徴されるように種々の情報が氾濫している中で、自分がどれを選択すればいいのか迷うことが多いことだ。
しかもあちらを立てればこちらが立たずというように、絶対的な確信というには心許なさを隠せない。
以前に書いたが、ある人々や集団にとって有益なことでも、他の人々にとっては好ましいとは限らない。
全体が一色になることはあり得ないのだ。おそらくこうした現象が、多様化した時代の特徴なのだろう。
社会が近代化し、民主主義が成熟していけばいくほど国民の価値観や意見は多様化していく。
そうした戸惑いともいえるもどかしさの中にいると、選択肢が単純で、二者択一のほうが好まれる。
俗にいう○か×かの選択だ。
思い起こせば郵政選挙の際に、時の小泉総理が「改革」か「守旧」か、を命題に、郵政民営化に賛成なのは改革派で○、反対なのは守旧派で×と問うて、圧勝したのは記憶に新しい。
いわば本題の郵政民営化の中身の議論にはふれずに、○か×かの二者択一を迫った戦術の勝利といえるのである。
そして国民は小泉政権に圧倒的な支持を与えた。
ごちゃごちゃした状況、雑多な意見が錯綜している中でのもっとも有効な選挙手法であり、国民もそうした単純化した議論のほうが分かりやすいと歓迎したのである。
そして、その代償に貧富の格差拡大を招き、金儲けのためには何をしても構わない風潮を作り上げてしまった。
しかし、単純化した二者択一という手法はいつも有効に、問いかけた側の思い通りの結果をもたらすとは限らないが、何度かは有効のようだ。
府知事から鞍替えして圧勝した大阪市長選挙における橋本氏の選挙手法も、大阪都構想の中身の是非を問うことよりも、現状を変えるのか否かの二者択一に単純化した選択を求め、政治的にも社会的にも閉塞状態に置かれていた大阪府民(大阪市民)は変化に○を与えたのである。
奇しくもロシアにおいて、およそ民主主義国家では考えられないことが行われた。
プーチン首相とメドベージェフ大統領が役職を交換、プーチン首相が再度大統領に、メドベージェフ大統領が首相になるという。
2011年11月28日の読売寸評が「大阪の橋本市長と松井府知事の関係は、なにやら似ている」と評したように、「エッ そんなことが許されるの?」思わず呟いてしまう驚きをもってみていたものである。
他道府県に住んでいてそんな選択をしなくて済んだのはありがたい限りだ。
大阪府民の選択が正しかったのか否かは歴史が審判を下すのであろうが、経済が低迷し、社会も秩序が乱れ始め、絶対的な価値観が消失し、混乱のきわみにある時、人々は救世主を求める。
今の日本社会も、ヒトラーを見るまでもなく強力なリーダーシップを発揮する救世主を求めているのは間違いない。
強力なリーダーシップはヒトラーの独裁と紙一重だ。
大阪府民自身が、橋本氏が公言して憚らない「独裁」を選択したのだから、私たちはしばらく成り行きを静かに見ていくことしかできない。
今、日本は「再軍備」論者を都知事にいただき、この間までは「徴兵制の復活」を公言する知事を宮崎県に誕生させ、「私人として日本の核武装」を公言する大阪府知事(大阪市長)らに囲まれて生活している。
石原都知事は、2011年8月の「週刊ダイヤモンド」のインタビューにこう答えている。
【私は、国家の力量の元となるのは「技術」だと思います。2000年以降、自然科学分野でノーベル賞を受賞した日本人の数は、英国を除いた欧州全体の受賞者の数とほぼ同じくらいです。
これは、日本の技術力がいかに高いかを表す証拠です。
最近の画期的な技術は、「小惑星探査機はやぶさ」です。
太陽光で火星のもっと先まで飛んで行って帰ってきた。再軍備という視点から見ると、あれを活用すればとんでもない戦略兵器ができる。
戦略兵器を載せて飛ばすことができたら、国際社会に対して大きな抑止力になるでしょう。
これは小説家としての発想かもしれないが、やろうと思えばできないことはない。
そのすごさに気づいていないのは日本人だけで、米国や中国は「はやぶさ」計画の行方を固唾を呑んで見守っている。国際社会で国のステイタスを上げるためには、やはり再軍備が必要でしょう。】
さらに、英紙インディペンデントは8日、石原都知事が同紙とのインタビューで、【中国の脅威に対抗するため、日本は核兵器をつくるべきだとの見解を述べた】と報じた。
