2011年12月の末、オウム真理教信者で指名手配されていた平田信容疑者が、2012年6月には菊池直子容疑者が、それぞれ逮捕されたことを知って、多くの人が17年前の地下鉄サリン事件を思い起こしたに違いない。それだけ日本社会を震撼とさせた事件であり、今もなお、当時の地下鉄出口の騒然としたテレビの映像は記憶に刻まれ、2012年の5月にはNHKがスペシャル番組でオウム事件の特集を放映している。
「犯罪の同時代史」を共著した高木氏と松本氏によれば、過去日本には4回の宗教ブームがあったという。その4回とも日本の政治・社会では大きな変革を迎えて、従来の価値観が大きく揺らぎ新しい価値観が生まれていく不安定な中で宗教ブームは起きている。
第1回目は幕末から明治維新の時期だから、政治権力が徳川の武家政治から近代国家の誕生の時期になる。
この時期、天理教、黒住教、金光教などの宗教が生まれたのだが、士農工商の身分社会の中で当たり前に過ごしてきた人々が、一夜明けて突如近代国家になったといわれて戸惑ったことは想像に難くない。
それまで切り捨て御免を当たり前にしてきた武士が、朝起きてみたら士農工商の身分制度も廃止され国民は皆平等であるといわれ、チョン髷、帯刀も禁止(明治9年に廃刀令)になって「どうしていけばいいのか」と悩むのは避けられない。
このように今までの価値観が否定され、「これからどうしていけばいいのか」と悩んでいるときに、的確に道しるべを示してくれる(と思わせてくれる)人や団体があればそれにすがろうとするのもまた人間の姿なのだろう。
第2回目のブームは日露戦争期から大正半ば頃までの時期だ。
明治維新によって近代化をなし遂げた日本は、資本主義の道を歩み始める。農村から大量の人々が都市に集まり労働者となっていく。
第1回目が政治権力の激動期なのに対し、この第2回目は経済・社会構造の激動期になる。生活の中心であった農村を離れ都市に集まった人々は、一様に「これからどうしていけばいいのか」という不安を抱え、心の支えになる宗教に頼りがちになりやすい。岡田式静座道場、無我苑、一燈園、心霊研究所、有名なものでは武者小路実篤の「新しい村」などが人々の支持を得ていく。
第3回目は、第1回目と同様に政治権力の激動期にあたる第二次世界大戦期から敗戦後の時期である。
多くの国民は敗戦によって世の中でどう変わっていくのかの不安を抱えていた時期、宗教は精神的なよりどころを与えた。
昭和初期に生まれた創価学会は急速に勢力を伸ばす一方、生長の家、世界救世教、PL教団、立正佼成会、霊友会などが生まれた。
第4回目が1970年以降の「神々のラッシュ・アワー」と呼ばれるブームで、経済成長によって昔からあった日本社会の構造変化、それは村社会の崩壊であったり、核家族化であったり、今まで心のどこかで依拠してきた故郷や伝統のかげが薄くなった時期に、人々に「心の縁(よすが)」を提供したのが宗教であった。
4回目のブームは今なお続き、過去の3回に比べて「小さな神々」(朝日新聞レポート)であることが特徴であり、既存宗教とは区別して新興宗教とよばれる。天心大霊神教、大和教団、高千穂心霊教団、専光坊などのほか、オウムもこの部類に属する。
宗教はもともと、信者は神の手に所有されるもので、政治権力で成り立つ国家社会には属していないと考える。
だから信者は国家がつくる法律や常識の埒外にあるから社会の法律や道徳や規範をないがしろにしやすい。
1970年代末の「イエスの方舟」事件(後述)、1980年代半ばの「エホバの証人」輸血拒否事件(後述)、一連のオウムによる大量殺戮事件などは、団体内の「擬似共同体」にすべてを依拠することから発生する。
一部の新興宗教による殺人や虐殺は日本だけではない。
個人や社会に対して破壊的、あるいは非人道的な行為をする宗教を「オカルト宗教」(オカルトの語源は、ラテン語の「隠されたもの」)と呼ぶが、「オカルト」の典型と称されるアメリカの「人民寺院」事件は凄まじい。
自称キリスト教系の新宗教である「人民寺院」は、1956年に白人のジム・ジョーンズによって設立され、「人種差別撤廃」を掲げ、黒人を中心とした信者を獲得、都市の下層民を収容し、福祉サービスを供給するコミューン(公社)の性格を持っていた。
しかしその内実は教団幹部を白人のみで独占し、ジョーンズはやがて独裁色を強め共産主義の到来を唱えるようになり、同時に強度の大麻薬物依存症で絶えず強迫観念に駆られていた。
