近代産業を語るときに忘れてならないのは産業革命(1760年代~1830年代の長きにわたるので工業化ともいわれる)である。中学校の社会科を思い出すまでもなく、ワットの蒸気機関の発明が、それまでの産業の生産様式を一変させる。
工業化の中心となった産業は繊維と鉄鋼である。イギリスを筆頭に工場制手工業(マニファクチェア)が歴史から姿を消す。多くの労働者が手動の機織(はたおり)機械で職を得ていたが、蒸気機関で動く機械に取って代わられる(時系列でいえば1769年に水力紡績機、1779年にミュール紡績機、蒸気機関による紡績機は1785年にアメリカで発明される)。
今流で言えばイノベーション、技術革新である。当然労働者が解雇され大量の失業者が発生する。工場労働者の世界では、失業の原因は機械化だとして、「機械がなければ失業しないで済むから」と工場へ忍び込み機械を打ち壊す。世に言う「機械打ち壊し運動」(ラッダイト運動・1811年~1817年)だ。
今でいう「合理化反対運動」だが、社会の進歩に抵抗する運動が孤立し挫折するのはいつの時代も同様である。ラッダイト運動は急速に力を失っていく(イギリスでは首謀者を含む13人以上が死刑になっている)。
一方、繊維の原料を供給する側でも騒動が起こる。羊毛を生産する農家では、貧しいながら牧場で羊を育てて羊毛を工場へ出荷していた。
ところが、繊維産業では産業革命によって生産性が大幅に上がったから、さらなる利潤を得ようと羊毛の確保に狂奔する。地主貴族階級が中心となり、私兵を従えて農地へ赴き勝手に柵をめぐらせて自分の牧場にすることから「囲い込み」といわれる。農家が反抗しようにも私兵の力ずくには抵抗できない。牧場を失った人々は雇われ農民となっていく。
労働者の需給関係が悪ければ過酷な労働条件にも甘んじなければならない。
当時は、児童労働も当たり前、長時間労働も同様である。どんなに悪くても働く場所があれば我慢せざるを得ない。朝になると、働く場所のなかった失業者が餓死して道端に転がっている。児童が長時間労働で病死するケースが頻繁に起こる。
労働者が集まってお互いの家族の助け合いが始まり、労働組合運動がスタートする。
マルクス主義とはこうした時代背景の中、マルクスとエンゲルスによって創られた思想体系をいう。単純化していえばこういうことである。
資本家が労働者を過酷な労働に従事させ、本来なら労働者が生み出した価値を、土地や機械や資本という生産手段を持っている資本家が搾り取っているという。だから世の中には資本家と労働者という階級が存在し、労働者階級は革命を起こして資本家階級を打倒し、生産手段を共有化すべきだと説く。
この理論は当時の社会情勢の中で共感を呼ぶことになるが、同時に労働のとらえ方や革命の是非などをめぐって否定する思想も多く生まれる。
共産主義思想はやがてソ連のレーニンに引き継がれ、それらの影響から第二次世界大戦後にいくつかの共産主義国家が誕生することになる。
しかし、この理論は破綻をきたし(ソ連からロシアの誕生、ベルリンの壁の崩壊)、今では一部の独裁国家にしか面影を見ることはできないが、一時代を左右した思想であったことは間違いない。
共産主義思想の生みの親であるマルクスとエンゲルスが発表した「共産党宣言」(1848年)に有名な言葉がある。宣言はこんな言葉で始まる。「ヨーロッパに幽霊(妖怪)が出る。共産主義という幽霊(妖怪)である」。
眼を日本へ移そう。
第二次世界大戦時、日本には治安維持法や軍国主義が吹き荒れ、国民に言論や集会の自由は許されていなかった。戦争を進める上で少しでも反対や邪魔なものは容赦なく取り締まった。
小林多喜二という若い作家がいた。
軍国主義華やかりし時代、北海道カムチャッカ沖で蟹を捕獲し缶詰にする「蟹工船」を舞台に、何も知らされずに連れてこられた多くの労働者の過酷な労働の実態、現場監督者に奴隷同様に酷使され死と隣り合わせにいる労働者、不満をいえば沖合いを巡回している警察権力に検挙される。ひたすら黙々と働いていた労働者は、やがて不満を口にし、監督者に抵抗するようになるという筋である。
この作品は労働者階級の物語を意味するプロレタリア文学の傑作と称される。
やがて小林多喜二は逮捕され、警察で拷問によって命を失う。
