共産主義革命に限らず、そのときの社会体制を崩壊させるためには、自分たちの主張に都合のいい状態が生まれることを望むのは当然でもあるのだが、そうした考え方を「危機待望論」という。
しかし、いくら自分たちの目的のために都合がいいからといっても、社会が危機的な状態になってしまうと、解決するまでは国民生活を犠牲にしなければならないし、解決するには多くの時間と犠牲を必要とするから、決して好ましいことではない。
それでも社会を改革しようとする人々の一部には目的のためには犠牲も止むを得ないと考えるケースもある。
たとえば、坂本龍馬に代表される明治維新を目指す人々の中には、徳川の武家政治が行き詰って市民の生活が苦しくなればなるほど自分たちへの支持が増えると考える。
そのうえに、アメリカのペリーが開国を迫る国際情勢も、国民の不安を醸成し「このままではだめだ」と革命への期待につながるから好ましいと歓迎する。
第一次世界大戦の引き金になったサラエボ事件(1914年6月、オーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者フェルディナント大公夫妻が、セルビア人の過激分子によるテロに遭い銃撃され死亡した事件を契機に、片や「ドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリアによる中央同盟国」と、片や「イギリス・フランス・ロシア・日本・イタリア・アメリカによる連合国」の二陣営に分かれて戦争したのが第一次世界大戦である)、このテロを決行したセルビア人青年も、実は形を変えた危機待望論を抱いていた。
もともとセルビアはオ-ストリア・ハンガリー帝国の支配下で強烈な不満を持っていた。
過激な民族意識を持っていたテロリストたちは、フェルディナント大公がセルビアの声の一部を受け入れるために融和政策を採ることに危機感を抱いた。
その政策が実行されては、国民の反オーストリア・ハンガリー感情が薄れてしまうからだ。
融和政策がとられると国民はオーストリアとハンガリーを許容する、あるいは寛容する気持ちになってしまうに違いない。
あせったテロリストは、大公の融和政策が発表される前に大公を暗殺することにしたのである。
つまり融和政策によって国民の反感が少しでも弱くなっては自分たちの主張が支持されにくくなるから、今までと同じような圧制下で国民の反感が強いままであって欲しかったのである。
国民が危機に瀕していた方がよい。
まさしく危機待望論である。
これは何も国際問題だけに限ったことではない。
国内の政治でも同じことがいえる。
政権をとろうとすれば、政権側に失敗があったほうがいい。
失敗によって国民がどんなに苦しもうと、苦しんで不安や不満を抱けば、その政策を批判することで自分たちが多数をとれる。
国民の不満が大きければ大きいほど好都合ということになってしまう。
政権政党が国民受けする政策をとって支持を取り付けるように、野党は政権党が失敗して国民の不満がさらに増幅される政策を採ってくれた方がいいと思ってしまう。
消費税をめぐる各政党の主張もそうした眼で見ると合点がいく。
たとえば、自民党が政権党であったときには社会保障の持続には増税は避けられないと考えていた。
しかし野党になったら手のひらを返したように政府案を批判するのも、理屈のうえでは日本の社会保障を持続させるためには増税は避けられないと思っていても、増税への国民の不満が民主党にいってくれれば自分たちに有利になると考える。
政権党である民主党内でも小沢グループのように、負担の増加を嫌う国民感情を煽り立てて増税に反対することで国民の支持を受け、選挙に勝とうとする勢力もある。
小沢氏は、1993年~94年自著の「日本改造計画」の中で、「消費税率(当時3%)を段階的に10%に引き上げるべきだ。」と述べているし、細川政権下では国民福祉税7%を主張した。
1995年の新進党の党首選挙に出馬した時には、「10年後に10%にすべき」と述べながら、1996年衆議院選挙への党の公約では「10%アップを削除して引上げには反対」と記すこともいとわない。
1996年(新進党党首時代)に出版された自著「語る」では、「僕は、消費税(率)を結果として10%にしろという方だから、あげること自体には反対でない」、所得税・住民税の減税を先行して実施することを条件にしていたが、「苦痛を伴うことも、国民にはっきり言う政治家の勇気と見識である」と評価されていた。
さらに「言わないことは政治家の怠慢だ」とも述べ、2007年11月、自民党と野党民主党の大連立構想が浮上した際には、小沢氏は仲介役の自民党森元総理に対し、「消費税(率引上げ)を言った方が(選挙で)負けるということを繰り返していたら日本の政治は前進しない。
社会保障、税制を含めて同じテーブルでやろう」ともちかけたといわれる(森氏談)。
2009年の衆議院選挙の時には、「民主党の代表代行としては任期中の引上げはしない」と公約したが、2011年11月のインターネット番組で、「消費税(増税)は反対ですね」と問われると、「今やることはね」と答弁している(自分に都合が良くなったら増税するという意か)。
