性で慰められつつ、性を蔑(さげす)む人々
~人権無視・女性蔑視・本能・性のはけ口~
人類最古の商売は「売春」であることは多くの歴史家が語るところである。歴史が男社会であったことを証明する象徴であり、「最古の商売」という表現こそが差別意識の表れであるという批判もある。思えば男とは勝手なもので、昭和中期頃までは、ある年齢に達しても童貞であっては一人前として認めないかのような風潮があった。女性との性交渉が一人前扱いのハードルとして設けられていたわけだが、それだけ価値を認めて他人にすすめる売春婦やソープランド嬢に、自分の妻や娘をさせる気はさらさらない。売春婦やソープランド嬢を蔑んでいるからである。
しかし、古くから続く売春といえども、人々の意識変化の埒外ではいられない。日本で公に認められた売春(公娼制度という)がいつごろから始まったかは明らかではないようだが、現存している最も古い文献に記されているのは源頼朝の時代(1193年)といわれる。今日までの男社会が、性の捌け口として売春を容認する動きはさまざまあったが、豊臣秀吉は「人心鎮撫」(権力に逆らわないように人々の心を鎮めること)の政策として、京都に遊郭を造り遊女屋の営業を積極的に認めた。権力者に逆らわさせないために男の性欲を発散させることが必要と考えていたということになる。公娼は時代劇に出てくる江戸時代の遊郭の吉原、京都の島原、長崎の丸山が有名だが、江戸文化の象徴として遊郭が栄えた反面、その代償も大きく幕末には少なからずの人が性病の感染者であったとも言われる。明治時代になると、開国によって横浜で外人目当ての遊郭が生まれたこともありさらに発展していく。
そんな中、キリスト教の活動家が中心となって、「一夫一婦制の建白」(注・建白とは政府や官庁に意見を申し立てること)、「海外醜業婦取締に関する建白」を提出するなど、売春を禁止すべきという声が大きくなり始める(1880年代には群馬県県議会が全国で初めて公娼を全面禁止する条例を可決している)。その後、売春婦の年齢制限、遊郭の設置をめぐる規制など紆余曲折を経るが、売春そのものを禁止することはなかった。
日本が正式に売春を禁止する法律を制定したのは、敗戦後の1947年(昭和22年)にアメリカ軍の指示である「婦女に売淫をさせた者等の処罰に関する勅令」によってであったが、赤線地帯(売春を目的とする特殊飲食店の集まっていた地域で、警察の地図には赤い線で表示されていたので赤線地帯と呼ばれた。また、その赤線地帯の周辺で、営業許可なしに売春行為を行なっていた飲食店街を、警察の地図では青い線で表示されていた地域なので青線地帯という)は取締りの対象からはずされたため、事実上の公娼制度はこれ以降も存続していく。
1956年になると、それまで賛否が入り乱れて制定されなかった「売春防止法」が成立、1年の猶予期間が設けられた。この法律は「売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗を乱すものである」という基本理念に立っているのだが、従来から性道徳観念が欠如していたり、女性への人権無視や蔑視を持っている政党や団体、一部の国民個人や、売春を禁止した場合に利益が損なわれるという赤線業者が、政権保守党に撤回させようと圧力をかけ、加えて、全国の63市町村長、1の県議会議長、37の市町村議会議長、25の政権党支部長、151の商工会議所からでさえ、法の完全実施を延長すべきという陳情書が出されている(男社会の典型?)。
このような経過をたどってやっと制定された売春防止法は、一部にはザル法と呼ばれるように罰則の対象が非常に難解になっている。例えば、「売春とは、対償を受け、又は受ける約束で、不特定の相手方と性交すること」となっているが、このような行為をする売春婦や相手方(客)になることは禁止されても、処罰はされないのである。売買春は「被害者なき犯罪」といわれるが、これは売春する婦女子が、生活が貧しいから、暴力で強制されたから、など、やむを得ず「春をひさいで」いるケースが多かったので、社会で救済しなければならない対象と考えていたからである。さらに、売買春を立証するためとはいえ、国家が個人の生活に干渉したり、個人の自由や権利に制限を加えることがいいのか、などの意見も出された。「立証が困難であり、かつ、徹底的に立証しようとすれば人権侵害の非難さえ生じ得る」(昭和31年5月15日の参議院法務委員会における政府委員・長戸氏の答弁)などの理由で処罰の対象を限定していたのである。処罰の対象となるのは、【①公衆の目に触れる方法による売春勧誘(いわゆるポン引き)、②売春の周旋等、③困惑等により売春をさせる行為、それによる対償の収受等、④売春をさせる目的による利益供与、⑤人に売春をさせることを内容とする契約をする行為、⑥売春を行う場所の提供等、⑦いわゆる管理売春(管理者が売春を行うものを管理下において組織立って行うこと)、⑧売買春の場所を提供する業や管理売春業に要する資金等を提供する行為等】となっている。