記事は【石原氏が、日本は1年以内に核兵器を開発することができ、世界に力強いメッセージを送れる】との見方を示したとしている。
さらに同紙は石原氏の言葉を引用して【「隣国である中国、北朝鮮、ロシアは核兵器を持っている。
同じ状況におかれた国が世界に他にあるのか?」「人々は(核開発の)費用のことなどを言うが、現実には外交交渉力は核兵器を意味する」と語った】と伝え、【石原氏は「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の非核三原則を以前から批判している。】と報じている。
次は大阪府知事(大阪市長)の橋本氏の核武装論である。
【2008年3月の府議会二日目の6日、過去にテレビで核武装発言をしたことについて問われた時。「私人としての立場での発言、府知事としての公人についた以上は一切、そのような主張をすることはありませんし、とることもできません」と答弁した。
「立場の問題ではない。真意を聞いている」と切り返され、「私は大阪府知事で、24時間365日公人であり、私人としてのコメントは一切、申し上げません」と語気を強めた。】(同じ核武装論を唱えていても、かたや石原都知事は「公人と私人」の区別など言わずに堂々と述べているのと比較するとオヤッと思ってしまうのだが)
もちろん、橋本氏も大阪府知事として「核武装」を主張したわけではないが、私人の思想として「核武装すべし」と考えているなら、知事として公の立場では言わないにしても、個人の思いが形を変えて政治の場に反映されることくらいは誰にも想像がつく。
公職に就いている人が「私人なら許される」という政治感覚も理解しがたい。
つぎに東国原英夫元知事の徴兵制の導入についての発言を検証してみよう。
【氏は2007年11月28日、宮崎市内で開かれた座談会で「徴兵制があってもしかるべきだと思う。
若者は1年か2年くらい自衛隊などに入らなければいけないと思っている」と述べた。
東国原知事は座談会の後で、「徴兵制とか軍隊とか言わないですけど、若者にはある時期、規律を重んじるような機関で教育することは重要だと思う。
道徳や倫理観の欠落が、今の規律の喪失につながっている気がする」と報道陣に釈明したが、翌日の各紙には「徴兵制あってしかるべき」発言が報じられた。】
【東国原知事は、自身のホームページの「過去の不祥事」コーナーで99年に「たけし軍団」の後輩に暴行を加えた問題について、「軍団の先輩として、集団の規律や規範を乱す彼に反省の態度や意志が見えないのを正すため、一発蹴った」と述べていた(現在ではなぜかこの該当箇所がHPから削除されている)。】
若者の道徳や倫理観の欠如が、今の規律の喪失につながっているとの一つの分析には異論はないにしても(それ以外にも要因はいろいろあると思うが)、「道徳や倫理観の確立」は軍隊で成されるものではない。
いつの時代も「いまどきの若者は」と嘆くのは同じであり、東国原知事も若い時は先輩からそういわれてきた筈である。
今更いうまでもないが、教育や社会規範の確立には、さまざまな要因が錯綜する現代の複合社会の中では、教育界も、家庭での家族関係も、経済社会の不安定さも、政治の閉塞状況も、すべての要因が絡み合ってるがゆえに、そのすべての分野での改革が必要なのであって、軍隊に徴兵すれば解決する問題ではないはずである。
東京都民が再軍備を欲しているとは考えられないし、大阪府民が核武装を求め、宮崎県民が徴兵制を望んでいるとは思えないが、しかし、現実の選挙では圧勝を与えたのである。
それとも、他党や他候補との政策の比較もせずに、ただ単に、○か×の感覚的選択をしただけなのだろうか。はっきりしていることは、いずれの政治家を選んだのも東京と大阪と宮崎の選挙民であり、大衆民主主義の結果なのである。
大衆民主主義の中では条件さえ整えば他の自治体でも国政でも起こり得ることなのである。
かつて、日本国民は、圧倒的な多数で戦争突入を賛美した。
それは一時的な大衆民主主義の気紛れなのか。
今、その悪夢が、再び忍びよってきているのでなければ幸いなのだが…
(資料出所・ウィキペディア)



