あの大震災から1年、震災によって発生した岩手、宮城、福島三県の瓦礫は2253万トン(環境省の推計)に達し、いまだ5.6%しか処理されていないという(2012年3月2日現在)。
とくに3県で一番多い宮城県石巻市の瓦礫は616万トンで、今までの市のごみ処理の106年分に相当する。宮城県は岩手県と共に全国の自治体に処理を依頼しているが引き受ける自治体が少なく進んでいない。
津波の被害にあった被災者がお互いに支えあっている姿、支援のために現地で活動するボランティアの人々、少しでも役に立てればと精一杯の義捐金を出す人々のニュースを見て、日本人の「絆」や「思いやりの心」に涙した人も多い。
十分な手助けできないもどかしさを感じながらも、「日本人らしい心情」に誇りを感じた記憶も新しい。
中でも福島県は、原子力発電所の事故による放射線の影響を理由に、瓦礫処理の引き受け手は皆無に近い。
逸早く名乗りを上げた東京都の英断は特筆に価するし、普段の石原都知事の行政手法に懐疑的であった私でさえ、率直に評価しているが、それに引き換え、わが地元神奈川県は、知事が引き受けに名乗りを上げているにも拘らず、一部住民の反対にいまだ結論が出せないで(3月20日現在。候補地に挙がった横須賀市の住民集会で、説明に来た神奈川県知事に対して、ヤジと怒号で話し合いにも応じない一部の市民をみて、同じ地区に住む身として情けないと感じた市民は多い)、手を拱いているのが恥ずかしい思いだ(手を上げない自治体よりはいいが)。
資料によれば、【宇宙は誕生以来、原子を形作る粒子と粒子間の反応の中にある。
この原子核の崩壊と合体の繰り返しによって、宇宙には無数の放射線が飛び交うことになり今も続いている。
地球はそうした宇宙の中で、塵や小さな惑星が集まって生まれたが、金や銀、銅や鉄などの元素(原子の種類)とか、ウランやトリウムなど放射線を出す元素(放射性元素)が集まったのである。
46億年前のことである。
その後、30数億年前、放射線が飛び交っている中で生命が誕生する。
したがって地球は、地中の放射性元素から絶えず放射線が出され続け、加えて、宇宙のかなたの星の爆発などによって地球にやってくる放射線(宇宙線)も地表に降り注いでいる。
人間は生命の誕生以来、宇宙と大地からの放射線を受けて生活しているのである。大地の土、砂、砂利、岩石に含まれているウランやトリウムなどから放射線が出されており、地面からだけではなく、それらを使っているコンクリートの建物からも、壁や天井、床などからも放射線を浴びている。
とくに、花崗岩(かこうがん)には金銀などの貴金属や重金属が含まれているので、当然、ウランやトリウムからの放射線量が高い。
御影石でつくられている鳥居や墓石、道路の敷石などからも放射線が出ている。
また、日本の温泉の成分にはラドンやラジウムなどの放射線元素を含むものも多いのはよく知られているが、ラジウム温泉では、秋田の玉川温泉、山梨の増富温泉(ラドン温泉)、島根の池田温泉、兵庫の有馬温泉、鳥取の三朝温泉(ラドン温泉)などが有名である。
こうした放射線温泉は昔から人気があり、日本に限らず、ヨーロッパ、東欧、ロシア、地中海沿岸にも放射線温泉は多い。
なかでも、オーストリアのザルツブルク南方、アルプスに近いバドガスタインは古くから繁盛している。
2012年2月、岩盤浴ブームの火付け役となった秋田県の玉川温泉で、雪崩が発生して不幸にも3名の犠牲者を出したのも、ラジウムの放射が強い場所での岩盤浴の人気の高さゆえの出来事であった。
このように、放射線は日常の私たちの生活の周囲に飛び交っているもので、少量でも危険という雰囲気には何の根拠もないとされている。
日本における自然放射線量は、北海道、東北、関東地方は少なく、近畿、中国、四国地方は多い。
世界でも大地放射線量には地域差があり、中国・広東省の陽江県(トリウム元素を含む砂による)、インドのケララ州を含む西海岸(トリウム元素を含む砂による)、再開発が進み海岸だけが高いブラジルのカラパリ(トリウム元素を含む砂により年間被曝量は35ミリSvに達するという)、イランのラムサール(温泉の噴出で溜まったラジウムにより最大で年間260ミリSv)が有名である。
いずれも健康への影響は認められていない。
また、日本の医療被曝は世界的にも多いわけだが、たとえば、レントゲン撮影(X線)では約0.02ミリSv(注・単位がミリシーベルトであることに注意。
