鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

栄枯盛衰は世のならい・・・だが  ~行き過ぎたインフレもデフレも働く人々に犠牲を強いる~vol.68
2013/07/11
 かつて世界の歴史を形成してきた文明が、栄枯盛衰のならいから廃れたとしても、それが遺跡として歴史学者の研究素材になり、同時に観光客の知的好奇心を刺激する限り、社会的価値は認められる。
 しかし、現代の社会では、一国の経済に大きな貢献をしても、それが時代の渦に飲み込まれてしまえば、「かつてここに会社があった」ということも分からぬままに、あるいは過疎地の中で、風雪で面影を残さぬクモの糸に覆われた廃屋として、人々の記憶からも忘れ去られる。

 一時期、日本における産業の盛衰は30年周期といわれた。ひとつの産業が隆盛を極め、日本を席巻する勢いがあっても、やがて社会の技術や進歩から取り残され、新興産業にその座を譲らざるを得ない憂き目にあう。会社に勤めて収入を得ることで生活を営む労働者は、働く職場を確保することが最大の関心事だから、産業の盛衰には人一倍関心を持たざるを得ない。だから労働組合にとって、産業政策や企業における経営対策活動は重要なのである。

 雇用の状況は、失業率の推移を見れば推し量れるが、生活をする上ではもうひとつ、物価の動きの影響を大きく受ける。現在は物価が上がらない、あるいは下がってしまうデフレである。職場の懇親会で、近所の居酒屋に出かければ、時間制限があるとはいえ、昔では考えられない低価格の料理で、加えて飲み放題のおまけまでつくから、瞬間的には消費者にとって優しく好ましいように思える。近所のスーパーにもコンビニにも、嬉しい価格の商品が並んでいる。

 経済の理論でいえば、価格が下がればコストの削減で対応しなければならない。各企業は、原材料の一括購入や技術開発などによるコスト削減に全力を傾けざるを得ない。しかし、事業運営の合理化によるコスト削減が無限につづけられるわけにはいかない。「これ以上のコスト削減は無理」となれば、倒産を避けるためには「聖域」といわれる人件費にも手をつけることになる。しかし、日本では業務の都合による正規社員の解雇は法律によって厳しく制限されている。雇用調整が難しければ、仕事の繁閑にたいして柔軟に対応できない正規社員の採用を減らし、単価の安いパート労働者の採用に転換することもあるし、人件費を法律ぎりぎりの最低賃金でしのごうとすることも起こる。消費者がデフレ下で安い商品を手にして喜んでいる陰には、そこに働く労働者の労働条件が犠牲になっているのであり、それでも対応できなくなれば、倒産という最悪の事態を招いてしまう。消費者としては物価が下がるデフレは瞬間的にはありがたいが、そのツケはまわりまわって働く労働者にしわ寄せが行くのである。デフレが長く続けば、失業者の増大は避けられないのだ。

 一方、物価が上がるインフレはどうか。日本は過去、2度にわたるオイルショックと呼ばれるインフレを1973年と1979年に経験している。1973年は、第四次中東戦争による石油の高騰が原因のインフレである。さらに、1979年のインフレも同じ石油の高騰だが、原因はイラン革命によるものであった。73年のインフレが第1次オイルショックと呼ばれたもので、このときは、大阪千里ニュータウンのスーパーから石油から作るトイレットペーパーがなくなり、メディアが煽ったせいもあり、今で言う風評被害が拡大して日本中が大騒ぎしたものである。中にはトイレットペーパーを押し入れ一杯に買い込む人も出てくるなど、風評に踊らされる悲しむべき日本人の姿があった。

 労働組合が取り組む春闘は組合員の生活の維持・改善が目的だから、物価上昇をクリアする賃金の引上げを求めることは当然であった。この考え方は今も有効で、経済や業績の動向があったにしても、物価上昇に見合う賃金の引き上げを求めることに変わりはない。オイルショックによるインフレは、時の福田大蔵大臣をして「狂乱物価」と呼ばせるほどの異常なものであったし、春闘の賃上げ率も物価上昇率に比例した。第1次オイルショックによる主要な経済指標を見ると、1972年から1974年までの3年間で、石油価格は4.07倍、実質GDPは6.7%の成長、物価は実に39%の上昇を記録している。物価が上がれば組合は賃金の引上げを図る。賃金が上げれば人件費のコストも上昇するから、企業は商品価格を値上げする。再び物価が上昇する。あるいは、人件費のコストが上昇して価格に転嫁できなければ、企業は生産調整せざるを得ない。生産調整は雇用調整に結びついていく。だから同時期の失業率は、1.2%から1.9%に増加したのである(第2次オイルショックの1978年から1980年の間では、石油価格は2.57倍、実質GDPは8.5の成長%、物価上昇率は12%、失業率は2.1%から2.2%の増加である)。

