鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

春闘と組合の求心力 -vol. 5-
鈴木 勝利 顧問
2008/04/10
労働組合運動の最大の商品であった春闘は、グローバル化やバブル経済の崩壊などの経済環境の激動によってしばらくの間賃金引上げもままならず、組合役員の口からは「組合の求心力が低下した」とささやかれるようになった。日本の組合運動は、春闘という形式をとっていようと、最終的には企業内に限定された賃金を中心にした労働条件の向上に他ならない。この原型は戦後の組合結成時にさかのぼる。

アメリカ占領軍の指導の下に結成された労働組合は、戦争によって荒廃したなか廃墟と化した企業の再建を通じて、「職よこせ」運動と「食える賃金」をスローガンにした最低限の生活確保が最大の運動目的になっていた。今では当たり前の労使関係を律する労働協約の締結よりも、ひたすら目の前の生活向上について最優先に取り組んだのは、至極当然のことでもあった。春になれば、春闘があり、賃金が上がる。この図式が繰り返されてきた。生活中心の春闘が毎年行われるなか、数年遅れて、労働協約の締結の必要性が注目されるようになる。

こうしたなかで、そもそも労働協約とは、労使にとって企業内の労使関係全般のルールを明らかにするのと同時に、すべての労働条件を決めるものなのだが、賃金や一時金交渉が先行して始まった日本では、協約と賃金の引上げは別物との考えが定着してしまう。本来、協約ですべての労働条件を決めるものが、収入に関する条件は春闘で、それ以外の制度や労使関係のルールは労働協約で、という誤った考えが常態化してしまうのである。ある意味、日本の労働組合の悲劇はこの時期から始まっているのである。
欧米の労働組合が、企業や産業、あるいは社会全般の労働諸条件、とくに制度やシステムの重要性を意識して、労働協約交渉を通じて組合員の会社生活、社会生活全般の諸条件を整備してきたのに比し、日本はお金に関することにしか取り組んでこなかった理由でもある。制度の不備は「おカネ」で解決する道を選んでしまった。近年、少しずつ改善されてきた賃金・一時金以外の諸条件、たとえば年次有給休暇を含む時間短縮に関する諸制度、育児休業制度、定年延長もしくは雇用延長、介護休職などが、目先のお金に惑わされて、どちらかといえば疎かにされてきた。

また、「働く」というのは二つの側面を持つ。一つは「働く代償としての賃金」を得て生活に寄与する経済的側面、もう一つは「働くことを通じて自分自身の成長」をはかる精神的側面である。この面でも日本の労働組合は経済的側面しか重要視してこなかった。精神的側面を軽視、あるいは意識してこなかった。日本が歴史的に培われてきた労働を通じて人格を育成する意思がなければ、会社に打撃を与えるためにサボることも、社会通念に沿わない運動もすべて組合運動になってしまう。それが時には社会から指弾され、労働組合の社会的地位を著しく低下させてきてしまった。

組合員は会社生活をおくる上でさまざまなリスクに直面する。年金がもらえなければ定年制は収入の道を閉ざす地獄になる。コスト計算だけを考えれば、より安い賃金で、より長い労働を強いられ、健康さえも犠牲にせざるを得ない。子供が生まれたら会社を退職せざるを得ない制度では、女性の社会進出も男女平等もあったものではない。組合員の一生を考えた労働組合なら、賃金や一時金とともに、あらゆる労働条件を総合的に考えて取り組んでいかなければならないはずなのに、その生い立ちの特殊性から「おカネ」にばかりこだわる体質を作り上げてしまい、制度を軽視することに慣れてしまった。だから日本の企業や産業、強いては社会の仕組みは、欧米に比べて恐ろしく貧弱で生活しにくい社会になってしまったのである。今年の春闘でいえば、これだけ長時間労働が蔓延し、過労死の話題が尽きない社会なのに、ワークライフバランスの象徴である「残業割増率」よりも「ベースアップ」に関心が向くのがよい例なのである。

しかし組合運動が持っている難しさは、組合員が持っている意識を尊重することにある。組合員に「おカネ」が欲しくないか尋ねれば、誰しもが「欲しい」と答えるはずである。その中でリーダーが、「おカネも大事だが、今、必要なもの」に向かって進むには、確たる理念・信念が必要になる。賃金の引き上げは、金額の多い少ないはあっても、誰しもが上がる。自分の賃金・収入が上がる話だから、誰もが関心を持つ。運動として求心力を持つことができるのである。

一方、制度を考えてみよう。時間短縮のようにみんなに直接かかわるものは別にして、制度は、どちらかといえばその時々の対象者が限定される。たとえば、定年延長や雇用延長は、若年者にとって見れば、先の遠い将来の課題だ。年金も然り。育児休職は単身者の関心を呼ばない。つまり制度というのは、直接関係する人が少数にならざるを得ないのである。割増率だって残業が無い人は無関心だろう。関心を持つ人が少ないと「求心力がない」ように見えてしまう。制度とは直接的にも間接的にも回りまわって係わってくるのだが、その瞬間に無関係だと関心を持たない。身の回りにはおカネに換えられない必要不可欠な制度はいくつもあるのだが、瞬間々々の関心に左右されてしまいがちな労働運動では、リーダーに余程の決断がなければ、おカネに関心を持つ流れに抵抗できない。欧米のように、職業訓練や社会にかかわる諸制度を組合運動の重要な要素と考える歴史がないのである。

しかし悲観することはない。近い将来、春闘が労働協約に包含され、おカネで解決すべきことと、制度で安心できる社会を作ることが同じ価値を持ち、また「労働の精神的意味」が、時にはおカネよりも価値があることを、理念として確立できれば、労働運動はまさしく21世紀の日本社会の中核的役割を担うに違いない。



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