日本で話題になる際の単位はマイクロで、1ミリは1000マイクロになる)、歯科での口内X線は0.0033ミリSv、CTスキャン装置などからの放射線は7~20ミリSvもある。
医療で使われる場合は、一般的に自分の健康を考えて受診する意思決定をしているから被爆は止むを得ないと考えられているのだが、欧米の医療先進国では一人一年あたり0.5ミリSvの医療被曝があると報告されている。
CTスキャンなどが普及した国では医療被曝が自然被曝の値を超えてきており、リスクが危惧され始めている。
電気事業連合会では、医療被曝は世界が0.61ミリSv、日本が2.25ミリSvと推定しているのを見ると、日本の被爆量は極めて高い。
また、自然放射線の被曝量は世界平均で2.4ミリSvと推定されているが、日本での最小は神奈川県0.81ミリSv、最大は岐阜県の1.19ミリSv(1190マイクロシーベルトで、かつ大気中のラドンから放出される被曝量は含まれていない数値)と幅がある。
花崗岩やコンクリートは放射線を高く放射しているから、日本の木造建築は放射線に限っては低線量といえる。
ラドン温泉は街中でよく見られ健康に良いとさえいわれるが、ラドンからの年間被曝量は0.4ミリSvと推定されている。
放射線をめぐっては専門家の間でもさまざまな意見がある。
なぜこうも学者の間で意見が分かれているのか、国民から見れば困った現象だと思うが、どうやら影響があるか否かの判断基準にも学者間で意見の相違があるらしい。
国際放射線安全防護委員会(ICRP)では、「リスクがないことを立証できないからリスクがあると想定する」という立場をとっているのに対し、放射線影響協会は、逆に「リスクがあると立証できないならリスクはないとみな
すべきである」と、年間5ミリSv以下などの低線量被爆は安全としている。】
(資料・ウィキペディア)。
どちらの考えが正しいか素人の私には軽々に断定できないが、放射線が眼に見えないがゆえに不安を抱えていると、多少理屈に合わなくておかしいと思っても、前者(ICRP)の立場寄りになってしまうのは避けられないようだ。
政府が決めた規制値もその類(たぐ)いで、危険の可能性が低いのにも係わらず必要以上に厳しい規制値を決めたことによって、農家や漁業は理由のない風評被害をこうむっているように思える。
2011年8月のフジテレビの特集では、日本がこれだけ騒いでいることに対し、日本の制限基準より高い自然放射線を浴びているローマ市民が、「何千年もこの環境で生活していて何の問題も起きていない。日本は騒ぎすぎ」と発言しているのを見ると、私たちももう少し冷静になったほうが良いかもしれないとも思う。
ちなみに、1Sv=1000ミリSv=100万マイクロSvだから、1ミリSv=1000マイクロSvとなる。胸部レントゲン撮影の放射線は0.02ミリSvだから20マイクロSvになる。
医療被曝は世界平均が0.61ミリSv=610マイクロSvで、日本は2.25ミリSv=2250マイクロSvに達する。
この数字からみても分かるように、日本の食料品や土壌汚染の規制値は極めて低く、規制値をオーバーしたからといってむやみに焦って大騒ぎする水準ではないから、冷静に対応しなければならない。
ところで、こうした放射線の考え方もある中で、静岡県の島田市が瓦礫処理の受け入れを決めたことに対し、住民のほんの一部とは思うが、清掃工場の前で訪れていた政府の大臣に対して「信用できない」と聞く耳も持たずに反対を叫ぶニュースを見ると、瓦礫処理に苦悩している被災地の思いさえ配慮できない日本人の姿に愕然としてしまう。
そういえば、中国の巨大な軍事力や北朝鮮の拉致問題などから、日本の安全を図るためにはアメリカ軍の駐留は必要としながらも、その基地が沖縄ならよいが、自分の街に来ることには反対するのも日本人。
もっと身近なケースを取り上げれば、市内、県内にごみ処理場がなければ自分の家から出すごみの処理もできない。
ごみの処理場は必要だといいながら、しかし、我が家の隣に処理場を造ることは反対するのも日本人。
公のために私を我慢する当たり前のことがなくなりつつある。
瓦礫処理が終わって初めて復興への道が開けるのに、処理に協力することすらも拒否したのでは、困った人々に支援の手をさし伸べる「絆」も「思いやりの心」もなくしつつあると言わざるを得ない。