だからソープランドでは半ば公然と売春が行われているにもかかわらず、当事者個人間の「自発的意思」であるとして摘発も処罰もほとんどなされない状態になっている。しかも、他の性風俗店を含めて徹底的に取り締まった場合、暴力団の介入、ボッタクリ詐欺によるトラブルの発生、違法営業の増加、性病の蔓延などのほか、性のはけ口がなくなった者の性犯罪の増加も懸念されるという理由をつけている。
2013年に問題になった橋本「維新の会・共同代表」の、沖縄で米軍兵士の婦女暴行を防ぐために、「米兵は風俗を利用すべきだ」という発言も、いくら「私は売春を認めていない」と弁明しても、根本的には、この「性のはけ口がなくなると性犯罪の増加が懸念される」という思想に基づいている。つまり、「性のはけ口として女性が必要」という「女性の人権無視、蔑視」という根本的な思想に裏付けられているものであって、「不適切」、「説明不足」などという軽々しい表現上の問題ではないのである。
一般的に女性よりも男性の方が性欲に能動的な傾向にあるとはいうものの、男が、女性を「性欲のはけ口」と見るのは、売春の歴史の中でも、人権意識とは無縁であった豊臣秀吉の「人心鎮撫」と全く同じ発想なのである。だから、戦時中に軍部が「兵士の鎮撫」のために慰安所を必要とし、強制的に女性を連行し、「女性の人権・尊厳」をいとも容易(たやす)く否定できたのである。
一般市民社会では、確かに「セクハラ」があり、「痴漢」、「のぞき」や「盗撮」などの性犯罪が今でも存在するが、このような性犯罪者は社会のごく一部の人であり、ほとんどの善良なる市民は、「買春しなくても」欲情に溺れることなく劣情を克服できるし、理性によって自らの行動をコントロールできるのである。現に戦時においてさえ、慰安所を利用しない兵士も多くいたのである。
「当時(死と隣り合わせにいて、鉄砲の矢玉の下をかいくぐって戦う兵士には)慰安婦が必要だったのでしょうね」という発言もまた、「他国も日本と同じように売春があったことを直視すべきだ」などと、話をすりかえるレベルのものではない。「女性の人権を否定し、蔑視」した発言の釈明に「他国も直視せよ」という論理は通用しない。「他国が日本だけを非難しているのはけしからん」という前に、「女性が一人の人間としての尊厳をもち、人権を持っている」と考えているのか否かが問題なのである。
そんなのは建前論という非難の声も聞こえてきそうだが、性のはけ口がなければ罪を犯すから、性犯罪を抑えるために「女性の人権を無視し、蔑視」してもよいことにはならない。例えそれを建前と非難する人がいようと、私たちは普通の人間である以上、本能的な欲情に溺れることなく劣情を克服しなければならないし、理性によって自らの行動をコントロールしなければならない。少なくとも「そういう努力」をしなければならないのである。ましてや「必要悪」とか「やむを得ない」と考えるべきものではない。それは、今の時代が、かつての封建時代と違う、近代化した民主主義社会、人権を尊重する精神文化の社会を迎えているからなのである。今もって「売春は必要だ」という囁き声も聞こえるが、「はけ口」説を唱える人は、はけ口として「性に慰められ」つつ、妻や娘を売春婦にはさせないという「性を蔑む」と人々と言えるのである。
政治は現実の社会に対応する政策を打ち立てるのが使命だから、単なる建前や現実を無視した政策は誤っているが、少なくとも、国をリードする政治家たる者は、自分の発言が国際社会に与える影響も考慮しつつ、井戸端会議で交わされる下世話な話のレベルに陥らずに、日本の国民として社会生活を送る上でのあるべき姿を追い求め、かつ、「人権の尊重」を念頭に、常識や法律の崇高な理念に絶えず寄り添い、その目的に向かって努力していかなければならない。
さらにもう一つ気になるのが「維新の会」の対応である。これだけ党首が女性の人権無視・蔑視の思想を持っているのに、内部から責任を問う声が聞こえないことである。いくら党首の人気で支えられている政党だからといって、選挙目当てに責任をうやむやにすれば、政党としての自浄能力の欠如を公にしたも同然とみられてしまう。もっとも、そうした政党であるがゆえに、党員である議員が「大阪の地元に戻れば○○国籍の売春婦がうようよいる」と公言するのも頷けるし、なにか「維新の会」に所属する人は全員が同じ思想を持っていると感じてしまうのは私だけだろうか。
今一度、「売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗を乱すものである」(第1条「目的」)という基本理念を記しておく。