脱退信者やメディアなどの批判が強くなってくると、南アメリカ北東部にあるガイアナ共和国に集団移住し(住み着いた集落をジョーズタウンと呼ぶ)、自給自足の生活を開始した。信者への暴力事件やレイプなどが多発し、ついにアメリカの下院議員レオ・ライアンの視察を受けることになる。ところが議員が視察を終えて帰国する際、人民寺院の信者たちの襲撃を受け、ライアン議員をはじめ取材陣ら7人が死亡、11人の重軽傷者を出す。 ジョーズタウンに戻った信者たちは、他の信者とともにジョーンズの指示によってシアン化合物の飲料水を飲み、あるいは注射して集団自殺を図ってしまう。
信者の9割に及ぶ914人が死亡、そのうち267人は18歳以下の子どもであった。ガイアナ国防軍が現地に到着したが、そこには死体の山だけが残され、2001年9月の同時多発テロまで、アメリカに関係した事件での死亡者の最大記録となっていたほど、悲惨な事件であった。
この事件は、現実社会のどこにも、自分の生きていく場所を見出すことが出来なかった人々が、神や信仰について冷静に考える前に、盲信し、頼りきり、信仰ではなく依存と取り違えてしまうことを示唆している。
この事件も、そうした人々が多かったゆえに、教祖の指示通り自らの手で命を絶った(自殺した)信者も多かったといわれる。
日本の宗教ブームの一部団体にも、キッカケにどんな理由があったにせよ、盲信や依存によって成り立っているのを否定しようがない。そうでなければ弁護士一家を殺害し、公証人役場の事務長を拉致監禁のうえ殺害、すでに起こしていたオウム事件を担当する裁判官の殺害を目的に、長野県の松本でサリン事件を起こし、そして最後は地下鉄の乗客を狙った大量殺害事件、取り締まる警察庁長官の殺害未遂事件などを起こすわけがないのである。
オウム事件にはいくつかの余談があって、中でもメディアが関係する「TBSオウム擁護姿勢」が特筆される。この事件は、1989年(平成元年)10月26日の「3時にあいましょう」の収録に、すでに脱退信者が救済を求めていた事件を担当していた坂本弁護士のインタビューを収録したが、考えられないことにTBSは放映する前にインタビュー内容をビデオでオウムに見せてしまう。そして、オウムから抗議され26日の放映を中止する失態を犯し、加えて、事前にオウムに見せたことを警察にも伝えなかったことから、TBSはオウムをかばっていると批判された。
日本人は一般に他人に対して甘えたい、依存したいという気持ちが強いといわれる。
どうして自分はこんなに不幸なんだ、なぜ自分だけがこんな目にあわなければならないのか、と疑問を持てば、甘えと依存心が芽生え、「家庭のない家族の時代」(小此木圭吾氏)では甘えられる対象が家族にも友人にもいなければ、頼ったところが小さな新興宗教であれば、そこにある擬似的な家族、擬似的な社会・共同体に救いを感じるのであろう。
アメリカの心理学者マズローは、人間は生活水準の変化(向上)に伴って、動機付けあるいは欲求の質が変化すると説いた。すなわち、当初は生きていくための本能としての「生理的な欲求」があり、次の段階は安定した生活を求める「安全・安定欲求」に、次は、誰かに愛されたい、愛したいという所属意識と愛を求める「社会的欲求」、そして、知識を高め能力を伸ばし、自尊心や公正な評価を受けたいという「自我の欲求」、最後は達成感・充実感を得るための「自己実現の欲求」に行き着く。
前二者は物質的な欲求であり、後者の三つは精神的欲求ということになる。
労働組合の努力もあり生活水準が向上した今、組合員の欲求の対象は、後者の三つになりつつある。それこそが動物と違う人間としての特徴といえるのである。
「個の自立」とか「多様性の時代」といわれるのも、まさしく欲求の質が物質的なものから精神的なものへと進化しているということである。
しかし、人間はひとりでは生きられない。「個の自立」が進めば進むほど人は寂しく、甘えたい、頼りたい対象を求める。
そのときに、たまたま対象が宗教であればそこに依拠するようになるし、対象が組合であれば組合に依拠するようになる。自立した個であればあるほど、心の中に不安を感じ、思い悩むようになる。