今回の被災に対しても、京都では「大文字焼きに使う薪の放射線が心配だから」といって、福岡県では、福島支援の物産展に対し、「福島ナンバーの車の県内走行で放射線が撒き散らされるから」といって、愛知県では「福島で製造した花火だから」といって反対し、行政もそうした反対論に屈して中止にしてしまう。
共通しているのは「市民からの抗議のメール」によるという。
メール数はそれぞれ異なっているが、とても市民の声を代表している多数ではない。
「認めてもいい」と思っている人は、黙って行政の対応を見ているのである。
わずかのメールで計画が中止される異常な事態が起こっている(前述した横須賀市の集会でも、参加して怒号を浴びせているのは市民のごく一部の人々だ)。
その一方で、人々は「絆」こそが大事、「思いやり」を持とうと口々に叫ぶ矛盾に平然としている。
そんな中で、「除染した汚染土の置き場に頭を悩ませている自治体に対し、市民が仮置き場を見つけて提案してくるケースが増えている」(福島県伊達市・2012年3月2日「読売新聞」)ニュースに心がほっとする。
阪神大震災でも瓦礫処理には3年を要した。
途方もない期間と費用を必要とする瓦礫処理に、被害を受けていない自治体の市民が立ち上がらなくてどうするのか。
お互いに支えあう心が、かつての日本の地域社会を作り上げてきた。
それが、いつからか、地域の共同社会を崩壊させ、地域よりも自分のことを最優先させる日本人に成り果ててしまったのか。
瓦礫処理の受け入れを目指す3県5市(秋田県、神奈川県、静岡県の3県と、川崎、青森県八戸、秋田県大仙、同仙北、静岡県島田の5市)が2012年2月29日に「みんなの力でがれき処理」プロジェクトを設立したことや、野田総理自ら、がれき処理の指揮を執ることで、名乗りを上げる自治体が出てきたのがせめてもの救いである(2012年3月20日現在)。
連帯を旨とする労働組合が、全国でがれき処理の受け入れに声を上げ、日本社会の連帯をもう一度作り上げることはできないだろうか。
連帯と社会的役割を旨として作られている労働組合こそが、日本人に、もう一度、「絆」や「思いやりの心」を思い起こさせる力があると思うのは買い被りなのだろうか。
(3月20日)
とくに3県で一番多い宮城県石巻市の瓦礫は616万トンで、今までの市のごみ処理の106年分に相当する。宮城県は岩手県と共に全国の自治体に処理を依頼しているが引き受ける自治体が少なく進んでいない。
津波の被害にあった被災者がお互いに支えあっている姿、支援のために現地で活動するボランティアの人々、少しでも役に立てればと精一杯の義捐金を出す人々のニュースを見て、日本人の「絆」や「思いやりの心」に涙した人も多い。
十分な手助けできないもどかしさを感じながらも、「日本人らしい心情」に誇りを感じた記憶も新しい。
中でも福島県は、原子力発電所の事故による放射線の影響を理由に、瓦礫処理の引き受け手は皆無に近い。
逸早く名乗りを上げた東京都の英断は特筆に価するし、普段の石原都知事の行政手法に懐疑的であった私でさえ、率直に評価しているが、それに引き換え、わが地元神奈川県は、知事が引き受けに名乗りを上げているにも拘らず、一部住民の反対にいまだ結論が出せないで(3月20日現在。候補地に挙がった横須賀市の住民集会で、説明に来た神奈川県知事に対して、ヤジと怒号で話し合いにも応じない一部の市民をみて、同じ地区に住む身として情けないと感じた市民は多い)、手を拱いているのが恥ずかしい思いだ(手を上げない自治体よりはいいが)。
資料によれば、【宇宙は誕生以来、原子を形作る粒子と粒子間の反応の中にある。
この原子核の崩壊と合体の繰り返しによって、宇宙には無数の放射線が飛び交うことになり今も続いている。
地球はそうした宇宙の中で、塵や小さな惑星が集まって生まれたが、金や銀、銅や鉄などの元素(原子の種類)とか、ウランやトリウムなど放射線を出す元素(放射性元素)が集まったのである。
46億年前のことである。
その後、30数億年前、放射線が飛び交っている中で生命が誕生する。
したがって地球は、地中の放射性元素から絶えず放射線が出され続け、加えて、宇宙のかなたの星の爆発などによって地球にやってくる放射線(宇宙線)も地表に降り注いでいる。
