鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

勤労観さまざま -vol.10-
鈴木 勝利 顧問
2008/09/10
 勤労観をめぐっていろいろな論議がある。
もっとも特徴的なのが「勤労観は宗教、民族、お国柄によって違う」という説だ。


 代表的というか、最も一般的なのが、西欧におけるキリスト教から垣間見る勤労観と、農耕民族である日本における勤労観の比較である。

 欧米におけるキリスト教(宗派を問わず)は、大勢として国民生活の規範の役割を果たしており、人々が生活する上で心の縁(よすが)になっているともいえる。
日本でも、宗教団体に所属している人は同じだと思うが、大半の日本人は、生活規範を宗教によって律することは少ない。
しかし、何かの行事で神社仏閣にお参りするなど、無意識に宗教的行為を行なう。
初日の出を拝み、神社仏閣に初詣し、七五三、冠婚葬祭、クリスマスなどなど。多彩な神仏?に参拝する。困ったときの神頼みという諺は典型的な例だ。
だからといって宗教を信じているわけではない不思議な民族なのである。

 私たちの日常生活には、信じている、いないにかかわらず、さまざまなしきたりなどに宗教と関係するものは多い。
旧約聖書による神の天地創造(一日目に光と闇をつくり、二日目に空を、三日目に大地と海と植物、四日目に太陽と月と星を、五日目に魚と鳥を創った。六日目に人間を創り、七日目に体を休めた)によって、暦の月・火・水…日が出来た。
何もキリスト教を信じていなくても一週間は七日間、そして日曜日は休息日として過ごす。

 仏教も同様に生活の中に浸透している。
原因と結果を意味する因果、両者を結ぶ縁から因縁、平常心など、日常何気なく使う言葉の語源に多い。
使ったからといって信じているわけではない。これが平均的日本人の姿といってもよいだろう。


 さて、話を旧約聖書の創世記に戻そう。
六日間にわたってこの世を創った神は、人間アダムとイヴを楽園「エデンの園」に住まわせる。が、神の命に反して禁断の実を食べてしまった二人は、神の逆鱗に触れ、地上に落とされ、罰として労働を義務付けられる。

 労働が罰であれば可能な限り避けたいとなる。
つまりキリスト教による勤労観では、人間に与えられた罰だから可能な限り短くしたいと考える。時間短縮はこうした考えに根ざしているという。


 一方、日本人はまったく逆である。こんな話さえある。
今も子孫が鎌倉で営んでいるが、江戸時代に名人といわれた正宗という刀匠がいた。弟子にはこれも名人と称された村正(徳川家康がある出来事から村正の刀を妖刀としてもつことを禁止したといわれる)がいる。
あるとき二人の刀のうち、どちらが切れ味がよいかで侃々諤々の議論の結果、実験することになった。
初めに村正の刀をせせらぎに刃を川上に向けて突き刺し落ち葉を流した。ゆるい流れにもかかわらず落ち葉は村正の刃にふれたとき、葉っぱは音もなく二つに切れて川下に流されていった。それだけ切れ味が素晴らしかったということだろう。
今度は師匠の正宗の刀を同じように突き刺し葉っぱを流した。ゆるりと流れてきた葉は、刃先にふれようとした瞬間、刃をよけて流れていってしまった。葉っぱに心があるわけではないが、刀の周囲に醸し出されていた何か(尊厳)を恐れてよけたというのである。

 仕事にはそれに携わった人の人格が反映されるという考え方がこの禅の話を作ったのである。
製品である刀そのものの結果ではなく、製品に至るまでにかかわった働き手の姿勢や考え方が製品に反映し、製品の良否を決めるのである(もちろん、その結果である製品も優秀なのだ)。

 今日でもこの哲学は生きている。仕事に打ち込む労働者の姿、テレビに登場する平凡な職人でも、仕事の難しさや技を極めるために努力している様には頭が下がる。
 大店に奉公し、年にわずかの休日(薮入り)しかなく黙々と奉公した結果、暖簾わけと称して店を持たせてもらう。滅私奉公だ。経営者にとって文句も言わせずに、ひたすら命令に従って働かせるシステムは都合がいいこと夥しい。しかも労働の時間の長さが「真面目に働いている」尺度になっている。この場合、労働の質は問われない奇妙な尺度なのだが。日本で長時間労働が改善されず、時間短縮が遅々として進まないのはこうした勤労観があるからと指摘する意見もある。

 労働をめぐる価値基準はいろいろあるようだが、はっきりしていることは一生の内、労働に費やされる時間はかなりのもので、ゆえに、労働がつまらない、自分のためにならない、仕事は疲れるだけ、というようでは一生が無意味になってしまう。
 正宗ではないが、労働が人格の反映ならば、労働を通じて人格の向上に勤めるべきだし、労働を通じて人間の尊厳を確立すべきなのだろう。

 ただ働いて収入を得て、無味乾燥な一生を送るのではなく、日々の労働を通じて「やりがい」や「生きがい」を見出してこそ、あなたの作った製品が華やかでなくても素晴らしい製品として世に送られるのではないだろうか。


 労働組合もまた、労働の経済的側面(労働の対価として賃金を得る)ばかりを重視した運動から、組合員の精神的側面(労働を通じて「やりがい」「生きがい」などの精神的充実を得る)を重視する運動へと転換を迫っている話だと思うのだが。



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