善人が声を潜め、悪人が世を跋扈(ばっこ)する様を称したり、今の世で言えばテレビ、新聞などのマスメディアを通じて流される軽佻浮薄の情報が、まじめな番組をしのぐようになっているときに、「悪貨が良貨を駆逐する」といわれることが多い。
もともと、この「悪貨が良貨を駆逐する」という言葉は、16世紀のイギリスの国王財政顧問のグレシャムが、1560年にエリザベス1世に対し「イギリスの良貨が外国に流出する原因は貨幣の改悪のためである」と進言した故事に由来したものといわれる(この話から19世紀の経済学者が「グレシャムの法則」と命名した)。昔の国際貿易の決済や国内通貨は「金本位制」で、実際に「金」を含んでいる「金貨」が流通していた。ところが日本でも江戸時代に行ったが、権力者というものは、財政が行き詰ると流通しているよりも「金」の含有量が少ない新しい貨幣を発行し財政危機を切り抜けようとする。イギリスでも財政の再建を目的に「金」の含有量が少ない新しい貨幣(金貨)を発行した。表面の貨幣の名目(額面)は同じでも、実際の「金」の含有量の多いほうを大事にするのは当たり前でもある。二種類の貨幣を持っている場合、実際に支払うときには、同じ額面さえ払えばいいのだから誰しもが「金の含有量」の少ない貨幣で支払う。このように、金の含有量が多いほうを良貨、少ないほうを悪貨と呼ぶので、市場には悪貨が流通し、良貨は隠されてしまう。こうした状況を「悪貨が良貨を駆逐する」と表現した。
冒頭で記した例のように、「悪貨が・・・」の話はその後本来の通貨の問題に限定されず、社会におけるさまざまな現象に用いるのが一般的になった。情報一つとっても「質の低い情報によって良質な情報が駆逐されている」現状にも例えられている。その最大の要因はインターネットである。その影響力がどのくらい大きいかは、世界各地で見られるように、権力者への国民の抵抗がインターネットを通じて燎原の火のように拡大していく様を見ればわかる。中国政府による新聞社への記事書き換えの圧力に対する市民の非難の声、中東での「アラブの春」と呼ばれる市民革命の盛り上がりなど、枚挙に暇はない。それだけインターネットが幅広く国民に支持されている証左でもあるが、一方で、ツイッターや2チャンネルに代表される書き込み者の匿名性が、「言葉の暴力」と称されるように、その危険性が問題になり始めている。ある出来事や現象が起きると、メディアもそうだが、行き過ぎた攻撃や一刀両断のごとき否定、止め処のない非難や中傷がまかり通っている。その攻撃を受け、否定され、中傷非難されたが最後、被害を受けた当事者の事情は省みられない。某学校の体罰によって生徒が自殺した事件に際しても、冷静に体罰の是非を論ずることもなく、「当該学校の入試を中止すべきだ!!」、「先生全員を他へ配置転換させろ!!」とまで、政治に携わる首長から発せられる。おそらく、自殺者まで出したのだから、多くの国民が「体罰を非難している」中では、こうした過激な主張も支持されるに違いないとの「読み」があったからなのだろう。ある出来事を「瞬間的判断で白か黒かと二者択一」に一刀両断する手法は、2チャンネルやツイッターと同じだ。その首長に対しては「国民の思いを瞬時に掴み取り、わかりやすい言葉で話す才能がある。国民の希望や欲望を映し出す『鏡』だ。大飯原発の再稼働に猛反対していたかと思えば事実上の容認に転じたように、本当のところ、何をしたいのか、実はあまり見えてこない」(佐藤俊樹・東大教授・比較社会学)(2012年6月9日読売新聞朝刊)という評価もある。
その首長の主張には、入試を目指してがんばっている学生への配慮は微塵も感じられない。世の中、極端な主張はわかりやすい。人々の感情に抵抗なく浸透していく。
慶応大学の細谷雄一教授は「インターネットは、人々が政治への不満や怒りを簡単に表明できることで、不満や怒りという『感情』が充満するようになった。ネットの普及は優れたジャーナリストが時間をかけて集めた情報も、(何の根拠もなく、感情に支配された)質の低い書き込みも同じように扱われる『情報の平等化』をもたらし、『悪質な情報が良質な情報を駆逐する』現象が起きている」(2013年1月5日「読売新聞朝刊」)と警告する。
私たちが耳にし、眼にする情報の質が低下した中で、私たち自身もその影響を受け、矛盾する考えを平気で、あるいは気付かずに気軽に無責任に主張してしまう。一昨年の大震災で「絆」を声高に主張しながら、わが町で瓦礫処理するのは反対するように、まさしくNIMBY【ニンビー、Not In My Back Yard(自分の裏庭にはあって欲しくない)の略で、「施設の必要性は認識するが、自らの居住地域には建設してほしくない」とする住民たちや、その態度を指す言葉。日本語ではこれらの施設について「忌避施設」「迷惑施設」「嫌悪施設」などと呼称される(ウィキペディア】そのものに堕してしまった。私たちは今や、「エリートや専門家に嫉妬(しっと)や怨嗟(えんさ)の感情を抱きがち」(上記細谷教授談)な人間の醜さを、理性で抑えることすらできなくなってしまったのだろうか。もし人格や品格を犠牲にして感情の赴くままに行動できるのならそんなに楽な人生はない。そうした世論に多くの政治家が迎合している現実は、民主主義そのものを崩壊させてしまうに違いない。それは【19世紀に有名な思想家(トクヴィル)が語った「民主主義の行き着く先は、個人主義と物質主義だ」】(青山学院大学 猪木武徳教授談の孫引)を現実の社会に誕生させてしまうだろう。
「質の悪い情報が質のよい情報を駆逐」している中で、労働組合こそが、「良質な情報の担い手」となり、より理性的に、より人格を高める運動を進めなければならない。



