鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

愚直に、愚直なまでに愚直に ~労働組合の政治活動と範囲~ vol.59
2012/10/15
 今を去ること300有余年前の1687年(貞享4年)、時の徳川幕府第五代将軍徳川綱吉は、有名な「生類憐みの令」を定める。日本がまだ「生類憐みの令」を発していた時代、ヨーロッパでは名実ともに近代化のうねりが始まるのである。日本の民主化や近代化がいかに遅れていたのか、そして民主化の遅れが労働組合運動にどのような影響を与えたのかを考えてみたいからである。

 イギリスで後の世でいう「名誉革命」によって王政が崩壊したのは1688年~89年である。歴史的にはこれを市民革命と呼ぶが、民革命によって近代資本主義経済が生まれるのである。市民革命は、三つの大原則を打ち立てる。一つは、財産権の尊重、これは従来、封建王政や地主に帰していた財産を市民が持つことも保証するもので、これによって私有財産が保障され、資本を提供して企業運営する資本主義経済体制が誕生するのである。二つには、契約自由の原則が打ち立てられる。約束事(契約)は、双方が自由で対等な立場で行うというもので、今日でも社会の重要な構成要件になっている。三つ目は「過失責任の原則」である。人は「故意、または重大な過失がなければ賠償責任は負わなくてよい」とするもので、ケースによっては現在でも有効に機能している。

 名誉革命から百年後、産業革命が起こり、それまでの工場制手工業(マニュファクチャ)に取って代わり、機械化がおし進められた。機械化は当然のように従業員の解雇を招いてしまう。女性や年少者の徹夜勤務も当たり前となり、街中では瀕死の病気になる者にとどまらず、餓死者さえ現れる。この産業革命の影響について、世界で四十年余にわたって今も読み続けられ、名著といわれる「世界史」(ウィルアム・H・マクニール著)で、著者は次のように記している。

 【産業革命は西欧社会の富を著しく増大させ、衛生、健康、快適さといったものの水準を根本的に引き上げた。確かに初期の段階では、新しい工業都市へ工場労働者が集中し、既存の都市が急激に膨張したので、従来の制度では対処できない社会問題が作り出された。このことは、社会主義革命によって問題が解決されない限り、豊かさの中でプロレタリア大衆はますます貧しくなっていくという、カール・マルクス(1818年~83年)の見解(マルクス主義)の根拠になった。マルクスが彼の主要な思想を初めて明確に系統立てた1848年には、こうした見解はきわめてもっともらしく思われた。実際、1789年にパリの暴徒がバスティーユを襲撃し、フランス大革命の幕が切っておろされた時以来、都市の貧困層に根拠をおいた革命的暴力は、ヨーロッパの政治における有力な力となっていたのである。だが1848年から49年にかけて、これと性格の似た一連の群集蜂起が失敗に終わった。初期の産業社会にあふれていた苦痛や醜悪さを抑制したり、改善したりするようになった。例えば、都市警察のような、近代国家の公共秩序のための基本的制度が作られたのも、1840年代以降のことであった。これに劣らず重要なものとして、下水システム、ゴミ収集、公園、病院、健康保険や災害保険などの制度、公立学校、労働組合、孤児院、養護施設、刑務所、その他多種多様な人道的、慈善的な事業があった。どれも貧乏人や病人、不幸な人間の苦しみを軽減することを目的としたものだった。十九世紀後半には、今あげた例をはじめ、様々な施設や制度が次々に生まれ、都市の膨張によってそれらが必要とされてくるのとほぼ足並みをそろえて活動を開始していった。その結果、人々の革命的感情はきわめて高度に工業化した国々では後退していき、広がってゆく工業化の最前線にあたる地域にだけ残った。】

 はっきりしていることは、産業革命によって経済は飛躍的に成長したものの、都市では失業者の増大を背景に、使用者の情け容赦のない解雇や劣悪な労働条件が蔓延していた(余談になるが同書で著者は、マルクス・レーニン主義はこうした社会的背景から生まれたもので、社会が安定したことで急速に影響力を失っていったと指摘している)。