その時々によって主張をくるくる変えるのも、国民におもねて選挙に勝つことだけを考えるがゆえの戦術なのだろう。
選挙に強いといわれる小沢氏の面目躍如である。
冒頭に記したセルビアの話も、また現在ではイスラム原理主義者の自爆テロ事件も、敵方の相手国が政策を間違え、例えそれが自国民に不幸を招くことであっても、国民が不満や不安を大きく抱くことを歓迎することでは同じなのである。
こうした類の話は私たちに関係した事でも起こり得る。働く者にとって一番恐れるのは失業である。
失業率が高くなれば「政府・会社は何をしているのか」と不満を抱く。
至極当然のことである。
これを政争の具に利用できれば働く人々の支持を取り付けやすい。
このように自分たちが権力を握るためには国民生活に危機が訪れたほうが好都合と考えるのが「危機待望論」なのである。
現に数年前の派遣労働者の契約打ち切りが社会問題になった際に、戦前に共産党員の小林多喜二が著した小説「蟹工船」がベストセラーになり、当時、共産党への入党者が激増したことをみても、好むと好まざるとを問わず、不満や不安があふれれば現状を拒否する意識が働き、その受け皿は用意しやすくなることの証左でもある。
もっとはっきりしているのは、ヨーロッパでは次の選挙で支持を失いそうな政権与党は、「それならと、予算を使い放題使い、代わりに政権に座った相手政党を困らせようとする」戦術さえとるともいわれる。
その政策で犠牲になるのは政党ではなく国民なのであるが…。
しかし、世の中が複雑なのは、危機的な状況を少しでも避けようとする善意の行動もあれば、それに反対する声も同時に起こることである。
私たち労働組合も、失業者が増大することを何とか避けようとさまざまな対策を考える。
自分たちの労働条件を下げてでも雇用を守ろうと、ワークシェアリングを考えたり、あるいは、正規社員の労働条件を我慢しても非正規社員の労働条件の引き上げを求めることもある。
それが労働者の連帯であると考える人々と、連帯されては社会の不満が抑制されてしまうと歓迎しない人々も出てくる。
歓迎しない人々は、一方的に会社が悪い、社会が悪い、政治が悪いと言い続けていれば組合員の不満を吸収できるし、果ては「失業を抑制する試み」をする組合の方針さえ批判することもある。
組合のリーダーが持つべき志、信念とは、こうした事態が起こることを予測できても、なお、今起きている憂うべき状況を少しでも改善させるための方策を打ち立て、貫き通すことなのである。
(2012年2月20日)
しかし、いくら自分たちの目的のために都合がいいからといっても、社会が危機的な状態になってしまうと、解決するまでは国民生活を犠牲にしなければならないし、解決するには多くの時間と犠牲を必要とするから、決して好ましいことではない。
それでも社会を改革しようとする人々の一部には目的のためには犠牲も止むを得ないと考えるケースもある。
たとえば、坂本龍馬に代表される明治維新を目指す人々の中には、徳川の武家政治が行き詰って市民の生活が苦しくなればなるほど自分たちへの支持が増えると考える。
そのうえに、アメリカのペリーが開国を迫る国際情勢も、国民の不安を醸成し「このままではだめだ」と革命への期待につながるから好ましいと歓迎する。
第一次世界大戦の引き金になったサラエボ事件(1914年6月、オーストリア・ハンガリー帝国の皇位継承者フェルディナント大公夫妻が、セルビア人の過激分子によるテロに遭い銃撃され死亡した事件を契機に、片や「ドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリアによる中央同盟国」と、片や「イギリス・フランス・ロシア・日本・イタリア・アメリカによる連合国」の二陣営に分かれて戦争したのが第一次世界大戦である)、このテロを決行したセルビア人青年も、実は形を変えた危機待望論を抱いていた。
もともとセルビアはオ-ストリア・ハンガリー帝国の支配下で強烈な不満を持っていた。
過激な民族意識を持っていたテロリストたちは、フェルディナント大公がセルビアの声の一部を受け入れるために融和政策を採ることに危機感を抱いた。
その政策が実行されては、国民の反オーストリア・ハンガリー感情が薄れてしまうからだ。
融和政策がとられると国民はオーストリアとハンガリーを許容する、あるいは寛容する気持ちになってしまうに違いない。
あせったテロリストは、大公の融和政策が発表される前に大公を暗殺することにしたのである。
つまり融和政策によって国民の反感が少しでも弱くなっては自分たちの主張が支持されにくくなるから、今までと同じような圧制下で国民の反感が強いままであって欲しかったのである。
国民が危機に瀕していた方がよい。
まさしく危機待望論である。
これは何も国際問題だけに限ったことではない。
国内の政治でも同じことがいえる。
政権をとろうとすれば、政権側に失敗があったほうがいい。