スポーツ選手や芸能人に宗教団体に入信している人は多い。立派な成績をあげて脚光を浴びていても、いつ不調になり成績が落ちるかも知れない不安を持ちやすいスポーツ選手、今日スポットライトを浴びていても、いつドサ回りに転落するかもしれない不安にさらされている芸人や芸能人、その不安な自分が擬似集団としての宗教に依拠するようになる可能性は高いということのようだ。
会社でいえば、かつての年功序列型の処遇、過不足なく仕事をこなせば定年までは勤められるという安心感が、熾烈な企業競争の中で保障されなくなった今、労働者が漠とした不安の中にいることは間違いない。
その一方では自己実現を求める精神的欲求の意識が高まっている。
こうした時代だからこそ、労働組合が組合員のよりどころにならなければならない。
労働組合が組合員のメンタルヘルス活動に取り組む時期を迎えている。あいも変わらない物質的豊かさのみを求める組合活動は望まれていない。
組合のリーダーが、そのことに気づき、役員や職場の委員がこぞってメンタルヘルスのカウンセラー役を担える組合があったとしたら、所属する組合員はこの上ない幸せな組織に所属しているといえるのだが、カウンセラーは専門的な知識や技術を必要とするので簡単にはできない。
だとしたら、組合としてメンタルヘルスを必要不可欠な活動と位置づけて何らかの取り組みを進めることこそ、最も求められていることなのではないだろうか。
「歴史を振り返ると、社会の不安感や不安定感が増したときに、全体主義のような過激な思想とか、怪しい宗教が出てきています。現在のように強いリーダーシップが求められたり、物事の黒白を性急に迫ったりする風潮も、その流れの中にあるでしょう。」(中央公論5月号「だからわたくしは仏教に期待する」高村薫)。そんな時代の労働組合運動とは、今、私たちにそれが突きつけられている。
(「人民寺院事件」資料出所・フリー百科「ウィキペディア」)
※参考資料 「イエスの方舟(はこぶね)」事件(ウィキペディア)
1965年から1977年の間、東京・多摩地区で、ある宗教団体の入信をきっかけとして家出し、家族から捜索願が出されるといった事件が相次いだ。
その宗教団体は「聖書研究会極東キリスト教会イエスの方舟」、教祖は「千石イエス」こと千石剛賢氏であった。
77年5月、7件の捜索願を受けた警視庁は、防犯部一課に特別捜査班を設置。しかし、千石氏と共同生活を続ける女性はいずれも自分の意思でそうしたもので、「家に帰るくらいなら死んだ方がましだ!」などと、家族の呼びかけを拒絶した。
「方舟」自体、法に触れるような容疑は見当たらなかったため、自分の意思をもつ大人である彼女たちを無理やり家に連れ戻すということはできなかった。そしてマスコミがこれに呼応する形で、「現代の神隠し教団」などのバッシングが始まった。新聞には、女性の家族の声を拝借し、「まるで人さらい」などという見出しが躍った。
これにより、多くの人は「女性をかどわかしてハーレムをつくる邪教」という印象を持った。1980年7月、熱海の印刷会社の寮で一行26人が発見される。ここは密着取材を続けていた「サンデー毎日」記者が用意したもので、7月4日、女性たちはここで記者会見を行なった。
彼女たちは、「誤解を解くために出てきました」と述べた後、「共同生活は楽しかった」、「私たちは千石氏を"責任者""おっちゃん"と呼んできた」、「親子の理解が浅かった。今でも千石氏以外、頼れる人はいない」、「自分を本当に理解してくれる人は責任者(仙石氏を指す)しかいない」、「(収入を得るために勤めた)ホステスは自分たちの考えで決めた。強制なんてされたことはない。責任者(仙石氏)はキャバレー勤めにすごく胸を痛めていた」
体調を崩していた千石氏はその後、荒川区内の病院に移され、22日、巣鴨少年センターに出頭。
普通なら教祖が逮捕され一件落着、千石バッシングも続いていくものと思われたが、そうはならなかった。これは千石氏が新興宗教の教祖にありがちな拝金主義でもなく、カリスマ性なども見受けられない普通の「おっちゃん」であったことなどがわかったからだといわれる。
「豊かだけれど、父親不在」の家庭に育った女性たちは、千石氏に「父親」を見た。
しかし、その家族たちは、娘が出ていった理由がまさか自分たちにあるとは思わなかったので、「方舟」に押しかけて千石氏を責めるしかなかった。そのことでさらに親子の溝は広まったのではないかと見られていた。
千石氏は名誉毀損で書類送検されたものの、女性らの証言から不起訴となった。女性たちのほとんどはそれでも千石氏のそばを離れようとはしなかった。