 市民社会の三原則である「契約自由の原則」は、失業者が多い中で、やむを得ず低い労働条件で契約してしまえば「労働者も自由な意思と平等な立場」で契約したものと解釈され、劣悪な条件のもとで働かなければならなかった。さらに、「過失責任の原則」も、業務上の災害にあたって、使用者側の故意や過失を証明しなければ(労働者の方が使用者の過失を証明することは事実上不可能であった)、「泣き寝入り」に甘んじなければならなかった。こうした社会情勢に多くの国民が使用者の一方的な行為を厳しく指弾、世論に応じた議会も、労働時間や賃金水準、業務上の災害補償などを法律で規制していく。今日の労働法の誕生はこうした歴史をたどってきたのである。日本を例にとれば、現在の40時間労働を定めた「労働基準法」も、業務上で災害にあった場合に補償する「労災保険」も、労働組合の意思が世論に反映され法制化したことによって生まれたものなのである。ヨーロッパでも日本でも、現在では当たり前に思われている諸制度は、労働組合の政治活動によってつくられてきたのである。産業革命の先頭を切ったイギリスでは、労働組合が中心になって1906年(明治39年)に政党(労働党)すら立ち上げ、失業保険や社会保障の充実に力を入れ、有名な「ゆりかごから墓場まで」という社会保障政策を打ち出している(しかし、これらも放漫政策のしわ寄せによって財政破綻をきたし、後に、イギリス病なる不名誉な呼称を与えられることになる)。労働組合が、組合員の生活や会社生活を考えれば考えるほど、政治活動は切っても切り離せない関係にあることが分かる。そして国民は、労働組合の必要性に目覚め、法律で労働組合の存在を認め、その活動を保障することになる(「労働組合法」の制定や使用者の「不当労働行為の禁止」など)。ましてや、何の不満もないことを理由に、組合を否定したり、異を唱える意見も、「不満のない現状」こそが、過去の歴史における労働組合の成果の賜物なのであり、「組合を否定」すれば、「現状の条件」をも否定しなければならない矛盾を持ってしまうのである。

 ひるがえって、現在の社会現象においても政治活動を必要としていることは少しも変わっていない。近年でも、派遣労働者に対する扱い方が社会の指弾を浴びたことによって、国会で雇用期間を制限して「派遣労働者」を保護する法律を制定することになった(2012年「労働契約法の一部改正」)。インフレは現金で生活する労働者の生活を脅かすし、デフレは回りまわって労働者の雇用不安をよんでしまう。インフレもデフレもいずれも経済政策であり政治問題なのである。このように、世界の歴史を見るまでもなく、労働組合と政治は密接不可分の関係にある。その一方で、政治活動は他の法律との整合性も求めている。労働組合法による労働組合の目的は、2条で「労働条件の維持改善その他の経済的地位の向上を図ることを主たる目的とする」と定めている。そしてこの定義の但書きにおいて「共済事業その他福利事業のみを目的とするもの」(3号)や、「主として政治運動又は社会運動を目的とするもの」(4号)は、同法上の「労働組合ではない」としているが、この解釈については、日本における「労働法」の第一人者と称される菅野和夫氏(現在は労使紛争の解決機関である中央労働委員会の会長)は著書「労働法」で次のように解説している。【労働組合の定義における「経済的地位の向上を図ること」とは、関連規定(労組1条1項・2条但書4号)を併せ読めば、団体交渉を中心とした労使自治を通じて経済的地位の向上を図ることであると解される。また上記の但書(3号・4号)は、反対解釈として、労組法上の労働組合も付随的にであれば共済事業、政治運動、社会運動を目的としうることを示している(「労働法」483頁)】。

 したがって、政治活動に取り組む私たちが注意しなければならないことは、共済事業、政治運動、社会運動は労働組合が付随的に目的にするもので、あくまで組合運動の主体は経済的地位の向上であり、政治活動などはあくまで付随的な運動と理解しなければならないということである。したがって、組合が政治運動ばかりすることは許されていないだけなのである。