失敗によって国民がどんなに苦しもうと、苦しんで不安や不満を抱けば、その政策を批判することで自分たちが多数をとれる。
国民の不満が大きければ大きいほど好都合ということになってしまう。
政権政党が国民受けする政策をとって支持を取り付けるように、野党は政権党が失敗して国民の不満がさらに増幅される政策を採ってくれた方がいいと思ってしまう。
消費税をめぐる各政党の主張もそうした眼で見ると合点がいく。
たとえば、自民党が政権党であったときには社会保障の持続には増税は避けられないと考えていた。
しかし野党になったら手のひらを返したように政府案を批判するのも、理屈のうえでは日本の社会保障を持続させるためには増税は避けられないと思っていても、増税への国民の不満が民主党にいってくれれば自分たちに有利になると考える。
政権党である民主党内でも小沢グループのように、負担の増加を嫌う国民感情を煽り立てて増税に反対することで国民の支持を受け、選挙に勝とうとする勢力もある。
小沢氏は、1993年~94年自著の「日本改造計画」の中で、「消費税率(当時3%)を段階的に10%に引き上げるべきだ。」と述べているし、細川政権下では国民福祉税7%を主張した。
1995年の新進党の党首選挙に出馬した時には、「10年後に10%にすべき」と述べながら、1996年衆議院選挙への党の公約では「10%アップを削除して引上げには反対」と記すこともいとわない。
1996年(新進党党首時代)に出版された自著「語る」では、「僕は、消費税(率)を結果として10%にしろという方だから、あげること自体には反対でない」、所得税・住民税の減税を先行して実施することを条件にしていたが、「苦痛を伴うことも、国民にはっきり言う政治家の勇気と見識である」と評価されていた。
さらに「言わないことは政治家の怠慢だ」とも述べ、2007年11月、自民党と野党民主党の大連立構想が浮上した際には、小沢氏は仲介役の自民党森元総理に対し、「消費税(率引上げ)を言った方が(選挙で)負けるということを繰り返していたら日本の政治は前進しない。
社会保障、税制を含めて同じテーブルでやろう」ともちかけたといわれる(森氏談)。
2009年の衆議院選挙の時には、「民主党の代表代行としては任期中の引上げはしない」と公約したが、2011年11月のインターネット番組で、「消費税(増税)は反対ですね」と問われると、「今やることはね」と答弁している(自分に都合が良くなったら増税するという意か)。
その時々によって主張をくるくる変えるのも、国民におもねて選挙に勝つことだけを考えるがゆえの戦術なのだろう。
選挙に強いといわれる小沢氏の面目躍如である。
冒頭に記したセルビアの話も、また現在ではイスラム原理主義者の自爆テロ事件も、敵方の相手国が政策を間違え、例えそれが自国民に不幸を招くことであっても、国民が不満や不安を大きく抱くことを歓迎することでは同じなのである。
こうした類の話は私たちに関係した事でも起こり得る。働く者にとって一番恐れるのは失業である。
失業率が高くなれば「政府・会社は何をしているのか」と不満を抱く。
至極当然のことである。
これを政争の具に利用できれば働く人々の支持を取り付けやすい。
このように自分たちが権力を握るためには国民生活に危機が訪れたほうが好都合と考えるのが「危機待望論」なのである。
現に数年前の派遣労働者の契約打ち切りが社会問題になった際に、戦前に共産党員の小林多喜二が著した小説「蟹工船」がベストセラーになり、当時、共産党への入党者が激増したことをみても、好むと好まざるとを問わず、不満や不安があふれれば現状を拒否する意識が働き、その受け皿は用意しやすくなることの証左でもある。
もっとはっきりしているのは、ヨーロッパでは次の選挙で支持を失いそうな政権与党は、「それならと、予算を使い放題使い、代わりに政権に座った相手政党を困らせようとする」戦術さえとるともいわれる。
その政策で犠牲になるのは政党ではなく国民なのであるが…。
しかし、世の中が複雑なのは、危機的な状況を少しでも避けようとする善意の行動もあれば、それに反対する声も同時に起こることである。
私たち労働組合も、失業者が増大することを何とか避けようとさまざまな対策を考える。
自分たちの労働条件を下げてでも雇用を守ろうと、ワークシェアリングを考えたり、あるいは、正規社員の労働条件を我慢しても非正規社員の労働条件の引き上げを求めることもある。
それが労働者の連帯であると考える人々と、連帯されては社会の不満が抑制されてしまうと歓迎しない人々も出てくる。
歓迎しない人々は、一方的に会社が悪い、社会が悪い、政治が悪いと言い続けていれば組合員の不満を吸収できるし、果ては「失業を抑制する試み」をする組合の方針さえ批判することもある。
組合のリーダーが持つべき志、信念とは、こうした事態が起こることを予測できても、なお、今起きている憂うべき状況を少しでも改善させるための方策を打ち立て、貫き通すことなのである。
(2012年2月20日)