多くは家族とは和解し、騒動の翌年に開いた博多・中州の「シオンの娘」というクラブで働きながら、共同生活を続けていた。
メンバーの中には家族の元に戻った人もいたが、新たに訪ねて来る人もいて、騒動時よりも増えた。店はショーなどを見せ、「イエスの方舟」という大きい看板があったが意外に繁盛していたという。2001年12月、千石氏死去。享年78。
※参考資料 「エホバの証人」輸血拒否事件(ウィキペディア)
この事件は、1985年6月6日、神奈川県川崎市でダンプカーにひかれた小学5年生の男の子が、輸血が必要になったのに、「エホバの証人」の信者である両親が輸血を拒否、約5時間後に死亡した事件である。
この事件は、信者でない子供の生きる権利と親権の及ぶ範囲や親の承諾権、信仰の自由や医師の治療義務と裁量権などをめぐって法曹、宗教、医療の各界で大きな論争を引き起こした。
素人の私たちには専門的な知識がないので軽々に評価できるものではないので、参考までに著者の大泉氏が実際にエホバの証人の研究生(キリスト教で言う求道者)となって教団内部に潜入し、その実態をあからさまにレポートした「説得 エホバの証人と輸血拒否事件」(講談社文庫 大泉実成著)につ1988年3月10日の読売新聞の記事を紹介しておく。
■「説得 エホバの証人と輸血拒否事件」書評(前田健二)
【本書のクライマックスでは、大ちゃんが実際に事故に遭い、病院に搬送されて亡くなるまでの顛末が時系列的に綴られている。
本人の意識が段々と薄れていく中で、病院のロビーでは集まってきたエホバの証人の信者たちと医師達、そして警官達との激しいやり取りが繰り広げられる。
何が何でも輸血をさせまいとするエホバの証人の信者達、それに黙ってうなずく両親、あくまでも説得を続ける医師達、「それでも親かよ!」と叫びだす若い医師達、医師団とエホバの証人の双方に「お前ら全員告訴だあ!」と怒声を上げる警官達。
そこには「誰も何も出来ない」という実にもどかしい雰囲気が醸成されていく。そして、むなしいまま時間は過ぎ、大ちゃんの命は静かに消えていく。】
■読売新聞(1988年3月10日)
【タイトル「宗教上の輸血拒否 両親、医師の責任問わず 鑑定結果で判断/神奈川県警」
川崎市高津区で六十年六月、ダンプカーにひかれた小学五年生(当時)の男の子が、輸血が必要になったのに、「エホバの証人」(「ものみの塔聖書冊子協会」)の信者である両親の輸血拒否にあい、約五時間後に死亡した事件で、神奈川県警交通課と高津署は九日までに、輸血を拒否した親の保護責任者遺棄容疑、輸血を行なわなかった医師の業務上過失致死などの刑事責任は問わず、ダンプカーの運転手だけを業務上過失致死で近く書類送検する方針を固めた。
高津署では、輸血をしなかったことと死との因果関係を解明するため、司法解剖後、警察の鑑定医(私大教授)に、死因の鑑定を依頼する一方、両親に対する保護責任者遺棄罪や未必の故意による殺人、医師に対する業務上過失致死罪、医師法違反などの容疑を追及できるかどうか、慎重に捜査を進めてきた。
この結果、鑑定は(1)事故によるけがが大きかった(2)急性ジン不全を起こして様態が急変、出血性ショック死につながった(3)従って、輸血をしても助からなかった――とした。これらを踏まえて、警察側は両親や医師の刑事責任を問えないと判断した。
※ 蛇足だがこの事件をきっかけに、医療行為に対しインフォームド・コンセントという考え方が一般的なり、医療過誤の事故などに用いられる。インフォームド・コンセント(inforned consent)は、「正しい情報を得た(伝えられた)上での合意」を意味する概念。「IC」と略称されている。
とくに、医療行為(投薬・手術・検査など)や治験などの対象者(患者や被験者)が治療や臨床試験・治験の内容についてよく説明を受け十分理解したうえで(informed)、対象者が自らの自由意思に基づいて医療当事者と方針において合意する(consent)ことである(単なる「同意」だけでなく、説明を受けた上で治療を拒否することもICに含まれる)。
説明の内容としては対象となる行為の名称・内容・期待されている結果のみではなく、代替治療、副作用や成功率、費用、予後までも含んだ正確な情報が与えられることが望まれている。また、患者・被験者側も納得するまで質問し、説明を求めなければならない。
