鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

社会の進歩に欠かせない労働組合の政治活動 ~国民生活の向上に果たした役割~vol.66
鈴木 勝利  顧問
2013/05/15
 「労働組合と政治」の命題は古くから賛成・反対と、さまざまな意見が出され混乱しているようだ。中国や北朝鮮のような全体主義の国ではいざ知らず、この地球上に、労働組合を必要とする資本主義社会が生まれたのは、はるか昔、1600年代半ばのイギリスにおける市民革命(歴史的には名誉革命・無血革命とも呼ばれる)にさかのぼる。

 それまで王侯貴族に属していた富が、一般市民に「財産権を保障」することで、資本として市民の手に委ねられ、会社を設立して他人を雇用する経済、すなわち資本主義社会が成立するのである。その百年後、有名な産業革命がはじまり、近代化がおし進められる。


 中学校の社会科で学んだように、この産業革命は雇われた労働者に過酷な労働条件を強いる。幼児や女性の徹夜労働は当たり前で、他の労働者も推して知るべしで、過酷な労働によって業務上の災害(死亡や怪我や病気)が頻発、餓死する失業者と相まって、労働組合のみならず世論は雇用する会社側の行為を強く非難することになる。労働組合と世論の強い働きかけがあって議会も動き出し、幼児や婦女子の徹夜・深夜労働を禁止するなどの法律を制定する。
 これが今日の労働法の原型となっていく。

 労働環境が悪くなればその時々に法律で制限を加えていく、こうした繰り返しによって、日本で言えば今日のように週の所定労働時間を40時間に制限する労働基準法になってきたのである。

 一言で言えば、使用者が理不尽で過酷な条件で働かせて労働組合や世論の非難の声が強まった時に、議会という政治の場でそれらを制限してきた歴史の集積が労働法なのである。


 つい最近の出来事で例えれば、数年前に派遣労働者を理不尽に使用してきた一部企業の行為が労働組合や世論の非難を浴びたことによって、2012年の国会で「派遣労働者雇用の制限」を決める法律が制定されたことでもわかる。
 あるいは又、一般国民が生活するうえで日本国憲法の言う「健康で文化的な生活」を営む上で必要なさまざまな制度、年金も、健康保険制度も、公営住宅の建設や育児所、託児所の充実などの社会的制度の確立も、労働組合と世論の強い声が議会を動かし実現してきたのである。


 とくに西欧の労働組合は、社会的制度こそ組合活動の重要な柱と位置づけて取り組んできたことによって、社会全体に対して労働組合は強い影響力を持ち、かつ世論自体も労働組合の主張に強い関心と共鳴感を抱いてきた。
 最も端的な現象は、イギリスにおいては労働組合が政党を持つべきだということで今日の労働党を創ったほどである。
 この点、日本は、企業別組合であったため、活動の柱として賃金などの企業内の労働条件に力を注いできた。そのため社会全体の制度をどうすればいいのかなどについて、どちらかというと疎かにしてきた傾向を持ってきた。労働組合が社会的制度の充実を図るために政治にかかわってきた西欧と、企業内の労働条件に特化してきた日本の組合活動の違いから、日本では何か労働組合が政治活動をすると異論を唱える風潮が生まれてしまったようだ。

 今日までの国民の生活全般にかかわる社会的制度、もちろん会社での働き方に影響を持つ労働法の制定を含めて、労働組合と政治が切っても切れない関係の中で社会の近代化を推し進めてきたのである。
 このように「企業行動」に問題があれば法律で制限することは今も変わらないし、今後も変わることのない原理である。

 余談だが、「今の労働条件で満足している」から組合は不要という声も耳にするが、「不満のない今の労働条件」こそが、過去、現在と連なる労働組合の活動によって成し遂げられてきたものだから、「組合不要論」は、実は「生活している現実の条件」を否定すると同時に、現在が出来上がってきた過程を否定する、まさに「天に唾する」ことと同じなのである。

 ただし組合として忘れてならないのは、社会(世論)の支持を得られない組合活動は衰退する歴史も併せ持っていることである。


 国民の大半が、雇用労働者とその家族で構成されている現在、多くの人を雇用してきた産業が衰退すれば働く場所がなくなり、即、国民生活は破たんしてしまう。また現在の失業率の中でも一年以上の失業者が10%を占めている現状、若年労働者の失業率が平均失業率を上回っている現状、非正規社員が雇用労働者全体の40%を占めるまでに増えている現状などをどうするのか。これらすべてが政治活動になるのである。


 そして、アベノミクスの目玉と言われる規制改革では、ホワイトカラー労働者を労働時間の規制の対象から外そうとする「ホワイトカラー・エグゼプション」、業務の繁閑や事業構造の転換のために簡単に「解雇できる」、あるいは「金銭で解雇できる」ように法律を改正しようとしている。今までのように、労働組合が自分たちの企業内のことばかりに目を向けているうちに、気が付いてみたら「残業代が支払われない」、あるいは使用者から「自由に解雇されてしまう」ことが法律で許される社会になろうとしているのである。


 日本の労働組合は、戦後、政党に支配されそうになる悲しい時代を経験してきた。終戦直後の労働組合は、「共産主義革命の前衛団体」と主張する一部勢力に蹂躙され、政党の支配下に置かれようとした歴史を持つ。それらは先輩の組合役員の努力によって克服できたが、今も組合に介入しようとする人々は存在する。
 そうした歴史の影響からか、「安定した労使関係」を「馴れ合い」とか「癒着」として非難されてきたのと同時に、社会全体が労働組合に対して好ましくない印象を持つようになってしまった。
 しかし、すべてを社会の誤解と言い切れない側面も持っていた。日常の会社内の労使関係上の問題を判断する際に、資本主義制度自体の是非を判断基準にする労働組合もあったからである。


 さらに、現在の労働法による組合の性格の規定に従えば、組合活動は経済的地位の向上を主たる目的にする団体で、そのほかの相互共済・福祉活動や政治活動は従のウエイトで取り組むよう定められている。だから、共済活動だけに取り組んでいたり、政治活動のみに取り組んでいる組合は、労働組合法でいう労働組合として認知されないことになる。


 加えて、憲法では、思想・信条の自由が保障されているので、組合がいくら正式な会議で支持政党や推薦候補者を決めても、組合員の自由まで拘束することはできない。組合が政治方針や政治活動、政党支持、選挙活動の取り組みを決めるのは自由だが、従わない組合員がいても、強制したり統制違反にかけたりすることはできない道理になる。この点を曲解したり悪乗りして、組合が「政治活動をすること」や「政党支持を決めること」、あるいは「選挙活動に取り組むこと」ことさえも憲法に違反すると主張する人々や政党が存在する。
 こうした動きを助長する勢力は、労働組合が政治活動をすることを感情的に嫌悪する人々や団体、労働組合の方針が自分たちを支持しないからとする人々や団体を中心にさらに煽り立てる。

 前述したように、労働組合が組合運動として許容される範囲を逸脱した場合、社会の指弾を浴びるのは当然なのだが、残念ながら組合運動を敵視する一部の政党やメディアによってこの原則は無視され、世論をミスリードしようとする。
 労働組合も悪意に利用されないよう、活動の境界については細心の注意を払って取り組まなければならない。


 直近に控える参議院選挙に際して、候補者を擁立する組合、あるいは候補者を推薦する組合があるが、リーダーの皆さんは今一度、労働組合が選挙活動に取り組む意義、とくに組合員を含む国民生活の向上に、労働組合の活動がいかに重要かを再認識したうえで、悪意ある主張を指摘・排除しながら、組合員と地域市民に訴えて続けていかなければならない。