日本の三大紙の内、正面から憲法を改正すべしと主張しているのは読売新聞である。したがって、同紙がその主張に沿う記事を掲載するのは当然であり、憲法改正・核武装容認を主張する日本維新の会共同代表・大阪市長の橋下氏にインタビューするのもまた至極当然のことと言える。2013年2月28日に掲載された同氏のインタビュー記事は、憲法改正の手続き(第96条)に異議を唱え、その改正こそ民主主義の根幹であるとしている。同氏は「民主主義の証し」として、まずは96条が決めている憲法改正の手続きを簡素化すべきだと主張しているが、仔細に分析すると、「民主主義」という衣の下から、「鎧」がチラチラ見える。加えてこの考え方は自民党の安倍首相や、維新の会の共同代表者石原慎太郎氏と軌を一にしている。憲法第96条とは憲法の改正について、「衆参両議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する」と定めているもので、権力者の都合がいいように安易に憲法が改正されない仕組みにしている条文である。
日本を始め民主主義国家は、主権は国民にあるとしているが、もともとこの主権は、近代においてようやく民主主義が生まれたことによって、国民の手にゆだねられた道筋をたどってきた。普通の法律が時の権力者や議会を構成する政治家の手によって作られ、変更されるものに対して、国の根幹をなす憲法は、法律よりも高い権威と効力を持つことで、国がより強い安定性をもち、かつ継続性を持たせようとする目的を持っている。
たとえば、先の衆議院選挙の選出基準が国民の法の下の平等を損なうとして憲法違反と判断されたように、憲法の実際の働きの積み重ねによって、党利に走って選挙の定数を改正しない政治の怠慢を指摘することで、政治への不信を取り除き国民に安心感を抱かせる効果を持つ。しかし、憲法が安易にしかも頻繁に変更されてしまうと、国民はどのように判断すればいいのか迷うことになる。だから憲法はできるだけ長続きすることが望ましいので、普通の法律よりもより厳しい手続きを定めて、時の権力者が都合のよいように変えようとすることを極力排除しようとしているのである。世界中を見ても憲法と表記された成文法がないイギリスを除き、近代民主主義国家では日本と同じように憲法の改正には厳格な手続きを定めている(これを硬性憲法という)。硬性憲法が優れていることは、古くは強権で都合のよいように法律を押し通したナチドイツを出すまでもなく、今でも一部の独裁国家が時の権力者の意向で、都合の良いように変更していることを見ればよくわかる。
言うまでもなく民主主義の国では、議会の過半数の勢力を持つ政党が権力者となり、自らの意向に沿う法律を定める権限を持っている。それは当然のことであり、民主主義の一つの表れとして認められている。しかし、人間社会には、国といえどもそうちょくちょくと変えてはならない、日本としての普遍的な価値や根源的な価値、あるいは日本人としての基本的な人権がある。その普遍的・根源的な価値、基本的な人権を変える以上、「一般の法律を超えた特別な要件を必要」としているのが、この「硬性憲法」なのであり、世界共通の考え方として民主主義国家のほとんどが採用しているのである。
改正を目論む人々の間では、橋下氏のインタビュー記事を引用するまでもないが、
【日本国憲法はアメリカの押し付けである。】(略)
【政治や行政は実行しなければ意味がない。論じるだけではだめなんです。実行するために何が必要かと言うと、まず中身よりも、実行するための装置をきちんと作らないといけない。だから、96条をまず改正して、発議条件を緩和し、憲法改正を夢物語から現実の話にしなければならない。憲法が変わる可能性がある、という環境を整えて初めて、真剣な、責任ある憲法議論が展開されると思うんです。】(略)という意見が多い。
2010年3月まで関西学院大学法科大学院教授として教鞭をとり、現在は弁護士で龍谷大学客員教授の宮武嶺氏は、自身のブログでこう書いている。
【ほとんどの国の憲法が硬性憲法であり、世界的に標準になっている。ところが自民党の衆院選政権公約は日本国憲法96条の発議要件を「3分の2以上」の賛成から、「過半数」に緩和すると明記している。そして安倍首相は2013年1月30日の衆院本会議で、日本維新の会の平沼赳夫国会議員団への答弁として、憲法改正に関し「党派ごとに異なる意見があるため、まずは多くの党派が主張している96条の改正に取り組む」と明言し、憲法改正の発議要件を定めた憲法96条を緩和する方向で改正する考えを表明した。
安倍首相が維新の会の質問に対しての答弁で憲法96条「改正」について言及したのは偶然ではない。維新の会の石原慎太郎共同代表は総選挙目前の2012年12月12日、福岡市内での街頭演説で拉致問題にかこつけて「憲法9条があるからこそ、私たちは、多くの同胞がさらわれて殺されても抗議して取り返すことができない」「北朝鮮にすれば、日本の憲法を見たら『あいつら絶対に戦争しない』と思っている」「世界に約束しているから、(北朝鮮は)勝手気ままに日本人を連れて行って殺されている」と熱く憲法「改正」の必要性を語った。9条があるから拉致されても取り返すことができない、と述べるということは、北朝鮮と戦争して拉致被害者の方々を取り返すということである。しかし、戦争になったら拉致されている人も他の日本人も朝鮮の人々も死んでしまう。