戦中、戦後の一時期、社会が混乱、荒廃している中では、こうした共産主義のイデオロギーはそれなりの共感を呼ぶ。
戦後のアメリカ軍指導による共産党の合法化と獄中にいた党員の釈放によって、共産党の運動は大いに高まり、1949年の第24回総選挙では35名の議員を獲得したのも、社会の不安定さと混乱があったからである。
そして時代は変わり、生活水準があがり、社会が安定し、民主主義が定着したことによって多くの人は共産主義思想を、極論すれば死語になったとさえ思っていたのである。
ところが昨今のグッドウイルやフルキャストなど、人材ビジネスを手がける経営者の倫理観の欠如が、ワーキング・プアを生み、日雇い派遣のように、人を人とも思わないまるで材料のように使い捨てる経営のあり方が露呈し始めた。
小泉改革によってホリエモンや村上ファンドのような、ただ金儲けすればいいという風潮が作り出され、ここ数年で話題になった企業不祥事は数え切れない。
消費者のためという崇高な企業倫理は時代遅れでもあるかのような企業社会になってしまった。
経営者のあるべき姿を模索すべき経団連も同様に金儲け一辺倒で、そこにかつての尊敬すべき経営者の面影すら見いだせない。いや、むしろ助長しているともいえるのだ。
彼が著した「蟹工船」が、戦後六十年余をへた現代によみがえってきた。
昨年11月のメリルリンチが発表した世界の億万長者の数に驚かされる。
100万ドル(一億円)以上の金融資産を有する人数は、日本はアメリカに次いで世界二位、147万人に達している。同社の分析では昨年比で企業経営者が増大しているそうだ(ビジネス環境の好転や起業家の出現、ストックオプションの採用によるものか)。
一方、厚生労働省「雇用労働政策の基軸、方向性に関する研究会」報告書(07年8月9日)によれば、2002年に平均雇用所得が年収150万円以下の総数は1,313万5千人を記録し、雇用所得者全体の24%を占め、92年(20.5%)に比し、21.7%も伸びている。これらは男女別・年齢別などすべてにわたってすべて同じ傾向になっている。
そして年収200万円以下は実に2,164万人(34%)にのぼっている。
(年収150万円は月の給与12万5千円、年収200万円は月の給与16万6千円で、いずれもボーナスはゼロという水準である)
こうした実情についてもなお「格差は止むを得ないもの」、「当然のこと」といってすむものなのかどうか。
こうした社会にしてしまった一番の元凶は無定見な規制改革であり、儲けのために規制改革を推進させた経団連であり、悪用した経営者たちといえよう。
さらに、しいて言えば、比較上では恵まれた正規社員の集団である労働組合が、非正規社員の処遇をおろそかにし、手をこまねいていた結果ともいえるのである。
恵まれない人々が増大し、彼らや彼女らが「蟹工船」の労働者と自分たちを同一視し、耐えに耐えてきた理不尽さに声を上げるとき、その声は、規制改革と経団連が追い込んだどん底からの叫びでもある。
唯々諾々と働いていた労働者といえども、追い込まれれば窮鼠猫を噛むのたとえの通り不正義に対して立ち上がる。窮鼠はあのヨーロッパを跋扈した妖怪に姿を変えつつあるのではないだろうか。
もう一度繰り返す。
この妖怪は、生活の貧しさや世の中の不正義によって生まれ育てられる。今日の日本社会の貧困(非正規社員やワーキングプアの存在)。さらに国際競争に名を借りた人材軽視(一部企業で起きている正規社員の過労死・長時間残業など)、企業による不正義(法令違反、偽装、食品における産地偽装など数え切れない企業不祥事)などの社会的荒廃が妖怪を生み育てる。それにも未だ気づくことなく、労働市場の規制改革に狂奔する経団連に、経営者の中から自浄を唱える動きは出ないのだろうか。
いまこそ労働組合のナショナルセンターである連合の出番なのだ。連合が声を上げずしてこの迫り来る社会の危機を克服する道はない。
既存の道を歩むことで安穏として組織を保ってきた企業別労働組合にも、この危機は忍び寄っているに違いない。比較上で恵まれた正規社員である組合員の処遇向上よりも、やらなければならないことが差し迫っている。