なお、英語の本来の意味としては『あらゆる』法的契約に適用されうる概念であるが、日本語でこの用語を用いる場合はもっぱら医療行為に対して使用される。
(ウィキペディア)
(2012年5月28日)
「犯罪の同時代史」を共著した高木氏と松本氏によれば、過去日本には4回の宗教ブームがあったという。その4回とも日本の政治・社会では大きな変革を迎えて、従来の価値観が大きく揺らぎ新しい価値観が生まれていく不安定な中で宗教ブームは起きている。
第1回目は幕末から明治維新の時期だから、政治権力が徳川の武家政治から近代国家の誕生の時期になる。
この時期、天理教、黒住教、金光教などの宗教が生まれたのだが、士農工商の身分社会の中で当たり前に過ごしてきた人々が、一夜明けて突如近代国家になったといわれて戸惑ったことは想像に難くない。
それまで切り捨て御免を当たり前にしてきた武士が、朝起きてみたら士農工商の身分制度も廃止され国民は皆平等であるといわれ、チョン髷、帯刀も禁止(明治9年に廃刀令)になって「どうしていけばいいのか」と悩むのは避けられない。
このように今までの価値観が否定され、「これからどうしていけばいいのか」と悩んでいるときに、的確に道しるべを示してくれる(と思わせてくれる)人や団体があればそれにすがろうとするのもまた人間の姿なのだろう。
第2回目のブームは日露戦争期から大正半ば頃までの時期だ。
明治維新によって近代化をなし遂げた日本は、資本主義の道を歩み始める。農村から大量の人々が都市に集まり労働者となっていく。
第1回目が政治権力の激動期なのに対し、この第2回目は経済・社会構造の激動期になる。生活の中心であった農村を離れ都市に集まった人々は、一様に「これからどうしていけばいいのか」という不安を抱え、心の支えになる宗教に頼りがちになりやすい。岡田式静座道場、無我苑、一燈園、心霊研究所、有名なものでは武者小路実篤の「新しい村」などが人々の支持を得ていく。
第3回目は、第1回目と同様に政治権力の激動期にあたる第二次世界大戦期から敗戦後の時期である。
多くの国民は敗戦によって世の中でどう変わっていくのかの不安を抱えていた時期、宗教は精神的なよりどころを与えた。
昭和初期に生まれた創価学会は急速に勢力を伸ばす一方、生長の家、世界救世教、PL教団、立正佼成会、霊友会などが生まれた。
第4回目が1970年以降の「神々のラッシュ・アワー」と呼ばれるブームで、経済成長によって昔からあった日本社会の構造変化、それは村社会の崩壊であったり、核家族化であったり、今まで心のどこかで依拠してきた故郷や伝統のかげが薄くなった時期に、人々に「心の縁(よすが)」を提供したのが宗教であった。
4回目のブームは今なお続き、過去の3回に比べて「小さな神々」(朝日新聞レポート)であることが特徴であり、既存宗教とは区別して新興宗教とよばれる。天心大霊神教、大和教団、高千穂心霊教団、専光坊などのほか、オウムもこの部類に属する。
宗教はもともと、信者は神の手に所有されるもので、政治権力で成り立つ国家社会には属していないと考える。
だから信者は国家がつくる法律や常識の埒外にあるから社会の法律や道徳や規範をないがしろにしやすい。
1970年代末の「イエスの方舟」事件(後述)、1980年代半ばの「エホバの証人」輸血拒否事件(後述)、一連のオウムによる大量殺戮事件などは、団体内の「擬似共同体」にすべてを依拠することから発生する。
一部の新興宗教による殺人や虐殺は日本だけではない。
個人や社会に対して破壊的、あるいは非人道的な行為をする宗教を「オカルト宗教」(オカルトの語源は、ラテン語の「隠されたもの」)と呼ぶが、「オカルト」の典型と称されるアメリカの「人民寺院」事件は凄まじい。
自称キリスト教系の新宗教である「人民寺院」は、1956年に白人のジム・ジョーンズによって設立され、「人種差別撤廃」を掲げ、黒人を中心とした信者を獲得、都市の下層民を収容し、福祉サービスを供給するコミューン(公社)の性格を持っていた。
しかしその内実は教団幹部を白人のみで独占し、ジョーンズはやがて独裁色を強め共産主義の到来を唱えるようになり、同時に強度の大麻薬物依存症で絶えず強迫観念に駆られていた。