これに呼応して、維新の会幹事長の松井一郎大阪府知事は同日、記者団に「まず憲法96条を変えないと、9条は変えられない」と説明している。(略)安倍自民と維新は双子の兄弟のように親和性がある。維新の会も96条改正を唱える真の理由は、9条の戦争放棄の付記にあることは明らかだ。
安倍首相は先の衆院選で勝利した直後の記者会見で、96条改正に意欲を示し、「維新の会とみんなの党も基本的に一致できるのではないか」と述べている。
安倍自民党は選挙前から改憲案を出しており、9条の改定で国防軍や軍法会議を設置するなどばかりでなく、内閣総理大臣に非常大権を与える緊急事態条項だとか、専制国家志向丸出しの憲法案になっている。
さらに、基本的人権の更なる制限を認めるとか、国民に憲法尊重義務を課するとか、自民党案は凄まじい内容になっている。そこを前面に出すとまた猛反発を受けて、第一次安倍内閣のように沈没するから、まずは憲法改正をしやすくしましょうというところに手を付ける戦略であることは明らかである。】
また、「憲法を改正すべきだ」という改憲派憲法学者として有名な慶応大学の小林節教授でさえも次のように言う。
【96条改正は邪道である。何より大反対なのは96条の改正です。国会議員の3分の2の賛成がないとダメだというのにいらだって、自民党はこれを2分の1にしちゃいましょうという案を出しているが、憲法を改正するのなら国民を説得して賛成を得るべきで、それができないから手続きを変えるというのは邪道である。本来、権力者を制限する、権力者を不自由にするのが憲法ですからこんなことが許されたら憲法はいらないということになる。憲法は基本法であって「硬性憲法」と言われるように簡単に改正できないものなんです。96条を改正しようとしたら、良心的な法律家、憲法学者はみな反対する。体を張って反対する。ここに宣言するが、96条の改正は永遠にできないと思う。私はそういう企みが挫折する、してもらうように論陣を張る。憲法は憲法でなくなるから。説得力のある改憲案でハードルを越えてこそ、国民の意思として定着する。裏口入学みたいな改憲は、やったらダメだ。】
今年7月の参議院選挙は、まさにこの憲法改正の手続きをめぐる国民への問いかけとなる。ところがこの問いかけに対しても、橋下氏は前掲のインタビューでこう述べている。
【参院選の結果次第で初めて憲法改正を発議できる環境が整う可能性がある。僕はそうなると信じていますし、そうしたいです。参院選を通じて、自民党や公明党、みんなの党、それに民主党の一部も加えて、96条改正ができればいい。】(略)
【国民が、本当に守るべきもの、大切なものだと思えば、常に国民投票における過半数の要件の中で守られるんですから。国民の意思で、変えるか変えないかについてしっかり議論して、守るべきものは守る、間違ったものは修正する。それが真の民主主義であって、手続きを極端に厳格化させて無理やり変えさせないようにするというのは、あまりにも国民を馬鹿にした、国民を信用していないやり方だと思います。96条改正の議論は煎じ詰めれば『国民を信じているのか、いないのか』の議論です。】
【(選挙中の)街頭演説にしたって10分や20分です。今みたいなことを全部しゃべれませんよ。選挙をやる当事者は、憲法を大きな争点にはしないと思います。でも、民主国家で国民と政治をつなぐのはメディアです。メディアがどう争点設定するかにかかっていると思いますね。】
橋本氏は「参議院選挙の結果によって憲法改正の環境が整う」ことを目指しながら、「選挙戦の争点にはしない」という。参議院で改正派が3分の2以上を占めるかどうかは、メディアしだいと公言して憚(はばか)らない。政治に素人の私だからか、同じ記事の中で同氏が言う【手続きを極端に厳格化させて無理やり変えさせないようにするというのは、あまりにも国民を馬鹿にした、国民を信用していないやり方だと思います。96条改正の議論は煎じ詰めれば『国民を信じているのか、いないのか』の議論です。】という主張には首をかしげてしまう。
はたして、氏の「国民を信じているのか、信じていないのか」の問いかけは誰に対してのものなのだろうか。むしろ同氏をはじめ憲法96条の改正を目論む人への問いかけに思える。現在の労働組合の自由な活動はもちろん、働く人々を含む多くの一般国民の人権も、今の憲法の中で保障されているのである。安易な憲法改正を目論む人々が、選挙ではふれないという中で、民主主義の旗手を標榜する労働組合が、「あってはならないこと」を阻むための選挙に対して、どう臨むのか、その真価が問われる参議院選挙は間近に迫っている。