来年の春闘を連合と各労働組合がどのように取り組むのかが問われている。相変わらず自分たちの組合員のことだけを考えていればいいということであれば、労働組合運動の明日は暗いに違いない。
工業化の中心となった産業は繊維と鉄鋼である。イギリスを筆頭に工場制手工業(マニファクチェア)が歴史から姿を消す。多くの労働者が手動の機織(はたおり)機械で職を得ていたが、蒸気機関で動く機械に取って代わられる(時系列でいえば1769年に水力紡績機、1779年にミュール紡績機、蒸気機関による紡績機は1785年にアメリカで発明される)。
今流で言えばイノベーション、技術革新である。当然労働者が解雇され大量の失業者が発生する。工場労働者の世界では、失業の原因は機械化だとして、「機械がなければ失業しないで済むから」と工場へ忍び込み機械を打ち壊す。世に言う「機械打ち壊し運動」(ラッダイト運動・1811年~1817年)だ。
今でいう「合理化反対運動」だが、社会の進歩に抵抗する運動が孤立し挫折するのはいつの時代も同様である。ラッダイト運動は急速に力を失っていく(イギリスでは首謀者を含む13人以上が死刑になっている)。
一方、繊維の原料を供給する側でも騒動が起こる。羊毛を生産する農家では、貧しいながら牧場で羊を育てて羊毛を工場へ出荷していた。
ところが、繊維産業では産業革命によって生産性が大幅に上がったから、さらなる利潤を得ようと羊毛の確保に狂奔する。地主貴族階級が中心となり、私兵を従えて農地へ赴き勝手に柵をめぐらせて自分の牧場にすることから「囲い込み」といわれる。農家が反抗しようにも私兵の力ずくには抵抗できない。牧場を失った人々は雇われ農民となっていく。
労働者の需給関係が悪ければ過酷な労働条件にも甘んじなければならない。
当時は、児童労働も当たり前、長時間労働も同様である。どんなに悪くても働く場所があれば我慢せざるを得ない。朝になると、働く場所のなかった失業者が餓死して道端に転がっている。児童が長時間労働で病死するケースが頻繁に起こる。
労働者が集まってお互いの家族の助け合いが始まり、労働組合運動がスタートする。
マルクス主義とはこうした時代背景の中、マルクスとエンゲルスによって創られた思想体系をいう。単純化していえばこういうことである。
資本家が労働者を過酷な労働に従事させ、本来なら労働者が生み出した価値を、土地や機械や資本という生産手段を持っている資本家が搾り取っているという。だから世の中には資本家と労働者という階級が存在し、労働者階級は革命を起こして資本家階級を打倒し、生産手段を共有化すべきだと説く。
この理論は当時の社会情勢の中で共感を呼ぶことになるが、同時に労働のとらえ方や革命の是非などをめぐって否定する思想も多く生まれる。
共産主義思想はやがてソ連のレーニンに引き継がれ、それらの影響から第二次世界大戦後にいくつかの共産主義国家が誕生することになる。
しかし、この理論は破綻をきたし(ソ連からロシアの誕生、ベルリンの壁の崩壊)、今では一部の独裁国家にしか面影を見ることはできないが、一時代を左右した思想であったことは間違いない。
共産主義思想の生みの親であるマルクスとエンゲルスが発表した「共産党宣言」(1848年)に有名な言葉がある。宣言はこんな言葉で始まる。「ヨーロッパに幽霊(妖怪)が出る。共産主義という幽霊(妖怪)である」。
眼を日本へ移そう。
第二次世界大戦時、日本には治安維持法や軍国主義が吹き荒れ、国民に言論や集会の自由は許されていなかった。戦争を進める上で少しでも反対や邪魔なものは容赦なく取り締まった。
小林多喜二という若い作家がいた。
軍国主義華やかりし時代、北海道カムチャッカ沖で蟹を捕獲し缶詰にする「蟹工船」を舞台に、何も知らされずに連れてこられた多くの労働者の過酷な労働の実態、現場監督者に奴隷同様に酷使され死と隣り合わせにいる労働者、不満をいえば沖合いを巡回している警察権力に検挙される。ひたすら黙々と働いていた労働者は、やがて不満を口にし、監督者に抵抗するようになるという筋である。
この作品は労働者階級の物語を意味するプロレタリア文学の傑作と称される。
やがて小林多喜二は逮捕され、警察で拷問によって命を失う。
戦中、戦後の一時期、社会が混乱、荒廃している中では、こうした共産主義のイデオロギーはそれなりの共感を呼ぶ。
