鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

鈴木勝利 コラム「語りつぐもの」

援け合いは組合の原点-vol.15-
鈴木 勝利 顧問
2009/02/10
 人間は十人十色とはよく言ったもので、容姿はいうに及ばず俗にいう能力も、感性も、性格もみんなそれぞれである。それだけに十人十色の人々をまとめるのが難しいのだろう。

 とくに自分になかったり劣る面に気がつくと、なぜ自分にできないのか少々遣る瀬無くなる。そもそもこの遣る瀬無い気持ち自体が、傲慢やうぬぼれの裏返しに他ならないのだが、他人との比較を冷静にできるようになることも人生にとって意味があるに違いない。かつて視聴者の絶賛を浴びたNHKの番組「プロジェクトⅩ」は組織によって個々の才能や能力が発揮された様子を取り上げたし、後続番組「プロフェッショナル」は正真正銘、個人の能力にスポットを当てている。そこに映される個人の能力や才能が自分とは異なった世界の出来事に見える時もあれば、世の中にはすばらしい才能を持っている人がいることに改めて感動したりもする。しかも感心するのは、当事者が少しも自分に慢心せずにひたすらまじめに取り組む姿が清々しく心に残る。

 労働組合に携わってきた自分にとって、組合リーダーとしての才能とはなんなのか、改めて考えさせられる番組でもある。

 芸術・文化の世界ではよく感性という言葉が使われるが、画家やカメラマンと同様に、組合リーダーにも感性が要求されるに違いない。職場である現象が起きたときに、目の前を通り過ぎた何でもない出来事の一つに過ぎないと記憶にもとどめない人もいるし、同じ出来事に問題意識を持ち、その原因を分析し将来を洞察した上で何らかの対策を立てようとする人もいる。この積み重ねがリーダーの評価を決定づけるような気がする。

 昔から日本企業では仕事量が減って従業員に余剰が出そうになると、忙しい職場・仕事への職種転換をはかって解雇を避けようとしてきた。課の中だけで調整がつかなくなると他課への配置転換でしのいだ。課をまたがる配置転換をしても調整が無理になると工場間の配置転換へ広げ、それでも無理なら次はグループ内で企業の枠を超えて調整するなど、調整する土俵を序々に広げて余剰人員の吸収を図ってきた。その過程では下請けに出していた仕事を引き上げたり、パート社員の雇用止めなどをして正社員の解雇を極力避けてきた。現在の急激な不況による派遣社員など非正規社員の雇用止めが社会問題になっているが、これまでも日本の企業社会では行われてきた手法なのだ。辛口にコメントすれば他の犠牲の上に正社員の雇用が守られてきたということである。もちろん正社員の解雇は「解雇権濫用の四要件」によって簡単にできない背景があるのだが、今までだって非正規社員や下請けの犠牲という問題があったにも拘らず大騒ぎにならず、今回はなぜ大きな社会問題になるのかを考えなければならない。

 一つにはマスメディアが取り上げるように、非正規社員が大幅に増加していることや企業経営者の倫理観の欠如などがあることは疑いようがないが、決定的に違うことは、当時と今では労働市場の状況が全く違うことである。失業率は2~3%と低く、経済の伸びを示す成長率が高成長であれ安定成長であれ、ある程度の成長があったから失業しても再就職の可能性は高かった。不幸にして失業しても働く意欲があり健康でありさえすれば、公共の職業訓練を経て比較的容易に再就職することができた時代と、失業率は4%台に高止まりし、正社員の採用を抑制する時代とでは比べるべくもない。

 こうした時代を迎えているにもかかわらず、労働組合が昔と同じ感覚で正社員だけの雇用にしか関心を持たなかったとしたら、それこそ組合リーダーとしての感性が問われるし、社会からも非難を浴びる組織になってしまうに違いない。

 いうまでもなく雇用とは企業活動があって始めて発生するものだ。だから経済環境の激変や経営施策の過ちによって雇用が不安定になることは避けられない宿命を持っている。その不安定さを「人を第一義に考える経営者」の倫理観や、受け皿としての社会の仕組みや、あるいは労働組合の活動によって如何に安定したものに近づけるかが重要なのだ。社会の仕組みは「小さな政府」とか「民営化・効率化」のスローガンの下で、本来国が行うべき仕事さえも放棄していることで期待すべくもない。そうした中だからこそ、労働組合の活動が問われるのである。政府や経営者を非難していれば解決するわけでもない。もちろん国に対する要求はなければならないし、経営者に求めることも多い。しかし、それだけで組合の使命を果たしたことにはならない。組合だからやれること、組合だからしなければならないこと、それははっきりしている。

 組合員だけの雇用を守ればよいという、「自分たちだけよければよい」という活動をする限り、組合員一人ひとりが同じ考えを持っても非難できない。組合員が「自分さえよければよい」と考え始めたら、「一人は全員のために、全員は一人のために」という組合組織の原理は否定されてしまう。「団結」とか「相互扶助」などに無縁な組合員が無数に作り出されたら、組合組織そのものの存在が否定される。まさに「天に唾する」ことになるのだ。

 この困難な時期を克服するために、正社員は賃金の減少を伴う労働時間の短縮を図って非正規社員の雇用止めを一人でも少なくし、非正規社員も同じように労働時間の短縮による賃金の減少に耐え、企業はぎりぎりまで雇用には手をつけないという社会的責任を果たしつつ、労働時間の割にコスト増になることを覚悟し、国は税金の有効な活用によって需要を創出し、職業訓練の充実を通じて再就職が可能になる政策の確立に全力をあげる。一時期もてはやされたワークシェアリングを今一度真剣に考える時を迎えている。

 もちろん、かつてに比べて経営者団体との信頼関係が損なわれているので難しいことは承知しているが、このまま指をくわえ何もせずに他者を非難しているうちに、取り返しのつかない社会になってしまうことを憂うのである。

 それとも、経営者も、労働組合も、政府も、「何もせず」うちに「何とかなって」しまうのだろうか。そして失業率はいつの間にか…%台になってしまうのだろうか。



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