脱退信者やメディアなどの批判が強くなってくると、南アメリカ北東部にあるガイアナ共和国に集団移住し(住み着いた集落をジョーズタウンと呼ぶ)、自給自足の生活を開始した。信者への暴力事件やレイプなどが多発し、ついにアメリカの下院議員レオ・ライアンの視察を受けることになる。ところが議員が視察を終えて帰国する際、人民寺院の信者たちの襲撃を受け、ライアン議員をはじめ取材陣ら7人が死亡、11人の重軽傷者を出す。 ジョーズタウンに戻った信者たちは、他の信者とともにジョーンズの指示によってシアン化合物の飲料水を飲み、あるいは注射して集団自殺を図ってしまう。
信者の9割に及ぶ914人が死亡、そのうち267人は18歳以下の子どもであった。ガイアナ国防軍が現地に到着したが、そこには死体の山だけが残され、2001年9月の同時多発テロまで、アメリカに関係した事件での死亡者の最大記録となっていたほど、悲惨な事件であった。
この事件は、現実社会のどこにも、自分の生きていく場所を見出すことが出来なかった人々が、神や信仰について冷静に考える前に、盲信し、頼りきり、信仰ではなく依存と取り違えてしまうことを示唆している。
この事件も、そうした人々が多かったゆえに、教祖の指示通り自らの手で命を絶った(自殺した)信者も多かったといわれる。
日本の宗教ブームの一部団体にも、キッカケにどんな理由があったにせよ、盲信や依存によって成り立っているのを否定しようがない。そうでなければ弁護士一家を殺害し、公証人役場の事務長を拉致監禁のうえ殺害、すでに起こしていたオウム事件を担当する裁判官の殺害を目的に、長野県の松本でサリン事件を起こし、そして最後は地下鉄の乗客を狙った大量殺害事件、取り締まる警察庁長官の殺害未遂事件などを起こすわけがないのである。
オウム事件にはいくつかの余談があって、中でもメディアが関係する「TBSオウム擁護姿勢」が特筆される。この事件は、1989年(平成元年)10月26日の「3時にあいましょう」の収録に、すでに脱退信者が救済を求めていた事件を担当していた坂本弁護士のインタビューを収録したが、考えられないことにTBSは放映する前にインタビュー内容をビデオでオウムに見せてしまう。そして、オウムから抗議され26日の放映を中止する失態を犯し、加えて、事前にオウムに見せたことを警察にも伝えなかったことから、TBSはオウムをかばっていると批判された。
日本人は一般に他人に対して甘えたい、依存したいという気持ちが強いといわれる。
どうして自分はこんなに不幸なんだ、なぜ自分だけがこんな目にあわなければならないのか、と疑問を持てば、甘えと依存心が芽生え、「家庭のない家族の時代」(小此木圭吾氏)では甘えられる対象が家族にも友人にもいなければ、頼ったところが小さな新興宗教であれば、そこにある擬似的な家族、擬似的な社会・共同体に救いを感じるのであろう。
アメリカの心理学者マズローは、人間は生活水準の変化(向上)に伴って、動機付けあるいは欲求の質が変化すると説いた。すなわち、当初は生きていくための本能としての「生理的な欲求」があり、次の段階は安定した生活を求める「安全・安定欲求」に、次は、誰かに愛されたい、愛したいという所属意識と愛を求める「社会的欲求」、そして、知識を高め能力を伸ばし、自尊心や公正な評価を受けたいという「自我の欲求」、最後は達成感・充実感を得るための「自己実現の欲求」に行き着く。
前二者は物質的な欲求であり、後者の三つは精神的欲求ということになる。
労働組合の努力もあり生活水準が向上した今、組合員の欲求の対象は、後者の三つになりつつある。それこそが動物と違う人間としての特徴といえるのである。
「個の自立」とか「多様性の時代」といわれるのも、まさしく欲求の質が物質的なものから精神的なものへと進化しているということである。
しかし、人間はひとりでは生きられない。「個の自立」が進めば進むほど人は寂しく、甘えたい、頼りたい対象を求める。
そのときに、たまたま対象が宗教であればそこに依拠するようになるし、対象が組合であれば組合に依拠するようになる。自立した個であればあるほど、心の中に不安を感じ、思い悩むようになる。
スポーツ選手や芸能人に宗教団体に入信している人は多い。立派な成績をあげて脚光を浴びていても、いつ不調になり成績が落ちるかも知れない不安を持ちやすいスポーツ選手、今日スポットライトを浴びていても、いつドサ回りに転落するかもしれない不安にさらされている芸人や芸能人、その不安な自分が擬似集団としての宗教に依拠するようになる可能性は高いということのようだ。