人間は生命の誕生以来、宇宙と大地からの放射線を受けて生活しているのである。大地の土、砂、砂利、岩石に含まれているウランやトリウムなどから放射線が出されており、地面からだけではなく、それらを使っているコンクリートの建物からも、壁や天井、床などからも放射線を浴びている。
とくに、花崗岩(かこうがん)には金銀などの貴金属や重金属が含まれているので、当然、ウランやトリウムからの放射線量が高い。
御影石でつくられている鳥居や墓石、道路の敷石などからも放射線が出ている。
また、日本の温泉の成分にはラドンやラジウムなどの放射線元素を含むものも多いのはよく知られているが、ラジウム温泉では、秋田の玉川温泉、山梨の増富温泉(ラドン温泉)、島根の池田温泉、兵庫の有馬温泉、鳥取の三朝温泉(ラドン温泉)などが有名である。
こうした放射線温泉は昔から人気があり、日本に限らず、ヨーロッパ、東欧、ロシア、地中海沿岸にも放射線温泉は多い。
なかでも、オーストリアのザルツブルク南方、アルプスに近いバドガスタインは古くから繁盛している。
2012年2月、岩盤浴ブームの火付け役となった秋田県の玉川温泉で、雪崩が発生して不幸にも3名の犠牲者を出したのも、ラジウムの放射が強い場所での岩盤浴の人気の高さゆえの出来事であった。
このように、放射線は日常の私たちの生活の周囲に飛び交っているもので、少量でも危険という雰囲気には何の根拠もないとされている。
日本における自然放射線量は、北海道、東北、関東地方は少なく、近畿、中国、四国地方は多い。
世界でも大地放射線量には地域差があり、中国・広東省の陽江県(トリウム元素を含む砂による)、インドのケララ州を含む西海岸(トリウム元素を含む砂による)、再開発が進み海岸だけが高いブラジルのカラパリ(トリウム元素を含む砂により年間被曝量は35ミリSvに達するという)、イランのラムサール(温泉の噴出で溜まったラジウムにより最大で年間260ミリSv)が有名である。
いずれも健康への影響は認められていない。
また、日本の医療被曝は世界的にも多いわけだが、たとえば、レントゲン撮影(X線)では約0.02ミリSv(注・単位がミリシーベルトであることに注意。
日本で話題になる際の単位はマイクロで、1ミリは1000マイクロになる)、歯科での口内X線は0.0033ミリSv、CTスキャン装置などからの放射線は7~20ミリSvもある。
医療で使われる場合は、一般的に自分の健康を考えて受診する意思決定をしているから被爆は止むを得ないと考えられているのだが、欧米の医療先進国では一人一年あたり0.5ミリSvの医療被曝があると報告されている。
CTスキャンなどが普及した国では医療被曝が自然被曝の値を超えてきており、リスクが危惧され始めている。
電気事業連合会では、医療被曝は世界が0.61ミリSv、日本が2.25ミリSvと推定しているのを見ると、日本の被爆量は極めて高い。
また、自然放射線の被曝量は世界平均で2.4ミリSvと推定されているが、日本での最小は神奈川県0.81ミリSv、最大は岐阜県の1.19ミリSv(1190マイクロシーベルトで、かつ大気中のラドンから放出される被曝量は含まれていない数値)と幅がある。
花崗岩やコンクリートは放射線を高く放射しているから、日本の木造建築は放射線に限っては低線量といえる。
ラドン温泉は街中でよく見られ健康に良いとさえいわれるが、ラドンからの年間被曝量は0.4ミリSvと推定されている。
放射線をめぐっては専門家の間でもさまざまな意見がある。
なぜこうも学者の間で意見が分かれているのか、国民から見れば困った現象だと思うが、どうやら影響があるか否かの判断基準にも学者間で意見の相違があるらしい。
国際放射線安全防護委員会(ICRP)では、「リスクがないことを立証できないからリスクがあると想定する」という立場をとっているのに対し、放射線影響協会は、逆に「リスクがあると立証できないならリスクはないとみな
すべきである」と、年間5ミリSv以下などの低線量被爆は安全としている。】
(資料・ウィキペディア)。
どちらの考えが正しいか素人の私には軽々に断定できないが、放射線が眼に見えないがゆえに不安を抱えていると、多少理屈に合わなくておかしいと思っても、前者(ICRP)の立場寄りになってしまうのは避けられないようだ。