 もう一つ注意しなければならないことは、政治運動をするにしろ、社会運動にするにしろ、憲法による思想・信条の自由は優先されることである。したがって、選挙活動に取り組む際に、組合の機関会議の決定に同調しない組合員がいたとしても強制することは許されないし、ましてや統制の対象にすることもできない。

 あくまで説得する範疇を超えることはできないのである。だから、近年はこの解釈による個人の思想・信条の自由を濫用(悪用)し、組合が行う政治活動の内容、政党支持、候補者の公認・推薦さえも否定するような論調が散見されるが、機関決定違反の際の統制権を制限しているだけで、運動として取り組むことには何ら問題はない。

 ただし、組合費の使用については、思想・信条の違いを理由に、チェック・オフされた組合費の使用に異議が唱えられた場合は違法との判断もあるので、個人の同意を得た上での納入の手続きが欠かせない(政治団体を設立して賛同者だけに拠出してもらえば問題はない)。

 日常的な政治活動においても、選挙活動においても、組合のリーダーは誤った声に惑わされずに、確固たる信念を持って、組合員の家庭生活、社会生活、会社生活すべての環境改善に向けて取り組んでいかなければならない。現在の政治が混乱していることは言うまでもないが、もともと、民主主義という制度は、さまざまな制度と比較して最もよい制度というだけで、唯一無二で絶対的に優れた制度というわけではないから、時に弱点をさらけ出す。この民主主義を私たちが理想としてしまうと、理想と現実が混乱せざるを得ない。たとえば、民意を絶対化させてしまうと、民意は理想ではなく、「これも民意」「あれも民意」とバラバラなものとなり、理想と現実のけじめがなくな結局は決められない政治になってしまう。

 だから政治を考える際には、理想と現実のけじめを持った上で、これか、あれか、の判断をしなければならない。そのときに国民に我慢を強いることも当然起こりうる。だから、政治とは社会生活の中から、よりまともなものを選択するものなのである。よく言われるように、「政治とは世の中の汚れの中に真実を求めるものであって理想を求めるものではない」のである。民主主義が「民意こそ」理想であるとして、利害が錯綜する国民の欲望を整理もしない政治がまかり通っているのが現状といえる。民主主義はここにきて弱点をさらけだし始めているのだ。

 NIMBY(ニンビー)という言葉がある。Not In My Back Yard(自分の裏庭にはあって欲しくない)の略だそうで、「施設の必要性は認識するが、自らの居住地域には建設してほしくない」とする住民たちや、その態度を指す言葉である。日本語ではこれらの施設について「忌避施設」「迷惑施設」「嫌悪施設」などと呼称される(ウィキペディア)。自分の利害のみで判断するNIMBY全盛時代は、民主主義の誤解によって生まれてしまったのである。

 劇作家の山崎正和氏は「日本人論再考」の中で、次のように指摘している(2012年9月16日読売新聞朝刊)。【政治改革という言葉には人を興奮させる効果があり、改革に参加することで一体感が味わえるという錯覚を招き、強い指導者の下で「決められる政治」を目指し、国民的な団結を感じたいという漠とした願望が、国民の心理の底に渦巻いているように見える。かつての郵政改革、民主党のマニフェスト選挙による政権交代。だが絶え間ない改革派選挙ごとに右往左往の雪崩現象を起こし、結局は衆参両院の「ねじれ」に終わった。具体的な政策もないまま、「敵は既成政党」(2011年12月25日の「維新の会」の会合における橋本氏の呼びかけ「国会議員は信用できない。本気度を見せてプレッシャーをかけよう」)と、敵だけは明確な「維新の会」に関心が集まっている。国民は今度もまた、劇場政治の夢に酔うのだろうか。】

 こうした現状の中で今必要とされている人材(政治家・候補者)は、世の中の受けを狙っていたずらに軽薄なパフォーマンスを繰り返す人ではない。政治家は「愚直に、愚直なまでに愚直に」政策を訴え、混迷している世の中だからこそ、組合が率先して、政治活動が労働組合の重要な使命であり、そのための選挙活動を、そのために候補者の推薦と当選を果たすための活動が必要であることを、「愚直に、愚直なまでに愚直」に訴え行動することが求められているのである。



ホームページトップへ戻る メルマガ登録