会社でいえば、かつての年功序列型の処遇、過不足なく仕事をこなせば定年までは勤められるという安心感が、熾烈な企業競争の中で保障されなくなった今、労働者が漠とした不安の中にいることは間違いない。
その一方では自己実現を求める精神的欲求の意識が高まっている。
こうした時代だからこそ、労働組合が組合員のよりどころにならなければならない。
労働組合が組合員のメンタルヘルス活動に取り組む時期を迎えている。あいも変わらない物質的豊かさのみを求める組合活動は望まれていない。
組合のリーダーが、そのことに気づき、役員や職場の委員がこぞってメンタルヘルスのカウンセラー役を担える組合があったとしたら、所属する組合員はこの上ない幸せな組織に所属しているといえるのだが、カウンセラーは専門的な知識や技術を必要とするので簡単にはできない。
だとしたら、組合としてメンタルヘルスを必要不可欠な活動と位置づけて何らかの取り組みを進めることこそ、最も求められていることなのではないだろうか。
「歴史を振り返ると、社会の不安感や不安定感が増したときに、全体主義のような過激な思想とか、怪しい宗教が出てきています。現在のように強いリーダーシップが求められたり、物事の黒白を性急に迫ったりする風潮も、その流れの中にあるでしょう。」(中央公論5月号「だからわたくしは仏教に期待する」高村薫)。そんな時代の労働組合運動とは、今、私たちにそれが突きつけられている。
(「人民寺院事件」資料出所・フリー百科「ウィキペディア」)
※参考資料 「イエスの方舟(はこぶね)」事件(ウィキペディア)
1965年から1977年の間、東京・多摩地区で、ある宗教団体の入信をきっかけとして家出し、家族から捜索願が出されるといった事件が相次いだ。
その宗教団体は「聖書研究会極東キリスト教会イエスの方舟」、教祖は「千石イエス」こと千石剛賢氏であった。
77年5月、7件の捜索願を受けた警視庁は、防犯部一課に特別捜査班を設置。しかし、千石氏と共同生活を続ける女性はいずれも自分の意思でそうしたもので、「家に帰るくらいなら死んだ方がましだ!」などと、家族の呼びかけを拒絶した。
「方舟」自体、法に触れるような容疑は見当たらなかったため、自分の意思をもつ大人である彼女たちを無理やり家に連れ戻すということはできなかった。そしてマスコミがこれに呼応する形で、「現代の神隠し教団」などのバッシングが始まった。新聞には、女性の家族の声を拝借し、「まるで人さらい」などという見出しが躍った。
これにより、多くの人は「女性をかどわかしてハーレムをつくる邪教」という印象を持った。1980年7月、熱海の印刷会社の寮で一行26人が発見される。ここは密着取材を続けていた「サンデー毎日」記者が用意したもので、7月4日、女性たちはここで記者会見を行なった。
彼女たちは、「誤解を解くために出てきました」と述べた後、「共同生活は楽しかった」、「私たちは千石氏を"責任者""おっちゃん"と呼んできた」、「親子の理解が浅かった。今でも千石氏以外、頼れる人はいない」、「自分を本当に理解してくれる人は責任者(仙石氏を指す)しかいない」、「(収入を得るために勤めた)ホステスは自分たちの考えで決めた。強制なんてされたことはない。責任者(仙石氏)はキャバレー勤めにすごく胸を痛めていた」
体調を崩していた千石氏はその後、荒川区内の病院に移され、22日、巣鴨少年センターに出頭。
普通なら教祖が逮捕され一件落着、千石バッシングも続いていくものと思われたが、そうはならなかった。これは千石氏が新興宗教の教祖にありがちな拝金主義でもなく、カリスマ性なども見受けられない普通の「おっちゃん」であったことなどがわかったからだといわれる。
「豊かだけれど、父親不在」の家庭に育った女性たちは、千石氏に「父親」を見た。
しかし、その家族たちは、娘が出ていった理由がまさか自分たちにあるとは思わなかったので、「方舟」に押しかけて千石氏を責めるしかなかった。そのことでさらに親子の溝は広まったのではないかと見られていた。
千石氏は名誉毀損で書類送検されたものの、女性らの証言から不起訴となった。女性たちのほとんどはそれでも千石氏のそばを離れようとはしなかった。
多くは家族とは和解し、騒動の翌年に開いた博多・中州の「シオンの娘」というクラブで働きながら、共同生活を続けていた。