政府が決めた規制値もその類(たぐ)いで、危険の可能性が低いのにも係わらず必要以上に厳しい規制値を決めたことによって、農家や漁業は理由のない風評被害をこうむっているように思える。
2011年8月のフジテレビの特集では、日本がこれだけ騒いでいることに対し、日本の制限基準より高い自然放射線を浴びているローマ市民が、「何千年もこの環境で生活していて何の問題も起きていない。日本は騒ぎすぎ」と発言しているのを見ると、私たちももう少し冷静になったほうが良いかもしれないとも思う。
ちなみに、1Sv=1000ミリSv=100万マイクロSvだから、1ミリSv=1000マイクロSvとなる。胸部レントゲン撮影の放射線は0.02ミリSvだから20マイクロSvになる。
医療被曝は世界平均が0.61ミリSv=610マイクロSvで、日本は2.25ミリSv=2250マイクロSvに達する。
この数字からみても分かるように、日本の食料品や土壌汚染の規制値は極めて低く、規制値をオーバーしたからといってむやみに焦って大騒ぎする水準ではないから、冷静に対応しなければならない。
ところで、こうした放射線の考え方もある中で、静岡県の島田市が瓦礫処理の受け入れを決めたことに対し、住民のほんの一部とは思うが、清掃工場の前で訪れていた政府の大臣に対して「信用できない」と聞く耳も持たずに反対を叫ぶニュースを見ると、瓦礫処理に苦悩している被災地の思いさえ配慮できない日本人の姿に愕然としてしまう。
そういえば、中国の巨大な軍事力や北朝鮮の拉致問題などから、日本の安全を図るためにはアメリカ軍の駐留は必要としながらも、その基地が沖縄ならよいが、自分の街に来ることには反対するのも日本人。
もっと身近なケースを取り上げれば、市内、県内にごみ処理場がなければ自分の家から出すごみの処理もできない。
ごみの処理場は必要だといいながら、しかし、我が家の隣に処理場を造ることは反対するのも日本人。
公のために私を我慢する当たり前のことがなくなりつつある。
瓦礫処理が終わって初めて復興への道が開けるのに、処理に協力することすらも拒否したのでは、困った人々に支援の手をさし伸べる「絆」も「思いやりの心」もなくしつつあると言わざるを得ない。
今回の被災に対しても、京都では「大文字焼きに使う薪の放射線が心配だから」といって、福岡県では、福島支援の物産展に対し、「福島ナンバーの車の県内走行で放射線が撒き散らされるから」といって、愛知県では「福島で製造した花火だから」といって反対し、行政もそうした反対論に屈して中止にしてしまう。
共通しているのは「市民からの抗議のメール」によるという。
メール数はそれぞれ異なっているが、とても市民の声を代表している多数ではない。
「認めてもいい」と思っている人は、黙って行政の対応を見ているのである。
わずかのメールで計画が中止される異常な事態が起こっている(前述した横須賀市の集会でも、参加して怒号を浴びせているのは市民のごく一部の人々だ)。
その一方で、人々は「絆」こそが大事、「思いやり」を持とうと口々に叫ぶ矛盾に平然としている。
そんな中で、「除染した汚染土の置き場に頭を悩ませている自治体に対し、市民が仮置き場を見つけて提案してくるケースが増えている」(福島県伊達市・2012年3月2日「読売新聞」)ニュースに心がほっとする。
阪神大震災でも瓦礫処理には3年を要した。
途方もない期間と費用を必要とする瓦礫処理に、被害を受けていない自治体の市民が立ち上がらなくてどうするのか。
お互いに支えあう心が、かつての日本の地域社会を作り上げてきた。
それが、いつからか、地域の共同社会を崩壊させ、地域よりも自分のことを最優先させる日本人に成り果ててしまったのか。
瓦礫処理の受け入れを目指す3県5市(秋田県、神奈川県、静岡県の3県と、川崎、青森県八戸、秋田県大仙、同仙北、静岡県島田の5市)が2012年2月29日に「みんなの力でがれき処理」プロジェクトを設立したことや、野田総理自ら、がれき処理の指揮を執ることで、名乗りを上げる自治体が出てきたのがせめてもの救いである(2012年3月20日現在)。
連帯を旨とする労働組合が、全国でがれき処理の受け入れに声を上げ、日本社会の連帯をもう一度作り上げることはできないだろうか。
連帯と社会的役割を旨として作られている労働組合こそが、日本人に、もう一度、「絆」や「思いやりの心」を思い起こさせる力があると思うのは買い被りなのだろうか。
(3月20日)