戦後のアメリカ軍指導による共産党の合法化と獄中にいた党員の釈放によって、共産党の運動は大いに高まり、1949年の第24回総選挙では35名の議員を獲得したのも、社会の不安定さと混乱があったからである。
そして時代は変わり、生活水準があがり、社会が安定し、民主主義が定着したことによって多くの人は共産主義思想を、極論すれば死語になったとさえ思っていたのである。
ところが昨今のグッドウイルやフルキャストなど、人材ビジネスを手がける経営者の倫理観の欠如が、ワーキング・プアを生み、日雇い派遣のように、人を人とも思わないまるで材料のように使い捨てる経営のあり方が露呈し始めた。
小泉改革によってホリエモンや村上ファンドのような、ただ金儲けすればいいという風潮が作り出され、ここ数年で話題になった企業不祥事は数え切れない。
消費者のためという崇高な企業倫理は時代遅れでもあるかのような企業社会になってしまった。
経営者のあるべき姿を模索すべき経団連も同様に金儲け一辺倒で、そこにかつての尊敬すべき経営者の面影すら見いだせない。いや、むしろ助長しているともいえるのだ。
彼が著した「蟹工船」が、戦後六十年余をへた現代によみがえってきた。
昨年11月のメリルリンチが発表した世界の億万長者の数に驚かされる。
100万ドル(一億円)以上の金融資産を有する人数は、日本はアメリカに次いで世界二位、147万人に達している。同社の分析では昨年比で企業経営者が増大しているそうだ(ビジネス環境の好転や起業家の出現、ストックオプションの採用によるものか)。
一方、厚生労働省「雇用労働政策の基軸、方向性に関する研究会」報告書(07年8月9日)によれば、2002年に平均雇用所得が年収150万円以下の総数は1,313万5千人を記録し、雇用所得者全体の24%を占め、92年(20.5%)に比し、21.7%も伸びている。これらは男女別・年齢別などすべてにわたってすべて同じ傾向になっている。
そして年収200万円以下は実に2,164万人(34%)にのぼっている。
(年収150万円は月の給与12万5千円、年収200万円は月の給与16万6千円で、いずれもボーナスはゼロという水準である)
こうした実情についてもなお「格差は止むを得ないもの」、「当然のこと」といってすむものなのかどうか。
こうした社会にしてしまった一番の元凶は無定見な規制改革であり、儲けのために規制改革を推進させた経団連であり、悪用した経営者たちといえよう。
さらに、しいて言えば、比較上では恵まれた正規社員の集団である労働組合が、非正規社員の処遇をおろそかにし、手をこまねいていた結果ともいえるのである。
恵まれない人々が増大し、彼らや彼女らが「蟹工船」の労働者と自分たちを同一視し、耐えに耐えてきた理不尽さに声を上げるとき、その声は、規制改革と経団連が追い込んだどん底からの叫びでもある。
唯々諾々と働いていた労働者といえども、追い込まれれば窮鼠猫を噛むのたとえの通り不正義に対して立ち上がる。窮鼠はあのヨーロッパを跋扈した妖怪に姿を変えつつあるのではないだろうか。
もう一度繰り返す。
この妖怪は、生活の貧しさや世の中の不正義によって生まれ育てられる。今日の日本社会の貧困(非正規社員やワーキングプアの存在)。さらに国際競争に名を借りた人材軽視(一部企業で起きている正規社員の過労死・長時間残業など)、企業による不正義(法令違反、偽装、食品における産地偽装など数え切れない企業不祥事)などの社会的荒廃が妖怪を生み育てる。それにも未だ気づくことなく、労働市場の規制改革に狂奔する経団連に、経営者の中から自浄を唱える動きは出ないのだろうか。
いまこそ労働組合のナショナルセンターである連合の出番なのだ。連合が声を上げずしてこの迫り来る社会の危機を克服する道はない。
既存の道を歩むことで安穏として組織を保ってきた企業別労働組合にも、この危機は忍び寄っているに違いない。比較上で恵まれた正規社員である組合員の処遇向上よりも、やらなければならないことが差し迫っている。
来年の春闘を連合と各労働組合がどのように取り組むのかが問われている。相変わらず自分たちの組合員のことだけを考えていればいいということであれば、労働組合運動の明日は暗いに違いない。