メンバーの中には家族の元に戻った人もいたが、新たに訪ねて来る人もいて、騒動時よりも増えた。店はショーなどを見せ、「イエスの方舟」という大きい看板があったが意外に繁盛していたという。2001年12月、千石氏死去。享年78。
※参考資料 「エホバの証人」輸血拒否事件(ウィキペディア)
この事件は、1985年6月6日、神奈川県川崎市でダンプカーにひかれた小学5年生の男の子が、輸血が必要になったのに、「エホバの証人」の信者である両親が輸血を拒否、約5時間後に死亡した事件である。
この事件は、信者でない子供の生きる権利と親権の及ぶ範囲や親の承諾権、信仰の自由や医師の治療義務と裁量権などをめぐって法曹、宗教、医療の各界で大きな論争を引き起こした。
素人の私たちには専門的な知識がないので軽々に評価できるものではないので、参考までに著者の大泉氏が実際にエホバの証人の研究生(キリスト教で言う求道者)となって教団内部に潜入し、その実態をあからさまにレポートした「説得 エホバの証人と輸血拒否事件」(講談社文庫 大泉実成著)につ1988年3月10日の読売新聞の記事を紹介しておく。
■「説得 エホバの証人と輸血拒否事件」書評(前田健二)
【本書のクライマックスでは、大ちゃんが実際に事故に遭い、病院に搬送されて亡くなるまでの顛末が時系列的に綴られている。
本人の意識が段々と薄れていく中で、病院のロビーでは集まってきたエホバの証人の信者たちと医師達、そして警官達との激しいやり取りが繰り広げられる。
何が何でも輸血をさせまいとするエホバの証人の信者達、それに黙ってうなずく両親、あくまでも説得を続ける医師達、「それでも親かよ!」と叫びだす若い医師達、医師団とエホバの証人の双方に「お前ら全員告訴だあ!」と怒声を上げる警官達。
そこには「誰も何も出来ない」という実にもどかしい雰囲気が醸成されていく。そして、むなしいまま時間は過ぎ、大ちゃんの命は静かに消えていく。】
■読売新聞(1988年3月10日)
【タイトル「宗教上の輸血拒否 両親、医師の責任問わず 鑑定結果で判断/神奈川県警」
川崎市高津区で六十年六月、ダンプカーにひかれた小学五年生(当時)の男の子が、輸血が必要になったのに、「エホバの証人」(「ものみの塔聖書冊子協会」)の信者である両親の輸血拒否にあい、約五時間後に死亡した事件で、神奈川県警交通課と高津署は九日までに、輸血を拒否した親の保護責任者遺棄容疑、輸血を行なわなかった医師の業務上過失致死などの刑事責任は問わず、ダンプカーの運転手だけを業務上過失致死で近く書類送検する方針を固めた。
高津署では、輸血をしなかったことと死との因果関係を解明するため、司法解剖後、警察の鑑定医(私大教授)に、死因の鑑定を依頼する一方、両親に対する保護責任者遺棄罪や未必の故意による殺人、医師に対する業務上過失致死罪、医師法違反などの容疑を追及できるかどうか、慎重に捜査を進めてきた。
この結果、鑑定は(1)事故によるけがが大きかった(2)急性ジン不全を起こして様態が急変、出血性ショック死につながった(3)従って、輸血をしても助からなかった――とした。これらを踏まえて、警察側は両親や医師の刑事責任を問えないと判断した。
※ 蛇足だがこの事件をきっかけに、医療行為に対しインフォームド・コンセントという考え方が一般的なり、医療過誤の事故などに用いられる。インフォームド・コンセント(inforned consent)は、「正しい情報を得た(伝えられた)上での合意」を意味する概念。「IC」と略称されている。
とくに、医療行為(投薬・手術・検査など)や治験などの対象者(患者や被験者)が治療や臨床試験・治験の内容についてよく説明を受け十分理解したうえで(informed)、対象者が自らの自由意思に基づいて医療当事者と方針において合意する(consent)ことである(単なる「同意」だけでなく、説明を受けた上で治療を拒否することもICに含まれる)。
説明の内容としては対象となる行為の名称・内容・期待されている結果のみではなく、代替治療、副作用や成功率、費用、予後までも含んだ正確な情報が与えられることが望まれている。また、患者・被験者側も納得するまで質問し、説明を求めなければならない。
なお、英語の本来の意味としては『あらゆる』法的契約に適用されうる概念であるが、日本語でこの用語を用いる場合はもっぱら医療行為に対して使用される。
(ウィキペディア)
(2012年5月28日)