 働いて給与を得ながら生活する労働者にとって、物価の動きは生活に直結する。インフレはお金の価値が下がるから、今日100円で買えたものでも、物価が10%上がれば明日は110円なければ買えないから生活を切り詰めることになる。現金生活者にとって、インフレは生活水準の切り下げを意味する。だから賃金引上げの重要な要素になるのである。しかし、前述したように賃金を引上げれば再び物価の上昇を招いてしまう。国の経済にとっては、国民生活の破綻を招くインフレはなんとか収めなければならない。世界中の政府がインフレ抑制に躍起になった時期である。日本の経済政策を左右する大蔵大臣は、インフレ抑制に苦慮する中、ここに労働組合が登場する。インフレは現金生活者に不利になることは分かったが、実はインフレによって利益を得る層も出てくる。土地や貴金属など財産を有している人は、インフレになっても持っている財産も価格が上がっていくので、単純にいえば損得はない。利益を得るのは借金をしている層である。なぜなら借金の返済金額は、インフレになっても、借金の総額も毎月の返済金額も元のままで変わらないからである。インフレによって、私たちは賃金が引上げられ、収入が増える。住宅ローンなどの借金は元のままで増えない。収入増によって返済金の比率は相対的に下がることになるから、生活は以前よりは楽になる。借金をしているのは個人よりも企業だし、もっと利益を得るのは国債という膨大な借金を抱えている国ということになる(だから時の政府は必ずインフレに期待する。アベノミクスの「2%のインフレ」誘導政策もその例に漏れない)。インフレは労働者にとって何にも利益にはならないし、むしろ生活が苦しくなるだけである。労働組合がインフレの抑制を第一に掲げるのは、こうした関係にあるからである。政府も国債の返済には相対的には有利であっても、国民生活の安定とのバランスを考えて政策を進めなければ、国民の支持を受けることはできない。物価の安定が喫緊の重要政策になる。こうして労働組合の「組合員の生活安定」と、政府の「国民生活の安定」の目的が同じになる。しかし、目的が同じでも「物価の安定」のために、賃上げ➔物価上昇➔賃上げの悪循環を止める手立てはむずかしい。組合が賃上げを自粛するのは至難だし、賃上げを自粛したからといってインフレが収まる保証はないからである。そうはいっても労働組合が組合員の生活安定を目指さないならいざ知らず、生活の安定を目指す以上は、物価安定は至上命題である。

 このように労働組合と政府が袋小路に迷い込みそうな時期に、あるメディア関係者が仲立ちし、大蔵大臣と民間の有力労働組合の役員が一堂に会し、「労働組合が賃金の引上げを自制」するのに対し、政府は責任を持って「インフレを防止する財政などあらゆる政策を実行する」話合いが行われた。

 1974年のことである。しかし、誰もが組合が賃上げ要求を自粛するのは至難の業ではと半信半疑であった。当時の組合の賃上げの要求方式は、前年実績プラスアルファ方式が当たり前で、前年には32.9%の賃上げ率(資本金10億円以上で従業員1000人以上の民間企業の平均)を獲得していたから、誰もが、32%プラスアルファの要求になると考えていた。そうした環境下、労働組合の中でインフレ抑制に先鞭をつけたのが当時の鉄鋼労連であった。中央執行委員長であった宮田義二氏は、前年実績を大きく下回る15%の要求に踏み切る。当然労働界に衝撃が走り、侃々諤々(かんかんがくがく)の議論が沸騰した。この鉄鋼労連の英断は、自動車・電機など現在の金属労協(JCM)全体の総意となり、春闘の大勢が定まっていく。結果は、15%の要求に対し12%の獲得、物価上昇も15%となり、さしもの狂乱物価も収束していく。世界中がインフレに悩まされているとき、日本が逸早くインフレを収束させたことに、戦後の経済復興を「奇跡の復興」と賞賛していた世界中から、「第二の奇跡」と称された。当時の大蔵大臣福田赳夫氏は後に総理大臣になり、サミットに出席した折、アメリカのカーター大統領から、「労働組合という強い味方を得ている」と絶賛されたというのはあながち的外れともいえない。この間の経緯については『産経新聞 政治部秘史』(産経新聞社刊・楠田實編著)に詳しく記されている。宮田委員長はその後、金属労協議長に就任、退任後は松下幸之助氏に請われて「松下政経塾」の塾長を歴任し、2012年故人となった。

 私たちが尊敬する組合リーダーのお一人であるが、私のようにこの偉業を評価し尊敬するものがいる一方で、労働運動とはむずかしいもので、今もって、このときの決断を「体制的」とか、「権力への迎合」と非難する声も聞こえてくる。労働運動にも「もし」はなく、当時、従来型の春闘を取り続けていたらどうなったかは証明できないから、インフレを抑制して組合員の生活を擁護したと考える意見との終わりのない論争は続いていくのであろう。

 こうした話から、現役の組合リーダーが何を感じるのか、どのような志をもって運動を進めていくのかは人それぞれであるが、なにが「組合員の利益」になるのか、に揺るぎない信念を持たなければならないことを教訓として忘れないで欲しいと、OBの余計な老婆心がささやいている昨今である。そしてデフレ脱却には異論がないにしても、自民党政権による2%のインフレ目標の政策に対しても、物価が人の手によって自在にコントロールできるのか、暴走してしまわないか不安にならずにいられない。